個人授業は放課後に

須藤慎弥

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 橘は、かなり控え目ではあったがククク…としばらく笑い、スマホを耳にかざした。


「分かった分かった。  樹さんの言いてぇ事は」
『風助!  お前ポメ君ゲットしたんなら生涯守り通せよ!  俺みたいに可哀想な奴になるな!  分かったか!』
「分かったって」
『ポメ君に代われ!』
「また?  ……ん」


 可哀想な奴になるなってどういう事?と首を傾げた由宇に、笑みを携えたままの橘が再度スマホを渡した。

 樹のテンションの変わりようといい、橘のレアな笑顔といい、一人置いてけぼり状態の由宇は付いていけない。


「は、はい……っ。  かわりましたっ」
『ポメ君!  風助が何かやらかしたらすぐ俺に言ってこいよ!  あいつの弱点は俺しか知らねぇ!  そこつついてやる!』
「はい!  分かりました!」
『いい返事だ!  ポメ君と風助がくっつくなんて俺は夢にも思ってなかったから嬉しいぞ!  風助をよろしく頼むな!』
「よ、よろしくって、……!  よく分かんないけど、頼まれましたっ」


 先程のクールな樹と同一人物とは思えないほどのハイテンションさに、由宇もつられて元気に返事を返さざるを得なかった。

 隣でやり取りを聞いていた橘が「何言ってんだお前ら」と笑い、お茶に口を付けている。

 電話越しの総長様に同調しただけなのだが、とばっちりを受けて少々恥ずかしい。


「樹さん、もういいだろ。  切るぞ」
『えぇ、もうか!?  いいじゃん、あと五分くらい!』
「五分長げぇよ。  その五分あったら寝とけ。  じゃな」


 電話の向こうでブーイングが飛んでいたが、橘はあっさり通話を切ってしまうとスマホをテーブルに置いてさらりと由宇の肩を抱いた。

 いつもの三白眼の瞳が、優しげに目尻を下げて微笑んでいる。

 レア、なんてものではなかった。

 橘がこんなにも穏やかな表情をしているのを見るのは初めてで、あの樹は彼にとって本当に心を許せる人物なのだという事が如実に分かる。


「樹さんやべぇな。  睡眠不足になると人って壊れんのか」
「壊れるって……普段とは全然違うの?」
「違うな。  樹さん、酔っ払ってもあんなにぶっ壊れねーよ。  ハルって男と電話で話してた時も人格変わってたしな」
「……そうなんだ……」


 長い付き合いの彼らの間にも、まだ知らない事が色々とあるらしい。

 ただ、この橘の笑顔を見る限り、二人が気のおけない仲なのは確かだ。

 総長様直々に「よろしく頼む」と言われてしまった由宇は、橘の大切な友人からの言葉は真摯に心に留めておく事にした。


「メシ食わねーなら寝るか」
「え、先生、一服は?  しないの?」


 言いながら由宇は気付いた。

 ここ何日も橘の自宅に居たが、由宇の髪を弄って遊ぶ橘は見た限り一度も煙草を吸っていない。

 ガラステーブルに置かれているはずの灰皿がなくなっている事にも、今さら気が付く。


「やめたからな」
「え!?  や、やめたって……あ!  そういえば去年そんな話を女子としてたかも……!」
「覚えてねー」
「あれほんとだったんだ!  葉っぱはやめたって!」
「その言い草どうにかなんねーの?  やべぇの吸ってたみたいだろーが」
「先生がそう言ってたんだよっ」
「マジか。  さすが俺」


 フッと笑う橘の横顔は、穏やかとは程遠かった。


(なんでやめたんだろ……あんなにスパスパ吸ってたのに……)


 唖然とする由宇は、去年橘から距離を置かれ始めた頃の事を思い起こす。

 未成年の由宇がそこに居ようがお構いなしに、暇さえあれば煙草を咥えていたので橘は正真正銘のヘビースモーカーだと呆れていたものだ。

 車内で吸われると服や髪にもにおいが付いて気になり、何より煙くてあまり好きではなかった。

 吸っている姿は絵になってかっこよかったものの、あんなに吸っていたら体が心配にもなる。

 まさか本当にやめたとは思わなかった由宇は、興奮気味にテーブルを指差した。


「あ!  そういえば灰皿もないもんね!?」
「あぁ、いらねーし」
「な、なんでやめたのっ?  あんなに吸ってたのに……!」


 喫煙者が禁煙するのは大変だとテレビで見た事があった由宇には、あれほどヘビースモーカーだった橘が禁煙出来ている事が不思議でならない。


(だ、だって、テレビで見た人は死にそうな顔してたよ!?  やめるの大変だって!)


 目を丸くして驚いている由宇の耳元に、橘が軽めのキスをしてからぼそりと囁いた。


「お前が煙いってうるせーからやめた」
「へっ!?」


 慣れない橘からのスキンシップついでに、嬉しい台詞が鼓膜に浸透してきて頬が緩んだ。

 直接訴え続けていた由宇の不満が、橘を禁煙に導いたとは嬉し過ぎる。



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