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しおりを挟む頭の中で様々な情報がぐちゃぐちゃに入り乱れ、瞬時にパニック状態となった乃蒼の記憶が正しければ、昨日のセックスの相手は「いつもの男」だった。
ゆるぎに舞い戻った乃蒼は、確かにこの美形男とお酒を楽しんだ。
口下手なので全くと言って良いほど会話は弾まなかったが、穏やかそのものな男の声に癒され、ビンちゃんと他愛もない世間話に花を咲かせた事まではきちんと覚えている。
サングリアをどれだけ飲んだかは定かでないけれど、今日の二日酔いから考えても三杯以上は確定だ。
まさか……。 とうとう乃蒼は、いつもの男ではない男とセックスしてしまったというのか。
衝撃の事実を前に微動だに出来なかった。
しかしどれだけ「嘘だろ……」と落ち込んだところで、たった今この男がキッパリと肯定したのだから、……そういう事なのだろう。
「おい、マジで言ってんの? お前が俺の乃蒼に手出したん?」
「あなたの乃蒼ではありません」
「俺のだ。 やっていいのも、俺だけ」
「それは違います。 もうあなたは過去の人なんですよ。 乃蒼に言われませんでしたか? 「忘れたい」と」
核心に迫ったお兄さんの問いに、月光は睨むだけで答えようとしない。
まるで二人の事情を知っているかのような口振りは気になったものの、当事者である乃蒼はたまらずボソッと呟いた。
「…………言った。 忘れたいって言った」
「乃蒼、お前は黙ってろー」
「…………」
余計な一言を口走ると、即座に月光から薄目で睨まれてしまう。
しかし乃蒼は、焦れったかった。
その大事な話をしたのはつい昨日の事である。
月光は自分で、その答えを言わなければならなかった。
男に向かって乃蒼の彼氏面をしてみたり、怒りに任せてホテルに連れ込もうとしていた辺り、彼はやはり分かってくれていなかったのだ。
乃蒼がいくら「もうやらない」「友達に戻ろう」と頑なに月光との行為を拒否しても、きっとこのままズルズルと過去の二の舞になる。
もう、どうしたらいいのか分からない。
「お前さぁ、誰の許可得て乃蒼とやったとかほざいてんの~? 殴っていい~?」
いよいよ怒りが頂点に達したらしい月光が、乃蒼をゆっくり降ろして瞳を据わらせ、男へ一歩近寄った。
「いいですよ。 それであなたの気が治まるのなら」
「そんじゃ遠慮なく……ぐっ!?」
男の胸ぐらを掴もうと月光がさらに一歩前へ出た瞬間、乃蒼はすかさず彼の背後に回り股間を蹴り上げていた。
「…………ッッ!!」
ラブホテル目前の暗い夜道に、ガッという鈍い音が響いた。
瞬間、脈絡なく男の急所を蹴り上げられた月光は声にならない呻きと共にその場に蹲り、股間を押さえて痛みをこらえている。
乃蒼は、蹲る月光の頭上から目一杯一喝してやった。
「バカ月光!! 殴ってなんの解決になんだよ! 俺が全部全部全部ぜーーんぶ悪いって事でいい! もうマジで勘弁して! 俺を振り回すな! 俺帰るからな! お願いだから帰らせて!」
「の、のあ~~……」
ふんっと鼻息荒く踵を返し、月光の情けない声にほんの少しだけ同情してしまいそうになったものの、怒りがそれを上回った。
地面が揺れそうな勢いでその場を去り、これは一体なんの茶番なんだと自分で自分を嘲笑う。
背後から何度か、乃蒼を引き止めようとする弱々しい月光の声がしていた。
振り向いたらおしまいだと自身に言い聞かせ、乃蒼はどんどんと歩むスピードを速める。
思いっきり力を込めて蹴り上げなかっただけ感謝してほしい。
遠くで聞こえた、美形男の「痛そー……」という台詞も無視した。
月光の面影など、乃蒼にとっては苦痛しか生まない。
ようやく忘れられていたのに、こんなに突然降って湧いて来られては気持ちが追い付かないではないか。
傷付きたくない。 ……いや、もう、傷付けないでほしい。
大切な思い出にするから。
ちゃんと、大事な人の位置付けはするから。
だからもう……苦しめないで。
俯いて電車に揺られている乃蒼の心の奥底では、月光を欲しているという自覚がある。
どれだけ忘れようとしても、忘れていられたと思い込んでいても、心の奥の奥では青春時代のあの苦過ぎる思い出が未練がましく留まったままなのだ。
月光は本当に節操がない。
今もそうなのかは知らないけれど(多分変わってないと思う)、これ以上あの時のように傷付きたくなかった。
月光とセックスまみれだった毎日の中で、彼が彼女を連れて歩く姿を見、彼女ではない女性とヤったとあっけらかんと語る笑顔を見、そんな事を日々受け止めさせられた乃蒼の心には、小さな棘が無数に刺さっている。
だからこそ、あの火遊びは乃蒼にとっては大きなターニングポイントだった。
愛されているとつい勘違いしてしまいそうなほど優しい愛撫と言葉に、乃蒼の心は溶けてしまいそうだった。
月光とのセックスがツライと感じ始め、離れる決意を決めたいと思っていたから余計にだ。
再会などしなければ良かった。
「友達」で妥協なんかせず、キッパリとこの先は無い事を告げれば良かった。
自分の悪酔いのせいで、見ず知らずのあの男にも度々迷惑を掛けてしまった乃蒼の胸中はひどく空虚である。
月光を完全には突き放しきれない自分に、当然ながら嫌気が差していた。
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