永遠のクロッカス

須藤慎弥

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…  …  …


 サングリアを何杯飲んだか分からない。
 昔の苦過ぎる思い出をたった一つの名前だけで蘇らせてしまうほどには、乃蒼にとってあの三年間は決して忘れる事のできない最大の失態だった。


「ビンちゃーん」
「……なぁに、乃蒼くん」


 カウンターに突っ伏し、空のグラスを掲げてビンちゃんにサングリアを要求した乃蒼は、すでに正常な判断が出来る状態ではない。
 頬どころか顔中真っ赤に染めてヘラヘラしているその姿は、強くもない酒を苦い思い出と一緒に胃袋に流し込んでいる、悲しき酔っ払いである。


「おーかーわーりー」
「ダメに決まってんでしょ! 乃蒼くん、今なら終電間に合うから帰りなさい。 タクシー呼んだ方がいいかしら」
「ケーチ!」
「……出たわ、酔っ払い乃蒼くん。 久しぶりに来たと思ったらこんなに泥酔しちゃって……」


 今にもカウンターで寝てしまいそうな乃蒼を見ていたビンちゃんは、かれこれ三十分前からめげずに話し掛け続けていた。
 半分夢の世界へ行ってしまいつつあるため、かなりの大きな声でだ。
 おかげさまでハスキーボイスになったわよ、と皮肉を言っても、乃蒼は目元を細めてとても可愛く微笑むのでその度に毒気を抜かれている。


「ねぇ乃蒼くん、誰かに迎えに来てもらったら? スマホ貸してごらんなさい」
「へへへっ、はい、どーぞ」


 ニコニコとあどけない笑顔を見せる酔っ払い乃蒼を、我先にお持ち帰りしたいという常連客は多い。
 しかし今日は年に一度の極端に客が少ない日で、連れ帰ってくれそうな者は皆無だった。
 月光の誕生祭で客を取られているというのも多分にあるが、三軒向こうにも関わらず尋常ではないほどホストクラブが騒がしく、静かに飲みたい常連達がそれを嫌う致命的な一晩。
 素面では絶対に誘いに応じない乃蒼が、ハメを外したい時だけ飲みまくってとある男を待つ事を知っているビンちゃんは、乃蒼から受け取ったスマホを操作してみた。
 信頼できる常連客で、乃蒼にゾッコンな男の名前を探したがその名はいくら探しても見当たらなかった。


「ないわねぇ……。 ……ん? ……らいと? 乃蒼くん、月光と知り合いだったのかしら……?」


 電話帳欄をスクロールしていると、ら行で月光を発見し、この珍しいキラキラネームを「げっこう」ではなく「らいと」と入れている辺り、顔見知りなのだろうか。
 五年も通っている乃蒼から、一度もそんな話を聞いた事がなかった。
 とはいえ背に腹は変えられない。

 
「乃蒼くん、お迎えお願いしてみるわね」
「はーーい! おやすみぃ!」
「やだ、まだ寝ないでよ?」


 もはや普段の乃蒼の面影はどこにも無かった。
 あまりお酒を飲み慣れていない乃蒼の飲み方はめちゃくちゃで、いつも、絶対に酔いつぶれるぞという飲み方をしてはカウンターでケラケラ笑っている。
 通常がドライなだけに、そのギャップがたまらないのだと言っていた男がいた。
 とうとう寝顔を晒している乃蒼を連れ帰ってもらうべく、ビンちゃんは半信半疑ながらダメ元で月光へ電話を掛けてみる。
 すると、音割れするほど賑やかな周囲の中、なんと月光本人が電話口に出た。


『もしもし? なに?』


 一言目がこれだ。 知り合いに間違いなさそうである。
 それにしても不機嫌そうで、ビンちゃんの体に一気に緊張が走った。
 何しろ、ビンちゃんの店から三軒先のドル箱ホストクラブ「♢(ダイヤ)」でナンバーワンホストとして五年間君臨し続ける月光本人と会話をするなど初めての事なのだ。
 毎年この日は誕生祭なるものが行われている。
 そのため、電話の向こうは騒々しいを遥かに越えてうるさい。


「突然ごめんなさいね。 わたし、ゆるぎのママなんだけど、乃蒼くん潰れちゃってて……お迎えお願いできないかしら?」
『はぁ~? 今から抜けるとか無理に決まってんじゃん。 今日は俺の日だぜ~? てかあんたがほんとに乃蒼の知り合いか分かんないし、ちょい乃蒼に代わってよ』


 電話の向こうから、のあって誰~?と周辺の女達からブーイングを浴びている様子の月光が「男友達だから」と宥めているのが聞こえた。


『乃蒼そこにいるんなら、こっちに来させてよ。 俺もしばらく会ってねーから会いづらいし~』
「だから、潰れちゃってるって言ったじゃない! もういいわよ、他の男に頼むから!」


 ナンバーワンだからとあんなに横柄な物言いをされては、いくら乃蒼の知り合いでもイライラしてかなわなかった。
 一方的に通話を終わらせて、ビンちゃんは憤慨する。


「失礼しちゃうわっ」


 五年間もナンバーワンだなんてどんなに素晴らしい人なのかしら♡と、期待していた月光に対する評価が地にまで落ちた。
 困った事に、乃蒼は完全にカウンターで寝入ってしまった。
 たまにガバッと起きては空グラスを手にビンちゃんに向かって「おーかわり♡」と猫撫で声を出し、そしてまた突っ伏すをエンドレスで繰り返している。


「どうしたもんかしら……。 こういう時にあの子が颯爽と現れるとカッコイイんだけれど……」


 何年も前から乃蒼に夢中のその男は現在、医師免許取得後のスーパーローテーション中なはずで、とても忙しいと伝え聞いていた。
 この店にも最近は顔を出していない事からも、多忙なのが見て取れる。
 乃蒼は二十歳になってお酒が飲めるようになってからの大切な常連で、しかも今日は何があったのかいつもより荒れた飲み方をしていたため無下にも出来ない。
 このまま見知らぬ誰かに乃蒼を託そうものなら、確実に乃蒼の貞操が危険に晒される。
 仕方がないので今日は店に泊めようと決め、ビンちゃんが奥へ下がろうとした、その時だった。


「ゆるぎってここ~?」


 ド派手な真っ赤なスーツを着た大きな男が、確認するように店内を見回しながら入店した。


「…………ら、月光……っ?」


 ビンちゃんは、その出で立ちと常人ではないオーラですぐに月光だと分かった。 そして現金にも、横柄な物言いも頷けるほどの存在感と容姿に圧倒されて見惚れた。
 これだけ上質な男ならば、ナンバーワンを五年も死守し続けるのも納得だ。
 店内にわずかにいた常連客も、圧倒的な存在が来店した事でその姿を凝視している。


「あーあ。 マジで潰れてんじゃん~。 これ乃蒼っしょ?」


 入り口付近のカウンターで突っ伏している乃蒼を見付けた月光が、ツカツカと革靴の底を踏み鳴らし歩み寄った。


「そ、そうよ。 でもあなた今誕生祭の途中じゃ……」
「一時間抜けてきたよ~。 大変だったんだからな、マジで~」




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