個人授業は放課後に

須藤慎弥

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 夏休みに入ると、勉強漬けの毎日と猛暑により頭が沸騰しそうだった。

 両親の不仲は顕著となり、八月に入ると父親がとうとう家に帰って来なくなってきて、それに乗じて母親の機嫌も悪い。

 家の中は重く暗い雰囲気が毎日漂っていて、由宇はできる事ならこの家から早々に出て行きたかった。

 医師である父親の背中を見ていれば、自分も医師になるのが当然なのだろうと思っていたけれど、こんなに悪い見本があってはそれは目標にはなり得ない。

 由宇は家庭教師を断った。

 母親には、それでも成績は落とさないからと一生懸命告げて、怜と居る時間を優先したのだ。

 怜との方が勉強が捗るし、家から出る口実にもなる。

 とにかくこの家に居続けるのが苦痛なので、大学には行かずに高卒で就職して、一刻も早くここから出たいとさえ思うようになっていた。

 同じ境遇になりつつある由宇と怜は、学校でも休日でも常に一緒に居る事が多くなった。

 その日も、由宇はいつも通り怜の家へと向かっていた。

 明日からお盆休みに入るので連泊する気満々で、今日は勉強道具以外にもお泊りセットが由宇の重そうなリュックには詰まっている。


(うげっ、また橘じゃん……)


 この間のような事があってまた橘と出くわしたら気まずいので、今日はあえて大きな通りの方を選んだというのに、由宇の前にはまた四名の取り巻きを連れた橘がこちらへ歩いてきていた。

 橘は課外授業にはあまり入っていなかったため、会うのはあの公園での数分以来だ。

 入学してもう四ヶ月というのに、橘が新任教師であるという事を由宇はつい最近怜から聞いて驚いた。

 若そうだと思ってはいたが、まさか大学を卒業したばかりの新米教師とは思わない。

それは多分に、あの態度のデカさとふてぶてしさ、そして醸し出されるベテラン感のせいだ。


「おい、やっぱり俺の後を尾けてんだろ」


 すでに目が合ってしまっていたので、回れ右するとわざとらしいからと由宇は何食わぬ顔で通り過ぎようとしたのだ。

 それを悟って知らん顔してくれればいいものを、わざわざカチンとくる言葉付きで腕を取らなくてもよくないか。


「尾けてないって!」


 イラッとして腕を払い除けようとするが、思いの外強く握られていてそれは叶わなかった。

 由宇が橘の腕ごとブンブン振っていると、取り巻きの一人が不思議そうに由宇を見ている。


「風助さん、この子誰っすか?」
「教え子」
「え?  風助さん高校の先生じゃ……」
「あ、お前それ以上言わない方がいいぞ、こいつ……」
「小学生に見えるってのか!  失礼な!」


 取り巻きの一人は由宇の顔をまじまじと見て言った。

 それにキレないはずもなく、由宇は年上だろうが知るかとの思いでキッとその男に小さな牙を剥くと、橘が片方の端だけを上げて笑うのが横目に見えた。


「うぉ、チワワに吠えられた」
「あーあ、怒らせた。  だから言ったじゃん」
「……チワワぁぁ!?」
「良かったな、フレンチブルとかあっち系のブサカワの方言われなくて」
「そういう問題じゃない!!  俺フレンチブル好きだし!」


 由宇がそう叫ぶと取り巻き達は一斉にゲラゲラと笑い始めて、非常に不愉快な気持ちになった。

 失礼な事を被せてきた橘に、まさしく怒った顔で睨むと無表情で見下されて、何の感情も見えないそれもまたムカつく。


「何だ、この子。  可愛いっすね」
「今時の高校生ってこんな感じなんすか?」
「風助さんがこんな子達を教えてるってまるで想像できねーっす」


 一見怖そうな見た目の取り巻き四名は、橘を「風助さん」と呼んでいる。

 由宇を怒らせる事がもはや特技である橘は、タバコに火をつけながら由宇の腕を解放した。


「こいつみたいのばっかじゃねーよ。  こんだけ分かりやすい奴しか居なかったら授業も楽だけど、そうもいかねーもんな」
「……っ俺もう行くから!  ……ふんっ」


 由宇は鼻息荒く橘の脇をすり抜け、取り巻き連中の間を闊歩してやった。


(分かりやすい奴って俺の事だよな!  ……んっとに腹立つ奴!)


 これが橘なのだから怒りも湧かない、そう思っていたのに、いざ面と向かうとイライラは堪えきれなかった。

 しかもこう何度も出くわすという事は、やはりこの辺が橘の縄張りなんだとムカつきながらも納得し、その場を後にする。

 だが、今物凄いチャンスなのではないかと、真正面を向いたまま由宇は立ち止まった。


(婚約者の事、聞いてみなきゃ……!)




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