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しおりを挟む夜の街は空気がいい。
澄んでないところが好きだ。
雑踏も、人混みも、無心になりたい時にはとても頼りになる。
寂しさを紛らわせてくれる、静寂とは無縁の唯一の居場所。
暗い夜空はくすんでいる。
それがどこか自分に似ているようで、嫌いになれない。
一度立ち止まり、重たい夜風を浴びて空を仰いだのは佐伯 乃蒼《さえき のあ》。 職業、美容師。
自らのキラキラネームをとても恥ずかしいと思っている、二十五歳。
女性受けする今風の整った顔立ちと、美容師らしく髪型にも服装にもセンスが光る乃蒼は、スタイリストになって二年目にも関わらず指名客が絶えない。
一見冷たそうでチャラついた印象を受けるが、彼は物腰が非常に柔らかく、技術面もさる事ながらふわりとした笑顔と相槌だけでもリピーターを掴んでいる。
しかしひとたび仕事から離れると、乃蒼の顔からは笑顔が消える。
とある人物との決別を経て以来、心にポッカリと穴が開いたように覇気が無くなってしまった。
この日も仕事終わりで街に繰り出した乃蒼は、ただ酔っ払いたいがためにノーマルお断りのお決まりのバーにやって来た。
入店と同時に、引き寄せられるようにカウンターの定位置に腰掛ける。
「あ、乃蒼くんだ~! いらっしゃい」
「どうもー。 いつものちょうだい」
馴染みのマスターに「いつもの」と言って出てくるのはサングリアだ。
容姿と合ってるから、と初めての来店の際に出されて以来気に入ってしまい、乃蒼はこれしか飲まない。
薄暗い店内はそれほど広くはなく、このこじんまり感もひどく落ち着く。
常連になって早五年ともなると、いつ乃蒼が来てもいいようにカウンターの定位置を空けてくれていた。
「乃蒼くん、一週間ぶりくらいじゃない? 忙しかったの?」
大柄で髭面のマスター、通称ビンちゃんが、カウンターに腰掛けた乃蒼に可愛らしく首を傾げた。
「そうなんだよ。 ちょっと予約立て込んでね。 ミーティングとか片付けとかで帰るの終電ギリギリなんてことも」
「そういう時のためにアッシー君を捕まえておかなきゃー。 乃蒼くんのアッシーにならなりたいって常連沢山いるの、あんた自身がよーく知ってるでしょうに」
ビンちゃんはそう言って笑い、小指を立てながら細いグラスでビールを飲んでいる。
乃蒼はその様子をジッと見て苦笑した。
「アッシーってまた古いなぁ」
「うるさいわねっ。 バブル世代なんだからしょうがないじゃない」
「それもそうか。 ていうか、今日めちゃくちゃ客少なくない?」
一体ビンちゃんはいくつなんだよ、と笑いながら乃蒼が辺りを見回すと、いつもは満員御礼なはずの店内が今日はガランとしていた。
カウンターに乃蒼ともう一人、テーブル席にはイチャつくゲイカップル。
それだけである。
「そうなのよ~。 みーんな、月光《らいと》の誕生祭に行っちゃってるんじゃないかしら?」
「あぁ……三月だっけ」
「そうよ。 三月十日。 ここんとこ毎年この日はお客取られちゃうから嫌だわ~」
ビンちゃんの嘆きに、はは……と渇いた笑いを漏らすと、グラスの中のサングリアをグイッと飲み干した。
乃蒼は決して、お酒には強くない。
だからこそ冒険しないままなのだが、飲みやすくて美味しいからと言っていつもグイグイ進んでしまう。
こんな無茶な飲み方をしては、毎回記憶を飛ばして我を忘れているというのに、乃蒼はちっとも懲りない。
今日は特にかもしれなかった。
“月光“という、乃蒼と同じキラキラネームを聞くと、嫌でも思い出されてしまう過去。
何の因果か、これほど近くにいるという事を知っても尚、乃蒼はこの店の常連から足を洗わなかった。
乃蒼は自重気味にフッと笑い、ビンちゃんにサングリアのおかわりを頼んだ。
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