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しおりを挟む起き抜け時の橘はとても機嫌が良かった。
珍しく由宇より先に起きていた橘に下半身を悪戯されながら支度をして、誰が作っているのか未だに知らない一人前の朝食を二人で分けて食べた。
ぐっすり眠れたおかげで昨夜の疲れはほとんどない爽やかな朝に、「夢見たか?」と藪から棒に問われて首を傾げる。
「え? うーん、見たような見てないような……」
「見ただろ?」
「なんで決め付けんだよー。 疲れてたから見てないと思う。 何にも覚えてないし」
「は?」
「えぇ……? 先生、何をそんなに怒ってんの?」
スーツのジャケットを羽織った橘が、キッチンカウンターに置いてある車のキーを取ろうとした手を止めた。
それも、由宇ですら一瞬「ヒッ」とたじろぐほどの睨みを向けながらである。
その顔は完全に怒っていて、今の会話のどこに機嫌が悪くなる要素があったのか分からず、無意味を承知でマフラーを鼻まで上げた。
当然、隠れたのは口元だけなので、丸出しの目元で橘からの睨みに対抗しなければならない。
「名前呼び損」
「何っ? 何の話だよ!」
「しばらく呼んでやらねーからな」
「だから何を!? なんでいきなり不機嫌になってるんだよ!」
「さーて。 今日の数学は抜き打ち小テストすっかなー」
「なんでぇぇーー!?」
不機嫌を顕にした三白眼をさらに細めて、由宇の元へじわじわ歩み寄ってくる。
とてもじゃないが、愛する恋人を見る目ではない。
(なんなんだよ~! 怖いよ~~! さっきまでの先生どこ行ったんだよ~!)
身支度の整った二人はすぐにでも登校できたはずなのだ。
朝からご機嫌だった橘と、和気あいあいで初々しいカップルのようにちょっとだけイチャついてみたりしながら、朝ごはんを分け合った。
気持ち悪くなるから食べないとごねる橘に、卵焼きを「あーん」で食べさせてやろうとすると、自然と口を開けてくれた。
由宇は「へへ」と照れ笑いし、橘はそんな由宇の頭をくしゃくしゃと撫でていた、数分前の甘い雰囲気はどこへ行ったのか。
現在は魔王が降臨している橘から距離を詰められ、由宇は恐る恐る三白眼を見上げる。
「お前が俺の夢を見てねーからだろ」
鼻まで上げた由宇のマフラーを人差し指で下げて顔を寄せてきた橘が、思いもよらない事を言ってきた。
「……えぇ……っ? 先生、訳が分かりません」
「俺の事だけ考えてりゃいいんだよ。 寝てる時も」
「せ、先生……?」
何を考えているのか読めない表情を間近に、由宇は橘のスーツの袖をきゅっと握った。
──こんな甘い台詞を吐くような男ではない。
橘の夢を見なかっただけで、これほどまでにやさぐれて苛立ちをぶつけてくるとは、予想外過ぎる。
嬉しいような、気恥ずかしいような、そんな思いで橘の瞳を見詰め返してみたものの、彼はまだ不機嫌だった。
「開発が足りねーみてぇだな」
「…………っっん……!」
迫っていた橘の唇の端が上がったと思った矢先、ちゅっ、とそれを重ねられて後ろに仰け反ってしまった。
開発なら足りている。
そんな事をしなくても、由宇は教師である橘を耽溺しているのだ。
振り返ってみれば入学式のあの日から橘を気に掛けていたというのに、何が足りないと言うのか。
「……っ、ちょ、先生……っ、遅刻す、る……!」
深い眠りに付いていた時、橘が優しくその名を囁いた事など知らない由宇は、動転しながらもイライラした舌を受け入れた。
仰け反った背中を、包帯が巻かれた方の腕で受け止めてくれたはいいが、朝一でするには刺激の強過ぎる口付けだ。
思わず下半身が疼くほどの熱を帯びた舌に、由宇はすぐに抵抗を諦めた。
「早く週末こねーかな」
呼吸が苦しくなる前に離れてくれた橘が、由宇の唇の端をペロ、と舐めて意地悪く微笑む。
よほど週末の逢瀬が楽しみなようで、魔王様の笑みはいつもの数倍は濃くて色っぽい。
「先生っ、そればっか!」
「当たり前だ。 授業より抜き打ちテストより今夜の開発と拡張の事で頭がいっぱい」
「教師にあるまじき破廉恥さ……!」
(何言ってんだ先生! 授業中も私情を挟んできそうで心配になってきた……!)
昨夜の口癖だった「犯すぞ」発言がポロッと飛び出さないか、非常に不安である。
「今日お前のとこは四限だったよな? テスト楽しみにしてろ。 ……あ、お前だけ問題が他の奴らとは違うかもしんねーな」
右手をポケットに突っ込み、玄関へと歩んでいた橘がニヤけて振り返ってきた。
腹が立つほどスーツが似合う。
「どういう事だよ!」
「そりゃもちろん夕べのおさらい」
「なっ!? いーやーだーっ!」
「朝からうるせーな。 抜き打ちテストなんだから他の奴らにバラすなよ」
「えぇっ……ほんとにテストやんの~?」
「ほら行くぞ。 遅刻すんだろ」
「先生がちゅーするから、っ!」
文句を言いつつ小走りで追い掛けた先で、またも軽く唇を奪われた。
こう何度もキスをされると、唇が腫れてしまいそうだ。
「そのちゅーって言い方は可愛い」
「…………っっっ!」
朝陽が柔らかく射し込む玄関先で、とてもレアな橘の優しい微笑みを見てしまった由宇は、怜に心配されるほど、午前中いっぱい熱に浮かされたように頬を赤らめていた。
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