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第二章 始めてのクエスト

36話 破棄

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 可愛いリンに戸惑いを感じながらも楽しい帰り道。

 河原に差し掛かったところで、ずっと僕にピッタリくっついていたリンが離れていった。

「リン?」

 戸惑って立ち止まる僕からトコトコ離れていったリンが、数メートル離れたところで僕の方に向き直る。

「王、スコシ ジカン ヨイデス?」

「え?もちろんいいけど……」

 なんだろう?休憩なら別に離れる必要もないのに。

 不思議に思っている僕の前で、リンが吠える。

「ぎゃるるぅぎゃっ!」

 ゴブリン語で何事か吠えた……唱えたリンの前に水でできた槍のようなものが出来上がる。

 槍は勢いよくリンの近くにある大きな岩に撃ち出され、当たると同時に弾ける。

 人間で言う《水槍》のような魔法だろうか?

「リン、魔法使えたんだ……」

 素質があるのはステータスで見ていたけど、実際に使っているところを見たことがなかったからまだ魔法は覚えていないのかと思っていた。

 驚きのあまり軽く呆然としている僕の前で、リンが別の魔法を励起する。

「ぎゃるっぎゃっ!」

 今度はリンの前に丸い石の塊が出来上がり、撃ち出された弾は大岩に当たって弾けた。

 これは《石弾》かな?

「ぎゃぎゃろぉうっ!」

 少しおどろおどろしく聞こえたリンの鳴き声のあと、透明なドクロのようなものが浮かび上がった。

 《邪霊撃》か。ゴブリン・シャーマンの得意技だな。

 リンに呼び出された邪霊は、大岩に当たると耳をつんざくような叫び声を上げて消えた。

 これでリンは水、土、邪霊と素質のあった系統すべての攻撃魔法を使えるということになる。

 多分、奥の手を見せた僕に、リンも自分の奥の手を見せてくれたんだろう。

 そう思っていた僕の前で、またリンが魔法を吠える。

 まだなにか持ってるのかな?

 「ぎゃるるぅぎゃっ!」

 でも、それはさっき見せてもらった《水槍》だった。

 なにをしてるんだろう?

 そう思っていると、リンが次の魔法を唱える。

 「ぎゃるっぎゃっ!」

 リンの周囲に浮かぶ水の槍に石の弾が追加された。

 おお、同時励起。

 かなりの集中力とセンスを要する高難度の技だ。

 なるほど、これが本当の奥の手……。

 感心していた僕の耳にさらなる詠唱が入る。

「ぎゃぎゃろぉうっ!」

 え?

 水の槍、石の弾に加えて、邪霊がリンの周りを舞う。

「さ、三重励起……」

 国中でも相当高位の魔術師にしか使えないと聞く技で、僕も実際に使っているのを見たことがあるのは勇者パーティーの魔術師だったマキアちゃん他数名だけだ。

 終盤以降のボスが使うレベルの技なのに……。

 励起しているのが初級の攻撃魔法とはいえ、とんでもない技術だ。

 しかし、リンの奥の手はこの三重励起ですらなかった。

 リンは自分の周りに3つの魔法を舞わせたまま、疾風のような勢いで大岩に走り寄っていく。

 そして、大岩に向かって、腕を振り下ろし、その勢いのまま回し蹴りを繰り出し、《水槍》を突き刺し、再び腕を振り下ろすと、《石弾》を放ち、回し蹴りを合わせたあと、《邪霊撃》を撃ち込んだ。

「…………七連撃……」

 というか、ただでさえ集中の難しい同時励起を体術に組み込むとか出来るものなのか?

 い、いや、出来るものなのかと言っても今実際に見せられたな。

 あまりのことにちょっと混乱しているのが自分でも分かる。

 信じられないことをやり遂げたリンは、そんなことを感じさせない軽い足取りで僕に近寄ると、正面から抱きついて笑顔を向けた。

「王、アタシ ヒッサツ ワザ」

 予想外のものを見せられて、どうしていいか分からず……とりあえずリンの頭を撫でた。



 しばらく気持ちよさそうに頭を撫でられていたリンが、顔を上げてうるんだ瞳が少し悲しそうに見える表情で僕の目を見つめてくる。

 そのままリンの顔がだんだん近づいてきて……唇がプニッと触れた。

 僕たちとはまったく違う濃い赤褐色をしたリンの唇は、僕たちと同じように柔らかく暖かかった。

 リンはそのままもっと僕を深く求めるように強く唇を押し付けてくる。

 何度も何度も顔の角度を変えて、少しでも僕と深く結びつこうと唇を熱く交わらせてくる。

 でも、それ以上のことは知識にないのかリンの唇は緊張するように硬く閉じられたままだ。

 …………どうしよう、ここから先を教えてもいいものなんだろうか。

 僕が悩んでいるうちに、リンは唇を離して……僕から離れると、地面に膝と手をついて頭を下げた。

 最近見慣れた、ゴブリン流の最敬礼だ。

 …………リンからは一度もされたことのない最敬礼だ。

「……リン?」

 最敬礼は王に対してはするものじゃない。

 リンは前、そう言っていた。

 それじゃ、なんで今?

「アタシ、アナタ サカラウ ナイ ヤブル シタ」

「え?リンが僕に逆らった……?」

 心当たりがない……。

「アタシ、ヒッサツ ワザ アナタ カクシタ」

 え?いや、それは万が一の場合の奥の手だから……。

 そこまで考えてハッとする。

 その「万が一」はどんな場合を想定してのものだ。

 その「奥の手」は誰に対してのものだ。

 もちろん、明確に僕を想定していたとは思わない……思いたくない。

 でも、僕にも隠していたということは、それこそ「万が一」そうなることも想定していたということだ。

 これは、以前リンに誓わせた「僕が死ねと言ったら死ね」「人間に敵意を向けるな」に逆らったとも解釈できる。

「い、いや……でも、それは………………」

 そこから先が思いつかない。

 逆らったと解釈でき、何より本人がそう認めている以上、処罰はくださなければならない。

 そうでないと、二人の間に結んだ契約が破ってもいいものということになってしまう。

 契約が意味のないものとなるということは、僕とリンはただの人間と魔物であり、殺し殺される関係となる。

 僕がリンを殺さない理由も、リンが僕に従う理由も無くなってしまう。

 それを防ぐためには契約を守って、リンを処罰しなければ……殺さなければならない。

 逃げ道は……無い。

 僕はその場の思いつきでなんて馬鹿な契約を交わしてしまったんだろう……。

 いや、あれは人間とゴブリンという殺し殺される間柄には必要な契約だったと今でも思う。

 根本的な常識からお互いを理解できていない、それも殺し合うのが当然となっている種族の間では対等の関係なんて望むべくもない。

 出来るのは、上から縛って服従を強いるだけだ。

 そして、それからリンと僕のようにお互いを知り合って……。

 その先を思いついたところで、安堵で腰が抜けかけた。

 なんだ、簡単な話だった。

「リン……」

 最敬礼のまま微動だにしないリンに近寄って、呼びかける。

「…………リン」

 まったく反応のないリンに抱えるように腕を回す。

「リン」

 それでも、まるで死んでしまったように微動だにせず、呼吸すらしていないように感じられて慌ててリンを起こして正面から抱きしめた。

「リン、もう王様はおしまいだ」
 
 全てを諦めてうつろな目をしているリンの目を見つめる。

「契約も全部おしまい」

 うつろな目から涙を流し始めたリンの唇に唇を押し付ける。

「もう、僕が死ねって言っても死ななくていいし、逆らってもいい。
 僕から逃げてもいいし、人間に敵意を向けてもいい。
 人間を殺してほしくないし、食べても欲しくないけど……リンがどうしてもって言うなら、僕が我慢する。
 あ、でも、流石に子供たちは例外ね」

 僕の言いたいことが分からずに、不思議そうな顔をしているリンと唇を合わせる。

「僕が憎かったら殺しに来てもいい。
 できるだけ殺されないように頑張るから。
 だから……」

 キョトンとした顔になっているリンのきれいな金色の瞳をじっと見つめて、萎えそうになる心を奮い立たせて声を絞り出す。

「好きです。僕と友だちになってください」

 僕の言葉の意味が伝わったリンの表情が徐々に明るくなっていく。

 ま、まだもうちょっと……もうちょっとだけ待って……もうちょっと頑張れ僕。

「そ、そ、そ……そ、そして……そし……むぐっ!?」

 そして将来結婚してください。

 その言葉を口にする前に僕の唇が満面の笑顔のリンの唇で塞がれた。

 肝心なことをいえなかった自分の度胸のなさに落胆しながら、また出来る限り僕と深く交わろうとするリンの唇に舌を差し入れて今度こそ深いキスをした。
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