アルスマグナ

雨音雪兎

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第1章 吸血鬼事件

夏休みの約束×目撃者×推理

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 異能特区の行政執行部に所属する漆原陽だが、その本分は学生である。緊急を要する案件でもない限りは毎日登校して学業に励む。放課後の時間が拘束されてしまう部活動に所属するのもそのためだ。新聞部を選んだのは執行部という立場からの思惑もあったが、それを抜きにしても陽は学生生活を謳歌している。

 宗教特区でオルガとの邂逅を得た翌日も陽は普段通り学校に登校していた。一限目から授業を熱心に受け、放課後は新聞部の部室で部長の調と世間を騒がすネタを交換する。その最中で調は調査の打ち切りになった吸血鬼事件を纏めた原稿を陽に手渡した。これは学校新聞として掲示板に張り出す前に原稿を確認し合う新聞部ならではのルールだ。

 陽は一言も発さずに原稿を視線で追っていく。その合間、調も声を掛けるようなことはせず椅子に座って時を待つ。調にとってこの時間帯が一番、緊張する時である。学校の部活動とはいえ、載せられる記事は本格的なもの。それに伴って陽の審査も厳しいものとなっていて、これまでに没になった原稿は数知れない。

 原稿を読み切った陽は肩の力を抜いて一呼吸を入れてから原稿を調に返した。

「硬くも柔らかくもなく、でも革新には迫っている。とても面白くていい記事だと思います」

 陽の評価に調はガッツポーズした。原稿が一発で通ったの久々だっただけに感動は倍増である。その感動を活力に調は早速、新聞づくりの本番に着手し始めた。自作の新聞のフォーマットを使用しながらキーボードを叩いていく。こうなると外の声が届かなくなる程の集中力を発揮する。なので陽は完成するまで読書でもして時間を潰すのが定番だ。しかし、今回に限っては調自ら会話を始めた。

「そうそう。原稿の精度を上げる為に別れた後も少しだけ取材を続けていたのだけど――」

「先輩?」

「あはは、ごめんごめん。ちゃんと一線は敷いて危険な取材はしてないから許して。これまでの情報をより信憑性を高いものにしたくて、知り合いに話を聞きにいっただけだからさ」

「……はぁー、まあ、何事もなかったので今回は不問としますが、次からはちゃんと守ってくださいよ?」

「はーい」

 返事を伸ばしている辺りこの人は懲りていないな、と陽は肩を竦めながら半ば諦めた様子を見せる。

「それでね? その知り合いというのが宗教特区にいるのだけど――」

「まさか無断で宗教特区に入ったわけではありませんよね?」

「あはは、さすがの私もそこまで無謀なことはしないよ。その知り合いが行政から許可をしっかりと貰ってくれたから安心して」

 正式な手続きを通して渡ったことに陽は安堵の息を漏らす。無断はもちろん、裏工作で不正に渡れたとしても、それが露呈することがあれば執行者である陽でも庇いきれなかったからだ。

「あまり無茶はしないでくださいよ……。それで? 宗教特区で何かあったのですか?」

「そうそう。宗教特区の東方区画に死の森と呼ばれる場所があるのは知ってる?」

「ええ。死の森は有名ですからね。……まさか死の森に入ったんですか⁉」

 調は必死に首を左右に振った。

「入ってはいないよ!」

「つまり近寄りはしたんですね?」

「ゆ、誘導尋問だよ、それー……」

 調は肩を落としながら半ば認めた形になった。死の森は立ち入り禁止区域ではあるが、その手前までなら近寄る事は許可されていることから調が責められる謂れはない。それでも絶対的な安全が保障されていない場所にたった一人で近寄った行動に調は反省した。

「そ、それはそれとして、その死の森から馬鹿でかい猪が出てきて、若者たちを食べたのよ」

「変異種ですね。その危険性があるから死の森は禁止区域に指定されいるわけですが。その若者たちが死の森に足を踏み込んだ理由は知りませんが、捕食されたのは自業自得としか言えませんね」

「陽君ってさ、そういうところ厳しいよね。まっ、私も同意見だけど。……それで私が伝えたいのはその若者たちのことじゃなくて、巨大な猪の横をよぎって死の森へ入って行った人がいたこと」

「……それは本当ですか?」

「ええ。全身をローブで隠していたから顔どころか性別もわからないのが残念だけど……」

「そう、ですか……。確かにそれは残念ですね……」

 言葉とは裏腹に陽の興味はローブの人物に傾いていた。

「そうそう。ところで陽君は夏休み、予定あるのかしら?」

「夏休みですか? これといって予定は立てていませんが、どうしてですか?」

「よかったら新聞部の部活動と銘打って海でもどう? ここ最近は吸血鬼事件を追い続けていたから、それに対しての休暇みたいなものかな。一人や二人ぐらいなら友達を呼んでも大丈夫よ」

「それは面白そうだ。是非、遊びに行きましょう」

「でしょうでしょう。計画は私に任せておいて。完璧なものに仕上げておくから」

 夏休みを想像しながらも執筆の手を止めない調の後ろ姿を陽は見守りながら、彼もまた夏休みに期待を寄せていた。一方で死の森に姿を消したローブの人物に対しても気に留めていた。

 その日の夜、陽は宗教特区にある死の森の前に訪れていた。そこに連絡を受けた那月とクラリッサも到着する。

「死の森か……。確かに身を隠すには持ってこいではあるが――」

「ですが死の森は多数の行方不明者を出しています。そんなところで本当に人が暮らせるのでしょうか?」

 陽からの連絡で一定の情報を知った二人はそのうえで疑ってかかる。死の森の実情を知る者なら当然の反応だ。

「普通なら無理だろうし、そこを住処とする理由もない」

「裏を返せば死の森を住処にしなければならない理由があるということか」

「死の森を住処にしなければならない理由ですか……」

 クラリッサは腕を組んで考える。死の森の特徴といえば真っ先に出てくるのは変異種の動植物。それらは異名持ちの人物まで捕食する力を持ち、それが禁止区域に指定された理由の一つだ。それによって人が近寄らなくなり、そこでクラリッサはひとつの予想にたどり着いた。

「そうか! 人目に見せることの出来ない何かを隠している!」

「おそらくそうでしょうね。そしてそれが吸血鬼の正体だと陽は考えているみたいだな」

 言葉と共に那月の視線を受けた陽は首肯した。それにはクラリッサも驚いた様子を見せる。

「漆原さんは吸血鬼事件には犯人が二人いると⁉」

「二人かはわからないが、複数犯だとは思っている。実際に被害者から吸血する者と、その犯人に指示を出すような人物がな」

 そして、と陽は推理を続ける。

「吸血鬼が起こした事件は最初の被害者とブルーノだけではないかとも考えている」

 その推理には那月も驚きを隠せなかった。殺しの手口が一緒だったことから事件は一連のものだとして捜査してきたからだ。

「よく考えてみてください。仮に吸血鬼の存在を人目に触れさせたくないのであれば十一人の被害者は数が多すぎるとは思いませんか?」

「……確かにあれだけ被害者を出せば否応でも世間は騒ぐ。それは犯人が望ましく思わないところ。それに――」

 それに、とクラリッサに代わって那月が言葉を続ける。

「それに宗教特区の被害者は一番目の女性と十一番目のブルーノ。仮に死の森にいる何者かが犯人だとしたら共通点がある」

 それらはあくまで推理の域を出ないものだ。明確な証拠もない。人の命を弄ぶ犯人の手口は一緒であることを考えれば同一犯であると考えるのが普通である。それでも確信に満ちたものが三人の中にはあった。それが何で、どこからくる自信なのかもわからないが、敢えて答えるのなら、それは三人がこれまでに培ってきた経験。常識では推し量ることの出来ない数々の事件や事象を体験してきたからこその実戦の勘である。

「仮に残りの九人が模倣犯による犯行だとしたら、本物の犯人はそれを隠れ蓑とするでしょうね」

 吸血鬼事件が世間で騒がれたからにはそれを利用した動きをすると那月は考えた。そのことに後の二人も納得した様子を見せる。

「とにかく今は目の前の可能性を片付けることにしましょう」

 陽は手を叩いて空気を断ち切った。どれだけ推理をしたところで想像の域を越えないからには行動を起こす必要があると考えたからだ。そして犯人が潜伏している可能性がある場所が目の前にあるのなら見逃す手はない。

 三人はそれぞれ顔を見合わせて頷き合い、立ち入り禁止区域に足を踏み込んだ。
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