81 / 195
9
9一1
しおりを挟むすっかり陽は暮れてしまい、念願の露天風呂に浸かっているはずの橘は車中からここまで何かの意地のように無言を貫いている。
ピリピリとした雰囲気を纏っているせいでまだ怒りが治まっていないのかと思ったが、魔王全開なので無言の理由を聞くに聞けないでいた。
(また大暴れしてたもんなぁ……)
橘の言葉達は小さな衝撃を生んでいて、由宇の心はツンツンと痛かった。
そんな心情に浸る間もなく、ヘッドホンからは少々の雑音混じりに橘の怒鳴り声と物が大量に破損する音が轟いてきて、咄嗟にイヤホンを耳から外してしまった。
とてつもない物音と、何と言っているかは分からなかったが橘の怒号は引くくらい壮絶であった。
呑気な二人が、以前と変わらないスタンスを継続中で「なぜ会ってはいけないのか」と橘の怒りに火を付ける能天気発言を繰り返していたせいだ。
話を聞くと言っていた通り、始めは真剣に耳を傾けていた橘も、ヘッドホンで中の様子を聞いていた由宇が思わず「ヤバイ!」と叫んだほど、呆気なくその時は訪れた。
最後の橘の台詞に、無神経なバカップル二人はきっとビビり上がった事だろう。
『二度目はねーぞ。 人の心の痛みを軽んじてる奴は俺が容赦なく制裁くわえるからな。 二人とも、左目と左耳使えなくなる覚悟しとけよ』
それは、橘の右足から繰り出される回し蹴りにて手痛い制裁をくわえる事を意味していた。
物を次々と破壊していたのは、本当は二人に回し蹴りをお見舞いしたいが妥協して暴れているのだと、そこで初めて知った由宇である。
怜の母親の状態を目の当たりにしたはずの歌音は、まったく心変わりしていなかった。
それだけ、怜の父親との恋愛に溺れているという事だ。
由宇にはとてもじゃないが分からない世界だった。
「ペナルティが12なんだけど」
「何っ?」
しばらく口を噤んで露天風呂に浸かっていた橘が、唐突に話し掛けてきた。
先程の怒号と捨て台詞にブルッと身を震わせた直後だったので、いきなりさも手伝い何と言われたのか分からなかった。
「ペナルティ。 今晩でチャラにしてやるから、拒むなよ」
(……ペナルティ? あぁ、ペナルティね)
「な、えっ!? ちょっと待って、俺の知らない間にどんどん増えてんだけど!」
納得しようとして慌てて橘を振り返ると、由宇から離れて露天風呂を堪能していた橘がいつの間にかすぐそばまで迫って来ている。
移動したはずなのにお湯の跳ねる音もしなかったから、橘の気配の消し方は尋常ではなくうまい。
などと悠長に感心している場合ではなかった。
ペナルティとやらが、由宇の記憶よりさらに追加されている。
「あー2はおまけ」
「何だよそれ! おまけシステム要らないよ! てかペナルティってマジで何!?」
「緑が見たかったのになー。 曇ってっから月も見えねーし。 ほんと最悪」
「ふーすけ先生!! はぐらかさないで教えてよ!」
橘は空を見上げて眉を顰めた。
まだ若干怒りの名残りがあるようだが、それは由宇には関係のない事だ。
いつもいつも、説明が足りない。
何度聞いてもはぐらかされる謎のペナルティで、由宇はいつまで怯えなくてはならないのか。
「教えるまでもねーだろ。 ペナルティはペナルティ。 俺をキレさせた分、ぷんポメは俺を宥めないとな」
「宥めるって……」
「いいか、明日からの放課後は勉強三昧だと思っとけよ。 職員会議の日は早めにLINEしとく」
「先生ーっ会話しようよ! 俺パニックなんだけど!」
話が噛み合わないのはよくある事だけれど、今日は特にヒドイ。
怜の説得は終わって次の段階に進んだのだから、放課後の約束も無くなったのだろうと思っていたがどうやら違うらしい。
今日は由宇にとって目まぐるしい一日だったので、頼むからこれ以上疲れさせないでほしいと思った。
ただ単に説明を欲しているだけなのだが、張本人は悪魔な顔で夜空を見上げて唸っている。
雲の切れ間から時々現れる月を眺めていた橘は、また少し黙った後、なんの躊躇もなく立ち上がった。
「出るか」
「ちょっ!? 待ってよ、先生! ……って、行っちゃうし」
(何だよあれ! 訳分かんないよー!)
気まぐれでマイペースなのはいつもの事だ。
だが今日は本当にいろんな事が起き過ぎた。
このままではとても眠れないと思い、橘を追い掛けた由宇も慌てて脱衣所へと向かう。
「先生! 何なんだよ! お願いだからちゃんと説明して!」
夕食時だからか、由宇達以外は誰も居ない広く快適な露天風呂を満喫する余裕は微塵も無かった。
浴衣を羽織る橘の色気に圧されながら、タオルを握り締めて詰め寄る。
「拭いて来いよ」
「俺はそれどころじゃないの! 先生、何がしたいんだよっ? 言いたい事もさっぱり分かんない!」
オロオロと取り乱す由宇を、冷静な橘の視線が射抜く。
(こ、この目……!)
意味深な視線から逃れるように、由宇は雑に体を拭いてから浴衣を羽織った。
全裸で居続ける事が嫌で大慌てだったのである。
そして苦手な帯を巻いてみようと頑張るが、思うようにいかなくて首を傾げてもたついた。
間近まで橘が迫っている事にも気付かないで。
「何がしたいって、セックス」
「セッ……!?? い、いや、俺はしたくない!!」
「お前とじゃねーよ。 何を勘違いしてんだ。 こんな雰囲気あるとこ居たら、そう思っちまうのはしょうがねーだろ?」
もたつく由宇の手から帯を奪うと、橘がサササッと帯をしめてくれた。
ネクタイもそうだが、由宇は不器用過ぎて仕上がりはいつもぐちゃぐちゃだ。
昨日も、そんな悲惨な帯を見て微笑を浮かべて巻き直してくれていたけれど、これは少しだけ抱き締められる態勢になるからかドギマギした。
入学式の日に桜の木の下でネクタイを結び直してくれた光景がチラついて、心臓がうるさくなってくる。
「せ、先生、っあの……」
(近い、近いよーーっ!)
「黙れ」
抱き締めてはくれない橘の顔が迫ってきている。
黙れと言われても、今にもキスされそうなほど迫られては心臓に悪かった。
説明のないキスなんか、されたくない。 どうせまたはぐらかすに決まっている。
由宇は拒否の意思を持って、迫り来る橘の胸を押した。
0
お気に入りに追加
228
あなたにおすすめの小説
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
創作BL)相模和都のカイキなる日々
黑野羊
BL
「カズトの中にはボクの番だった狛犬の『バク』がいるんだ」
小さい頃から人間やお化けにやたらと好かれてしまう相模和都は、新学期初日、元狛犬のお化け・ハクに『鬼』に狙われていると告げられる。新任教師として人間に混じった『鬼』の狙いは、狛犬の生まれ変わりだという和都の持つ、いろんなものを惹き寄せる『狛犬の目』のチカラ。霊力も低く寄ってきた悪霊に当てられてすぐ倒れる和都は、このままではあっという間に『鬼』に食べられてしまう。そこで和都は、霊力が強いという養護教諭の仁科先生にチカラを分けてもらいながら、『鬼』をなんとかする方法を探すのだが──。
オカルト×ミステリ×ラブコメ(BL)の現代ファンタジー。
「*」のついている話は、キスシーンなどを含みます。
※小説家になろう、カクヨムでも掲載しています。
※Pixiv、Xfolioでは分割せずに掲載しています。
===
主な登場人物)
・相模和都:本作主人公。高校二年、お化けが視える。
・仁科先生:和都の通う高校の、養護教諭。
・春日祐介:和都の中学からの友人。
・小坂、菅原:和都と春日のクラスメイト。
愛され末っ子
西条ネア
BL
本サイトでの感想欄は感想のみでお願いします。全ての感想に返答します。
リクエストはTwitter(@NeaSaijou)にて受付中です。また、小説のストーリーに関するアンケートもTwitterにて行います。
(お知らせは本編で行います。)
********
上園琉架(うえぞの るか)四男 理斗の双子の弟 虚弱 前髪は後々左に流し始めます。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い赤みたいなのアースアイ 後々髪の毛を肩口くらいまで伸ばしてゆるく結びます。アレルギー多め。その他の設定は各話で出てきます!
上園理斗(うえぞの りと)三男 琉架の双子の兄 琉架が心配 琉架第一&大好き 前髪は後々右に流します。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い緑みたいなアースアイ 髪型はずっと短いままです。 琉架の元気もお母さんのお腹の中で取っちゃった、、、
上園静矢 (うえぞの せいや)長男 普通にサラッとイケメン。なんでもできちゃうマン。でも弟(特に琉架)絡むと残念。弟達溺愛。深い青色の瞳。髪の毛の色はご想像にお任せします。
上園竜葵(うえぞの りゅうき)次男 ツンデレみたいな、考えと行動が一致しないマン。でも弟達大好きで奮闘して玉砕する。弟達傷つけられたら、、、 深い青色の瞳。兄貴(静矢)と一個差 ケンカ強い でも勉強できる。料理は壊滅的
上園理玖斗(うえぞの りくと)父 息子達大好き 藍羅(あいら・妻)も愛してる 家族傷つけるやつ許さんマジ 琉架の身体が弱すぎて心配 深い緑の瞳。普通にイケメン
上園藍羅(うえぞの あいら) 母 子供達、夫大好き 母は強し、の具現化版 美人さん 息子達(特に琉架)傷つけるやつ許さんマジ。
てか普通に上園家の皆さんは顔面偏差値馬鹿高いです。
(特に琉架)の部分は家族の中で順列ができているわけではなく、特に琉架になる場面が多いという意味です。
琉架の従者
遼(はる)琉架の10歳上
理斗の従者
蘭(らん)理斗の10歳上
その他の従者は後々出します。
虚弱体質な末っ子・琉架が家族からの寵愛、溺愛を受ける物語です。
前半、BL要素少なめです。
この作品は作者の前作と違い毎日更新(予定)です。
できないな、と悟ったらこの文は消します。
※琉架はある一定の時期から体の成長(精神も若干)がなくなる設定です。詳しくはその時に補足します。
皆様にとって最高の作品になりますように。
※作者の近況状況欄は要チェックです!
西条ネア
寮生活のイジメ【社会人版】
ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説
【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】
全四話
毎週日曜日の正午に一話ずつ公開
有能社長秘書のマンションでテレワークすることになった平社員の俺
高菜あやめ
BL
【マイペース美形社長秘書×平凡新人営業マン】会社の方針で社員全員リモートワークを義務付けられたが、中途入社二年目の営業・野宮は困っていた。なぜならアパートのインターネットは遅すぎて仕事にならないから。なんとか出社を許可して欲しいと上司に直談判したら、社長の呼び出しをくらってしまい、なりゆきで社長秘書・入江のマンションに居候することに。少し冷たそうでマイペースな入江と、ちょっとビビりな野宮はうまく同居できるだろうか? のんびりほのぼのテレワークしてるリーマンのラブコメディです
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる