個人授業は放課後に

須藤慎弥

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 由宇は泣き続けていて、怜はそんな由宇を抱き締めたまま離れないしで、時間だけが刻々と過ぎていった。

 疲れきって眠気が襲ってくるほど泣いて、しばらく怜の胸元に収まっていたがふと我に返って視線だけで壁時計を見る。


「あ……」
「どうしたの?」
「……お母さんのお見舞い、行かない?」
「えっ、今?  ……ちょっと今は……」
「そ、そうだよね、行かないよね……。  俺がとんだ馬鹿野郎なせいで怜を傷付けておいて、行けるわけないよ……ごめん、無神経にも程があった」


 橘はしきりに、「見舞いに行く前に別れ話をしろ」とうるさかった。

 どんな結末になるかも分からないのに、絶対に順序を間違えている。

 ソッと怜の腕から離れた由宇は、何も言わない事で怜の気持ちを表していると思い、ゆっくり立ち上がった。

 虫が良すぎたのだ。

 こんな事になって、じゃあ早速友達に戻りましょう、と簡単に切り替える事など出来るわけがない。

 由宇にはまるで経験の無い恋というものを、怜がどれだけ自分に向けているかは分からないけれど。


「……怜、ほんとにごめんね。  俺の顔なんてもう見たくないだろうから、……行くよ……」
「ちょ、待って。  大丈夫だから。  ……俺も友達としての好きって意味だったよ」


 部屋を出て行こうとした由宇の腕を掴んだ怜が、耳を疑う信じられない事を言った。


(…………怜、今……なんて……?)


 お互いが勘違いしていて、怜はルンルン、由宇は「どうしよう」の状況だったのではないのか。

 友達になど戻れない、むしろ、何で早く訂正してくれなかったんだとキレられる事も想定していた。

 思いもよらない怜の台詞に、由宇の頭は思考停止してしまう。

 振り向いて怜の瞳を凝視すると、苦笑が返ってきた。


「え……、?  何?  それ、どういう……」
「由宇の勘違いじゃない?  俺の好きって言葉、そんなに重たく聞こえた?」
「な、何……?  何……!?」
「やだなぁ、由宇の早とちりだよ。  俺も由宇の事、大切な友達だと思ってる。  好きって意味、違うよ?」
「そ、そそそそうなの!?!  な、なーんだ!!  そうだったんだ……!!  なんだ、なんだ……っ」


 怜からのあっさりな返答に、由宇の涙腺はまたも崩壊した。


(……良かった……!!  ……良かった…!)


「あれっ、なんでまた泣くかな?  ……おいで、安心した?」
「……っっうん!!!  怜ーーー!!!」


 両腕を広げて待つ怜の胸へ、由宇は泣き笑いしながら飛び付いて行った。

 心が壊れそうなほど、ぐるぐると悩んだこの数日がすべて無駄だった、素晴らしく下らない悩みだったのだ。

 ホッとして、安堵して、全身に血が通い始めたのが分かる。

 友達にすら戻れないと覚悟していたのに、こんなにも呆気ない結末でいいのだろうかと新たに幸せな不安を感じた。

 怜の背中に腕を回して強くしがみつくほど、由宇は切羽詰まっていた。


「はいはい?  ……で、今日お見舞いに行きたかったんだ?」
「……うん、……そうなんだ。  話しておきたい事がもう一つあって……」
「何だろうな、ちょっと怖いんだけど」
「それは、その……一緒に来てくれたら分かるっていうか……」


 実は別れ話がうまくいったその後に、橘と共に三人で怜の母親の見舞いに行こうという話になっていた。

 もしうまくいかなければ、由宇は一人で出て来る事になるので、その時は橘のシナリオすべてが無駄になる。

 由宇と怜の友達関係の破綻と共に、作戦を一から練り直すという不都合も生じた可能性があり、はじめに話し合うというのはかなりのギャンブルだったのだ。

 何とも呆気ない付き合いは終焉を迎えられて本当に良かったが、これから怜には「見舞いに行く」と返事をもらって、さらに「橘の車で三人で」というのも了承してもらわなければならない。

 見舞いに行く事自体もそう簡単には頷いてくれないだろうと案じていたら、なんと望ましい返事をくれそうな気配だ。

 まだギュッと抱き締め合っているので、由宇の耳元に少しだけ落ち込んだ怜の声が届く。


「……ふぅ、お見舞いか……。  行くって言わなきゃその話もしてくれないんだろ?」
「そ、そうなるかな……?」
「分かった。  ……支度してくるから待ってて」
「え、……い、いいの?」
「由宇が一緒に来てくれるなら行くよ。  話しておきたい事っていうのも猛烈に気になるし」


 ね、と眉を下げて微笑んだ怜は、静かに部屋を出て行った。

 ここが怜の自室なのにどこで支度をするというのだろう。


「あ、髪型とかセットしに行ったのかな?」


 久しぶりに会うのだろうから、少しでも小綺麗に見せておかないと母親が心配するかもしれないと思い立ったのか。

 数分で戻ってきた怜は、出て行った時とあまり髪型は変わっていなかった。

 そのかわり、女性もののボストンバッグを持って現れたので、母親の着替えなどを準備していたのだと気付く。


(ほんとバカだな、俺……髪型のセットとかどうでもいいじゃんな)


 考えが浅はか過ぎるから、いつも橘に軽口を叩かれて揶揄われてしまうのだ。

 もう少し冷静になって物事を見ないと、いつまで経っても橘の手のひらの上でコロコロしないといけない。


「……行こうか」
「うん……。  俺から誘っておいて何だけど、怜、……大丈夫?」
「ん~……大丈夫ではないなぁ。  由宇の勘違いにビックリしてすぐ、これだからね。  気持ちの整理がまだ出来てない」
「そうだよね。  ……でも俺こんなアホな奴だけど、見捨てないでよ?  怜と友達に戻れないかもってめっちゃ怖かったんだから……」
「そっかそっか、そんなに悩ませてしまったんだ。  俺の方こそごめんね」
「い、いや、謝らないでよ!  どちらかというと俺の方が悪いし……」


 エレベーターで一階へと降りていく最中も、二人は互いに謝りっぱなしだった。

 思い違いであったらいいと夢にまで見て悩んでいたから、これは由宇にとっては最高の結末だった。

 怜は変わらず友達のまま、由宇の心を温かく優しく支えてくれるであろう事がこんなにも嬉しいなんて……。


(やっぱり怜は、親友だ!)



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