アルスマグナ

雨音雪兎

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第1章 吸血鬼事件

助けを乞う者×助けに来た者×助けを依頼した物

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 陽と那月が合流してから数日後、ブルーノとクラリッサは総術特区に潜伏していた。

 潜伏先は古びた教会だ。十二年程前まで運用されていた教会も管理する者がいなくなったことで見る影もないほどの凋落ぶりである。その最中でも雨風に晒され続けてきたことで内外共に腐って朽ち果てている。その外観はお化け屋敷と噂される程で、地元の人間でも近寄ろうとはしない。その事が潜伏先として有利に働いた。

 魔術師による襲撃を受けたブルーノとクラリッサは一点突破することで敵の包囲網を破るも、無傷の生還というわけにはいかなかった。魔術によって受けた裂傷や火傷が全身に及んでいる。命に関わる傷ではないが万全なパフォーマンスは難しいだろう。これからの吸血鬼事件の動きを考えれば環境が整った場所で治療に専念することが望ましい。しかし、ブルーノとクラリッサはその選択を除外した。それは負った怪我の具合を軽く見たからではなく、単純に身動きが取れない状況下に身を置いているからだ。

 教会の外に出ていたクラリッサが戻ってきた。黒套のフードを外して、纏めていた髪を払う。反動で金色の髪が靡き、額から汗が滴った。肩を上下に動かして息を切らす姿から彼女の疲労感が分かる。クラリッサは少しずつ息を吸っては吐くといった呼吸法で息を整えてから待機しているブルーノの元に足を進めた。

 教会の奥で身を隠すブルーノは近づく足音に気付いた。聴覚を研ぎ澄まして足音と歩隔に注意する。人の容姿が個人で違うように、歩行の際にかける重心の違いなどで足音が違い、歩隔も同様に個人差がある。当然その情報だけで相手を判断するのは困難を極めるが、付き合いの長さが補填する形でブルーノの力となった。

 教会の奥へと続く扉が開いた。ブルーノとクラリッサの視線が合う。その瞬間にお互いの心はホッと安心した。

「ただいま戻りました」

「ご苦労様。外はどうだった?」

 クラリッサは左右に首を振った。

「変わらず魔術師が巡回しています。発見されずに逃走できるとはとても……」

「時間がたてば警戒が和らぐかと思ったが、甘かったか。俺たちの身柄を確保するまでは警戒の手を緩めないだろうな」

「どうにか外とコンタクトを取ることが出来たらいいのですが……」

 クラリッサは黒套のポケットに手を入れて一台の端末を取り出した。二人が連絡手段として用いている通信機器だ。画面に表示された充電量の数値は十分にある。しかし、使用したくても使用できない状況に陥っていた。

「魔術による通信妨害。術開発を進めている噂は聞いていたが、完成していたとはな」

 ブルーノは思わず舌打ちをしてしまう。この状況は宗教特区の情報収集能力が総術特区の情報管理力に劣っていた何よりの証明だからだ。

 それと同時に危機感も覚える。これまで通信の阻害や機器の開発などの技術は科学特区の独壇場だった。そこに別の方法で対抗できる手段を得たとなれば拮抗していた勢力図に変化が生じてしまう。宗教特区の一員とするブルーノにとっては望ましくない。

「……クラリッサ、お前まだ動けるな?」

「は、はい、もちろんです。ブルーノさんに庇ってもらって軽傷で済みましたから」

「よし、それなら大丈夫そうだな」

「大丈夫そうって……、まさか私一人で逃げろと言うつもりではありませんよね⁉」

「そのまさかだ。このまま二人で潜伏していても助けはこないし、発見されるのも時間の問題だろう。通信妨害で端末の使用もできない。それなら危険を冒してでも賭けに出る必要がある」

「しかし! それではブルーノさんが危険です!」

「危険なのはお互い様だ。むしろ敵陣に単独で動くお前の方が危険度は高い」

 ブルーノはクラリッサの両肩を掴んだ。

「やってくれるな?」

 両肩から伝わってくる力強さと揺るがない決心の眼差しにクラリッサは観念した。

「……わかりました。必ず! 必ず助けを連れて戻ってきます!」

「ああ、任せたぞ」

 助けを呼びに行く覚悟をしたクラリッサの背中をブルーノは見送った。

                 ◇

 教会で動きがあった一方その頃、陽と那月も総術特区に足を踏み込んでいた。人目につかないように建物の屋上を飛び越えながら先に進む。人の往来の中を堂々と進まないのは無断で総術特区に侵入したからだ。

「さて、と。予定とは違ったが総術特区の侵入には成功したな」

「その違った予定が間違いなく面倒事だと思うのですが?」

「面倒事だろうな。襲撃を受けた巡回神父とシスターの保護などトラブルの臭いしかしない」

「それでも異能特区の行政は協力するように通達してきた。つまり――」

「貸し、だろうな。これで宗教特区は異能特区に頭が上がらなくなる。そして吸血鬼事件を解決したら総術特区も同様でしょう。そうなれば五つの特区の中で異能特区は頭一つ分抜き出ることになる」

「那月さんは吸血鬼事件の犯人は魔術師だと?」

「さてね。私個人としては犯人が何者なのか気になるけど、行政はその限りじゃない。魔術師でなければ魔術師が犯人だったように仕立て上げればいい」

「過程より結果、というわけですか。ですがこの事件、そう単純に事が運ぶとは思いません」

「……だろうね」

 陽も那月も行政が考えた計画通りに事が運ぶとは考えていない。それは五つの内、三つの特区が動き出したのにも関わらず吸血鬼事件の概要が不透明だからだ。魔術の痕跡についても事件が起きた後に発見された。つまり偽装をいくらでも出来たわけである。そしてそのような事が平然とまかり通るのがここ五つの人工島だ。

 建物の屋上伝いに移動していた陽と那月が足を止めて遠くの空に視線を送った。夜空を覆い隠す術式が展開されている。術式からは木漏れ日のような淡い光が直径十キロに及んで降り注いでいた。

「……どうやら保護対象はあの下にいるのは間違いなさそうだな」

「はい。ですが、何の術でしょうか?」

 陽の記憶にはない術式だった。那月の返答がないことから彼女も知らないようだ。

 そもそも総術特区にある術式は秘匿されているものが多く、身内でも共有されない。他の特区が解析した術式もメジャーなものに限られている。

「わからぬ。わからぬが、直接攻撃を及ぼすような攻撃術ではなさそうだ」

 辺りの現状と術式が展開されている範囲から攻撃性のない魔術だと那月は判断した。

「虎穴に入らずんば虎子を得ず。飛び込んでみるとしようか。万全の注意を払いなさい、陽」

「了解です」

 謎の術式に覆われた現場にも尻込みすることなく陽と那月は突入した。
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