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しおりを挟む───驚いた。 こんなお医者さんが居たら、町で評判のイケメン医になりそう。
今日も文句の付けようのない美形である。
ただ今の乃蒼は彼の顔面に見惚れている場合では無かった。
白衣を着ている知り合いを見付けて心強く、あの日置き去りにした事や約束をすっぽかした事もコロッと忘れて、乃蒼は男に右手首を差し出した。
「あ、あのー……手首、痛くて。 三日前くらいからなんだけど、こっち曲げるとビリッてするんだ。 何科に行ったらいい?」
「整形外科だね。 ……腱鞘炎じゃないかな。 乃蒼、美容師さんだったよね?」
男はそっと乃蒼の手首に触れて、「痛い?」と眉尻を下げて微笑んだ。
そんなに優しげな笑顔を乃蒼に向けるなど、勿体ない。
さり気なく自らの手首を引くと、整形外科かぁ、と呟いて何かを誤魔化す。
「う、うん。 ……あ、はい。 職業関係ある?」
「大いにあると思うよ。 あ……でも俺が今勝手に診断するわけにいかないから、ちゃんと診てもらっておいで。 待つの嫌だったらちょこちょこっと裏から手回してあげるけど」
何とも頼りがいのある男の嬉しい耳打ちに、乃蒼はパッと表情を輝かせた。
「いいの!? それはすごくありがたい!」
「分かった、整形の受付に言っとくね。 あ、それとこれ、……俺の番号。 何かあったら連絡しておいで。 俺しばらく夜勤続くからあそこも行けないし、乃蒼も今は行きにくいでしょ? だから……乃蒼が嫌でなければ連絡して」
白衣の胸ポケットからメモ紙とボールペンを抜き取ると、男は素早く番号を書いて乃蒼の痛まない方の左手に握らされた。
咄嗟の事で乃蒼も拒否は出来ず、意図せず美形男の電話番号をゲットしてしまった。
とは言えこれは、あの時の約束がまだ生きているという事なのだろう。
コロッと忘れていたが、乃蒼は酔いに任せて二度目の火遊びをこの男といたしている。
ゆるぎに足が向かなくなったのは、月光だけでなくこの美形男とも顔を合わせにくいと思ったからだった。
「……うーーん。 でも……」
「やらないよ、でしょ? 分かってるから。 来週末から日勤に変わるから、仕事終わりにご飯でも行こうよ」
「……それくらいなら、……」
「乃蒼が連絡してくれないと、俺は乃蒼の番号知らないから連絡できないからね?」
待ってるよ、と耳打ちしてきた男は、流れるように次回の約束を取り付けて踵を返した。
ドクターコートの裾が風でふわりと舞い、彼の美しい焦げ茶色の髪もさらさらと揺らめく。
あんな風にタイプの男からジッと見詰められると、一回やってしまったし会うの気まずいです、と正直に断る隙も無かった。
総合病院の受付は二ヶ所あり、そのどちらにも男は付き添ってくれた。
まだ医師ではなく研修医という立場らしいが、この容姿と物腰である。 頼み事をされた受付の女性達は、彼のためならばと猛スピードで処理を終わらせ、男に薄いファイルを手渡した。
それから男は整形外科の受付の場所まで案内し、そこに居た看護師にファイルを渡しがてら乃蒼への耳打ち通り順番抜かしまで頼んでくれた。
コネを最大限に利用してしまい、本当はいけない事なのだろうが、これから仕事に向かわなければならない乃蒼としては初診だからと何十人もいる患者の後回しにされるのは少々痛く、本当に助かった。
しかしながら、男が話し掛けた女性達は軒並み頬を染めて張り切っていたので、ああいう場面を二度も三度も目撃してしまうと乃蒼の罪悪感も若干薄れた。
整形外科の入り口に腰掛けて待つよう促された乃蒼に、男は「お大事に」と笑顔で手を振り、白衣のポケットに手を突っ込んで颯爽と去って行った。
背の高いイケメン医師が角を曲がって見えなくなるまで、乃蒼だけでなくその場に居た者達すべての視線を釘付けにしていた。
「……あんなお医者さん、緊張しちゃうよな」
顔見知り程度の乃蒼にあれこれと世話を焼いてくれた男は、夜勤明けだと言っていた。 勤務時間外にも関わらずここまでしてくれた男に、乃蒼はお礼も伝えられなかった。
あまりにもすべての所作や行動がスマートで、嘲笑されるよりも情けないが呆気に取られていたのである。
イケメンは罪深い。
太陽の下で見る美形男は、白衣の力など借りなくても相当に格好良かった。
穏やかな口調と相変わらず有無を言わせない話の持っていき方で、ついつい受け取ってしまったお兄さんの番号。
男が去ってすぐ、乃蒼はよく考えもしないうちにスマホに番号を登録してしまうと、早速ワンコールだけしておいた。
いつもならゴミ箱行きの、番号が走り書きされたメモ紙。
なぜ捨てられなかったのか。
なぜすぐさま番号を登録したのか。
なぜ自分の番号を男にも知らせようと思ったのか。
なぜ、……次の期待を持たせるような返事をしてしまったのか。
顔がタイプだからという他に、乃蒼の脳裏にはどうしても過去の記憶が引っ掛かっていた。
穏やかで聞き馴染みの良い低い声。 男くさくない中性的で温かい雰囲気。 長身であるのにゴツゴツしていないスマートな体躯……。
彼はどことなく、記憶の中のあの人に似ている気がした。
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