永遠のクロッカス

須藤慎弥

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 見知らぬ男から乃蒼を引き剥がされ、月光は露骨に嫌そうな表情に変わり唇を尖らせた。


「いいのいいの、痴話喧嘩みたいなもんだから~」
「そうは見えませんでしたけど。 とりあえず今日はお引き取り下さい。 ……あの、君はゆるぎの常連ですよね? 中で飲み直しませんか」


 乃蒼を助けてくれた男は帽子のせいで顔はよく見えないが、低く男らしい声が何とも優しい。
 口調がとても穏やかなのも好印象で、見るからにイライラを募らせている月光を差し置いて乃蒼はその男の佇まいに見惚れた。
 誰がどう見ても喧嘩の一歩手前で、拉致寸前だった二人の間に割って入ってくれた事も心象がいい。

 月光とのセックスはどうしても嫌だと体全体でアピールしているのに、この男はまったく心が折れないのでこれは大きな助け舟だと思った。
 はい、と素直に頷いた乃蒼にギョッとした月光が、ズイッと視界に入ってくる。


「お引き取りください~? ぜってー嫌。 乃蒼が飲むんなら俺も一緒に飲む」
「お兄さんは俺に話してんの! 月光は早く仕事戻れよ! 一時間しか抜けられないんだろっ」


 乃蒼の言葉に、月光が面倒そうにゴツくて高そうな時計を確認した。
 すると、もうじきタイムリミットの一時間に迫っていたらしく眉間に皺を寄せて乃蒼を見る。
 可哀想な大型犬と厳ついホストの顔を使い分ける月光は、「ねぇねぇ」と甘えた声を出し乃蒼の腕を取った。


「……乃蒼~、頼むから電話は出てよ。 それ約束してくれるなら、今日は勘弁してやる~」
「分かった。 分かったから早く仕事行け。 ここでまた駄々こねたら電話出てやらないからな」


 勘弁って何だよっと怒りたい気持ちをグッとこらえ、事態の収集が先だと判断した乃蒼は力強く頷いておいた。
 乃蒼を米俵にしようとした月光が、まさか仕事を優先するとは思わなかった。
 若干驚いたものの、あの晩の二の舞を避けられたのは紛れもなく勇気ある男のおかげである。

 月光は渋々と乃蒼の腕を離し、数歩歩いた。
 ……が、突然パッと振り返って乃蒼の隣に立つ男を指差し牽制した。


「……そこのお前、乃蒼とエッチしたら半殺しの刑だからねー」
「んな大きな声でバカな事言うな! 早く行け!」


 またもや恋人ぶった月光の発言に、乃蒼はやれやれと頭を抱えた。
 今をやり過ごすための咄嗟の判断によって、電話には応じないといけなくなった。
 しかし、後悔を重ねてしまう羽目にならずに済んで本当に良かった。
 いくら通話をしても、これから先会わずにいればいいのだ。
 今や乃蒼と月光の接点は「ゆるぎ」しか無い。
 後悔の上塗りは、ほとんど記憶にないあの一度きりのセックスで終わり。
 親友と呼べる者を突き放してしまった罪悪感を、それで埋めたと思えばまぁまぁ気も安らぐ。 ……と、思う。

 月光の背中を見届けた乃蒼は、男に向き直って深々と頭を下げた。


「マジでありがとうございました。 お兄さんもゆるぎの常連なら、今度一杯奢らせて下さいね」
「そんな……顔上げてよ。 今は飲まないの? 俺本気で誘ったんだけど」
「あー……ごめんなさい。 何かもうそんな気分じゃなくて。 今日は帰ります」


 いつまた月光が現れて貞操の危機に見舞われるか分からない。
 ずっと先にはなるかもしれないけれど、いつかお礼をする旨だけ告げて乃蒼は立ち去るつもりだった。


「そっか……じゃあまた今度だね。 次はいつ来る?」


 問われて顔を上げると、男は月光と同じくらいの長身だった。 だが月光ほどガッシリとはしておらず細身でスラッとしている。
 顔が見えなくてとても残念だが、ノーマルお断りの店に入ろうとしていた辺り、きっとシャイな人なのだ。
 世間に同性愛者だとバレないように生活している可能性も大いにあり、その気持ちが乃蒼にも分かるだけに無理に顔を覗き込むような真似はしなかった。


「えっ、それは気分次第なんで……」
「待ち合わせしない?」


 ───わ、そう来たか。


 月光のせいでしばらくゆるぎには立ち寄らないと決めたのは、ほんのついさっきの事だ。
 不義理をするつもりはないが、近々は無理だと断ろうした乃蒼は男からの「ダメかな?」という声に一瞬で考えを変えてしまう。
 月光ほど強引じゃないけれど、この男は相手を自らのペースに引き込むような話し方をする人だった。
 
 だからと言って、男と二人きりで飲むと確実に間違いが起きそうな気がする。
 お互いゆるぎの常連だということは、乃蒼と同じく男もゲイかバイだ。
 二度と過ちを犯さないために、ここはきちんと最初に釘を打っておかなければ後に後悔するだろう。


「……あの、……いいんですけど、俺……夜の相手はしないですよ」
「いいよ。 とにかく一緒に飲も。 俺ね、仕事が長引くと待ち合わせしてても少し遅刻してしまうかもしれないから、そこは今謝っておくね」


 勘違いしないでくれよ、というのをストレートに言ったのだが、男はまったく気を悪くした様子を見せなかった。
 ただ本当に飲みたいだけなのだと安堵させてくれる言葉をくれ、さらに当日の遅刻を見越して謝罪までしてきた。
 真面目な人柄がここでも伺える。


「それは大丈夫です。 ビンちゃんと話してるから。 じゃあ……さっきの月光が居ない時間がいいから、……明後日の0時はどうですか? 0時は遅い?」
「いや、いいよ。 大丈夫。 じゃあまた明後日ね」


 男は約束を取り付けると、拍子抜けなほどあっさりと乃蒼に手を振った。
 その足でゆるぎに入って行き、その背中を見送った乃蒼もとぼとぼと駅までの道を歩く。

 今日はサングリアを一口しか飲めなかったけれど、ふいに入った明後日の約束。
 乃蒼はこれまで、ゆるぎに寄っても話し相手はビンちゃんだけだった。
 口下手な乃蒼は同類と騒ぎながら飲むことが苦手で、静かにサングリアで酔っ払いその後いつものあの人で癒しを求める。
 それが乃蒼の夜のすべてだった。

 穏やかそうな男と美味しくサングリアを飲めたら、それでいい。
 お仲間と酒を酌み交わすのは初めてだけれど、あの男となら普通に会話が出来そうな気がした。
 ご機嫌な乃蒼は小さく鼻歌を歌いながらホームのベンチに腰掛け、手持ち無沙汰だからとスマホをポケットから取り出す。
 そのタイミングを見計らったように、スマホが振動を始めた。
 

 ───ブー、ブー、ブー。


「ぅわっ。 はぁ……この振動マジでトラウマなってるな……」


 画面を見ると、お決まりの「月光」。
 もはや世の中のバイブレーション機能は月光から発信されているのではないかと、ありえない事を思ってしまう。
 しかもだ。
 仕事に行くと言って別れたばかりなのに、ヤツは一体何を考えているのだろう。




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