個人授業は放課後に

須藤慎弥

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 ──怜の母親が退院した。

 橘が言っていた通り、怜がほぼ毎日通い詰めて何気ない会話をした事が功を奏し、二ヶ月足らずで怜の母親は復活した。

 怜と母親の二人の思いは、同じだという。


 父親が禁断の愛に走ってしまっているのなら、もう止めないでおこう。
 自分達が幸せであれば、それでいい。


 歌音をひどく憎んでいた怜の母親も、この二ヶ月で何が一番大切なのかを改めて思い知ったという。

 橘のシナリオは、復活した怜の母親が女として父親を振り向かせる努力をし始め、その思いが通じた園田家は無事にまとまる……というものだったが、恐らく結果はそれとは違っていく。

 ハンパではなく悪かったであろう橘を更生させようと親身になった人だから、いくら心を蝕まれていても、息子との対話の時間で少しずつ自身を取り戻す事が出来たのだ。

 母親との対面を怖がっていた怜は、それまでのもたつきをひどく悔み、その思いを吐露してきた。

 もっと早く動いていれば良かった、と。

 そんな怜の後悔をも母親は受け入れ、現在、怜と怜の母親は笑顔が絶えないらしい。

 橘との接触を制限されている由宇は立ち会えなかったけれど、唐突に怜から両親の離婚を聞かされた今、思わず抱き締めてしまった。


「怜……っ」
「家族ってね、仲良くあるべきだって無理に繕おうとすると逆にギクシャクするんだ。  お互いが空気みたいに、一緒に居なきゃ変って思ってこそ夫婦なんだって。  母さん、父さんの不倫に気付いてからは空気を吸えなくなってたみたいだから、それでおかしくなっちゃったんだな」
「………………」


 もうじき冬休みに入る学校内は、暖房が効いていても冷気が身に染みる。

 先月時点で離婚は成立していたらしいが、ちょうど、大事な期末試験と重なっていたので由宇への報告が遅くなったと謝られてしまった。

 由宇と橘が二人で動いていたので、てっきり怜は由宇もその事を知っているものだと思っていたのもあったらしい。


「由宇、あれから橘先生とはどうなってるんだ?」


 今日も、違うクラスの真琴が「怜様~!由宇~!」と言いながら笑顔でやって来るのを待っている。

 由宇の席でひっしと抱き合った二人は、今この現場を見られると確実に妙な噂を流されてしまうだろうが、進学校の放課後は不気味なほど静かなのでその心配はない。


「え、……別に、どうもこうも」
「キスは?  してる?」
「してないよっ。  俺が先生とどうにかなる事はないから!」
「…………由宇は俺と母さんを助けてくれた。  だから俺も由宇の力になってあげたいんだけど」
「ううん、大丈夫。  俺の気持ちは先生の迷惑になるだけだから、自然と消えてくれるまで待つ。  でも好きでいるのは自由だし、恋なんて初めてだから今は楽しいよ」
「由宇……」


 開き直って片思いを楽しみ、手助けはいらないと気丈な由宇を見て、怜はやりきれない気持ちでいっぱいなのだろう。

 眉尻を下げて、由宇を強く抱き締めてくれたのがその証拠だった。

 橘への恋心は、打ち明けなければ迷惑はかけない。

 つい昨日の事だが、成績が伸び悩む生徒がいると悪魔顔で珍しくぼやいた橘へ、由宇は精一杯想いを隠して返答した。


『ふーすけ先生、ほんとは優しいんだからもっと顔も優しくしなよ』
『あぁ?  俺は優しくねーって言ってんじゃん』
『そんな事言って、その生徒の個人情報調べ上げて成績底上げ企んでるくせに~』
『うるせーって』
『先生がほんとは優しいの知ってるもん。  先生は優しいよ、優しい』
『あーマジでしつこい。  お前うるせーからあっち行け』
『あっちってどっち?』
『てめぇ……』


 橘の人となりを知る由宇が、最近やっと覚えた悪魔のあしらい方。

 あと数日でこの個人授業も終わりかと思うと、悔いのないように会話を楽しんでおきたい一心である。

 由宇が橘に気のない素振りを見せ続けているからか、冷たいようでいて優しいいつもの橘が戻って来てくれて嬉しい。

 由宇が橘ではない誰かに片思いをしていると誤解していそうな発言を度々されるため、その度に「それ先生の事なんだけど」と内心では思いながら絶対に顔には出さないでいる。


「由宇、……片思いはツラいよ?  キスまでした仲なら、告白してみたらどう?」


 腕の力を抜いた怜が顔を覗き込んできて、由宇は両手を振って「いやいや」と笑った。


「こ、告白……っ!?  しない、絶対しない」
「どうして」


(どうしてって……)


 当事者で無ければ、由宇もこう投げ掛けていたかもしれない。

 キスまでした仲、と言われてしまったが、本当はそれ以上の事をしてしまっている。

 あれは何だったのか、どういうつもりで仕掛けてきたのか、「可愛い」と言ってきたのは本心なのか……。

 この疑問は心の奥底に閉じ込めたので、今さら考え込みたくなどなかった。

 雰囲気にやられたから、と言われても傷付くだけだし、由宇の事が好きだから、と言われれば我慢出来ずに告白して困らせてしまうのは目に見えている。

 どちらにしても橘の正義を踏みにじる事になりそうで、だからこそ由宇は片思いに甘んじているのだ。


「…………迷惑かけたくない、から……」


 本当は、告白できるもんなら玉砕覚悟でしてしまいたい。

 胸中を悟らせるように怜を見上げたその時、教室の扉が勢い良く開いた。


「あーー!!!  またそんなくっついてるーー!!」
「……うるさいのが来ちゃったか」


 真剣な話の最中に水を差したのは、溜め息を吐く怜様にご執心な、真琴であった。



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