個人授業は放課後に

須藤慎弥

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7一3

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 どうしよう。

 この言葉を夕べから何度口走ったか分からない。

 何も知らない由宇を、怜は気持ちが通い合ったからと言ってその日のうちから手を出すような男ではないから、それはとても助かった。

 男女の付き合いですらまだなのに、友人である怜と、男同士のお付き合いが始まるなど予想だにしていなかった現実に溜め息しか出てこない。

 そもそも、怜が自分をそういう目で見ていたとは知らなかったため、その意味での驚きもかなりのものである。

 朝起きてから下校間際まで、学校でもお構いなしに怜はいつにも増して甘やかしてきてベタベタし、完璧な「彼氏」として由宇のそばに居た。

 それは周囲からしてみればいつもと同じ光景だったのだが、昨日一つ段階を踏んでしまった事により由宇の中では「いつも通り」では到底なかった。

 早く誤解を解かなければ、時間が経てば経つほど真剣な様子の怜を傷付けてしまう。

 かと言って今さら後には引けずに、どうしようと心の中で連呼し続けた。


「はぁぁぁ……」
「何だよ、んなでっけー溜め息ついて。  腹減ってんの?」


 いつもの生徒指導室で橘に真面目に数学を習っている最中も、昨日とは打って変わってまったく集中できない。

 怜の家に泊まると告げた翌日から橘は「メシ行こ」とは言わなくなり、怜の一件は由宇に任せてくれているためこうして真剣に数学を教えてくれている。


「…………ううん」
「あの話はどーなった?  進んでんのか?  母親の件」
「…………あ~その事なら、大丈夫。  お見舞い行くって」
「は?  それ早く言えよ。  すげーじゃん、一週間かかってねー」


 よくやったな、と珍しく上機嫌に褒めてくれているが、由宇はその悪魔顔をぼんやり見詰めて乾いた笑いを漏らした。

 それどころではないのだ、由宇は。


「そうだね~良かったね~…………」


 母親の件は今後、怜がひたすら母親と向かい合えばきっと、あとは橘と愉快な舎弟たちが何とかしてくれる。

 最初のうちは怜も緊張するだろうから由宇も病院に付き添ってあげるつもりではいるが、その怜が由宇と付き合っていると勘違いしているので頭が痛い。

 気の無い返事と虚ろな瞳から何かを察した橘は、教科書とノートを閉じて机に肘を置いた。

 そうして問い詰めモードに入った橘にも気付かず、消しゴムを持ったまま微動だにしない由宇は心ここにあらずだ。


「おい、何があった」


 明らかに様子のおかしい由宇に橘は訝しさを覚えて、ガムを一つ取り出して咀嚼する。

 抜け殻の由宇は話し掛けられて虚ろに橘を見たが、またガム食べてる、と見当違いな事を思った。


「…………え?  何も?」
「アホ面してねーで話せ」
「失礼な。  こういう顔なんですー」


(話せるわけないじゃん。  ……これはふーすけ先生には関係ないもん)


 あの時、すぐにきちんと訂正しておけば良かったと後悔しても遅い。

 しかも怜にあれだけ嬉しそうにされては、言い出そうにも言えるわけがなかった。

 誤解なんだと告げた時、肩を落として「勘違いして、ごめんね」と力無く悲しげに微笑む怜を想像すると余計にだった。


「そういう顔なのは知ってる。  マジで話せ。  昨日、何があった」
「えっ、昨日何かあったって何で知って……」
「何かあったんだな?」
「うっ…………」


(やだなー、こう鋭いと隠し事も出来ないよ)


 しらを切ろうとしていた由宇の作戦は早々と失敗に終わり、そうなるとこの期に及んで嘘などつけない。

 言葉を選ぼうにも思い付かず、由宇はそのままを口にした。


「怜と付き合う事になった……っぽい」
「はっ?」
「え?」


 橘が驚いている。

 普段は半分ほどしか開いていない三白眼が完全に開眼したのを、由宇は初めて見た。

 そんなに驚かれるとは思わず動揺し始めると、すぐに通常の悪魔面に戻って由宇を凝視している。


「いや、言ってる意味が分かんねーんだけど。  お前らそういう感じだったのか?」
「いや……好きって言ったら勘違いされた……」
「なんでダチの家に行って好き好き言うんだよ」
「好き好きは言ってない……!  怜の事好きって言っただけ!」


 あの時の会話の流れ的に、おかしな点は無かったはずだ。

 友人として大好き、そう言って何が悪い。

 橘に話してしまうと途端に心が軽くなり、由宇に覇気が戻ってきた。

 一日中、心の中で「どうしよう」と連呼するのは精神的におかしくなりそうだった。

 揶揄されるのを承知していたが、橘は意外なほど平然と受け答えをしてくれている。


「そりゃ男なら勘違いするだろ。  ダチに言われたら普通はしねーけど。  ひょろ長がお前を好きだったんなら告白されたと勘違いされてもおかしくねーよ」
「でも俺そういう意味で言ったんじゃないんだよ……!  怜の事大好きだけど、それはそういう意味じゃない!」
「俺に言うなよ」
「……あ……ごめん……」


 勢い余って怜に言うべき台詞を橘にぶつけてしまっていた。

 「どうしよう」の次にそればかりを考えていたから言いたくてたまらなかったが、橘に言うのは違った。

 由宇はシュン…と肩を落とす。

 怜を傷付けないように誤解を解くにはどうすればいいのか。

 昨日その勘違いに気付いた時点で訂正していたとしても、結局、怜を落胆させてしまっていたかもしれない事に気付いて机に突っ伏して呻いた。

 いつの間にか由宇の勉強道具は橘によってすべて鞄に直されていたが、余裕のない由宇はずっと摘んでいた消しゴムは指先から離さない。


「あんな事やそんな事はしたのか?」
「っっ!?  し、してないよ!  怜は優しいから付き合ってすぐにはそんな事しないと思う!」


 不躾な問いに、ガバッと上体を起こして冷ややかに見てくる無表情男に噛み付いた。

 昨日もいつもと変わらず清らかに寝ましたとも。

 「おやすみ」の後に「好きだよ」と囁かれはしたが。



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