3 / 65
第1章・発端
#2
しおりを挟む
3月中旬。
川沿いの桜が、例年より少し早く咲いたと思ったら、連日の雨で早くも散り始めている。
今年の桜は少々慌てすぎたな……と、神原は笑って言った。
「あれだけ暖かい日が続いたら、勘違いもするでしょう」
男はそう言って、窓の外を眺めた。
今日は薄曇りで底冷えがする。季節が冬に逆戻りしたようだった。
大きな河川が目の前に見える古いビルの一室。
積み上げられた雑誌の束や、書籍などが至る所に置かれている。
だいぶ年季の入った入り口のドアには、やや掠れた文字で『光臨堂』と書かれていた。
知る人ぞ知る。オカルト雑誌専門の小さな出版社だ。
社長で編集長の神原悟史は、某大学の准教授をしていたが、数年前に引退してこの出版社を作った。元々、超常現象などを熱心に研究していたので、言ってみれば趣味が高じて始めた道楽のようなものだが、意外にもコアなファン層から支持を得て現在に至っている。
もう70になる年だが、気力も体力も、今目の前にいる男よりはありそうに見えた。
その男――宇佐美は来客用のソファーに腰を下ろすと、眠たそうに欠伸をした。
この男を数年前から知っているが、相変わらずやる気がないというか、覇気がないというか……そろそろ40になるというのに、どこか幼く頼りない。
神原は老眼鏡の向こうからジッと宇佐美を凝視した。
「そういえば……先週、かしわ台の駅で人身事故があったようだ」
「へぇ」
「最近多いな」
「季節の変わり目なんて、そんなものでしょう」
大して興味がない、というように呟いた。
「死が死を呼ぶのかな」
「――」
そのセリフに宇佐美は黙って神原を見た。
「負の連鎖反応はウイルスのように広がっていく……これは実際にあることだと思うよ」
「こじつけ過ぎですよ」
「そうかね?」
眼鏡越しに、ジッと自分を見る神原の意味ありげな視線に、宇佐美はフッと顔を背けた。
神原は、やれやれ……というように苦笑すると、「君もそろそろ良い人でも見つけたらどうだい?」と聞いた。
「なんですか?急に」
ふいを突かれて宇佐美は戸惑う。
「言い寄ってくる女性はたくさんいるだろう?悪くないルックスだ」
「――」
宇佐美は、相手の真意を推し量るようにじっと目を見たが、すぐに諦めて言った。
「そういう餌に食いついてくる魚は、ろくなもんじゃない」
「ハハッ!言うねぇ」
「もういいんです。俺は一生独りで」
だから放っておいて下さい、と言い捨てる。
「相変わらず厭世的だなぁ……色男がもったいない」
「早く原稿チェックして下さいよ。今日、望月さんいないんですか?」
いつもアシスタントをしてくれる女性社員の姿が見えない。この出版社唯一の社員で、50過ぎの独身女性だ。生真面目を絵に描いたような、面白みも何もない地味な人だが、余計な感情を挟まず何でも事務的にこなしてくれる点、宇佐美にとっては有難い存在だった。
「休暇中だよ。珍しく有給申請してきた」
そう言ってニヤッと笑った。
「あれはきっと男が出来たな」
「え⁉」
宇佐美は驚いて身を起こした。
「おや?君が気づかないとは珍しい」
「……」
「女性の僅かな変化は見ただけでも分かるもんさ」
そう言うと、「君は少しそっちの目を養った方がいいと思うがね?」と笑った。
ムッとする宇佐美を見て神原は立ち上がると、「お疲れ様。原稿、確かに受け取ったよ」と頭を撫でていく。
子供扱いされて、宇佐美は不貞腐れたようにソファーに身を沈めた。
川沿いの桜が、例年より少し早く咲いたと思ったら、連日の雨で早くも散り始めている。
今年の桜は少々慌てすぎたな……と、神原は笑って言った。
「あれだけ暖かい日が続いたら、勘違いもするでしょう」
男はそう言って、窓の外を眺めた。
今日は薄曇りで底冷えがする。季節が冬に逆戻りしたようだった。
大きな河川が目の前に見える古いビルの一室。
積み上げられた雑誌の束や、書籍などが至る所に置かれている。
だいぶ年季の入った入り口のドアには、やや掠れた文字で『光臨堂』と書かれていた。
知る人ぞ知る。オカルト雑誌専門の小さな出版社だ。
社長で編集長の神原悟史は、某大学の准教授をしていたが、数年前に引退してこの出版社を作った。元々、超常現象などを熱心に研究していたので、言ってみれば趣味が高じて始めた道楽のようなものだが、意外にもコアなファン層から支持を得て現在に至っている。
もう70になる年だが、気力も体力も、今目の前にいる男よりはありそうに見えた。
その男――宇佐美は来客用のソファーに腰を下ろすと、眠たそうに欠伸をした。
この男を数年前から知っているが、相変わらずやる気がないというか、覇気がないというか……そろそろ40になるというのに、どこか幼く頼りない。
神原は老眼鏡の向こうからジッと宇佐美を凝視した。
「そういえば……先週、かしわ台の駅で人身事故があったようだ」
「へぇ」
「最近多いな」
「季節の変わり目なんて、そんなものでしょう」
大して興味がない、というように呟いた。
「死が死を呼ぶのかな」
「――」
そのセリフに宇佐美は黙って神原を見た。
「負の連鎖反応はウイルスのように広がっていく……これは実際にあることだと思うよ」
「こじつけ過ぎですよ」
「そうかね?」
眼鏡越しに、ジッと自分を見る神原の意味ありげな視線に、宇佐美はフッと顔を背けた。
神原は、やれやれ……というように苦笑すると、「君もそろそろ良い人でも見つけたらどうだい?」と聞いた。
「なんですか?急に」
ふいを突かれて宇佐美は戸惑う。
「言い寄ってくる女性はたくさんいるだろう?悪くないルックスだ」
「――」
宇佐美は、相手の真意を推し量るようにじっと目を見たが、すぐに諦めて言った。
「そういう餌に食いついてくる魚は、ろくなもんじゃない」
「ハハッ!言うねぇ」
「もういいんです。俺は一生独りで」
だから放っておいて下さい、と言い捨てる。
「相変わらず厭世的だなぁ……色男がもったいない」
「早く原稿チェックして下さいよ。今日、望月さんいないんですか?」
いつもアシスタントをしてくれる女性社員の姿が見えない。この出版社唯一の社員で、50過ぎの独身女性だ。生真面目を絵に描いたような、面白みも何もない地味な人だが、余計な感情を挟まず何でも事務的にこなしてくれる点、宇佐美にとっては有難い存在だった。
「休暇中だよ。珍しく有給申請してきた」
そう言ってニヤッと笑った。
「あれはきっと男が出来たな」
「え⁉」
宇佐美は驚いて身を起こした。
「おや?君が気づかないとは珍しい」
「……」
「女性の僅かな変化は見ただけでも分かるもんさ」
そう言うと、「君は少しそっちの目を養った方がいいと思うがね?」と笑った。
ムッとする宇佐美を見て神原は立ち上がると、「お疲れ様。原稿、確かに受け取ったよ」と頭を撫でていく。
子供扱いされて、宇佐美は不貞腐れたようにソファーに身を沈めた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~
紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。
行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。
※「Amnesia」は医学用語で、一般的には「記憶喪失」のことを指します。
カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

消えた弟
ぷりん
ミステリー
田舎で育った年の離れた兄弟2人。父親と母親と4人で仲良く暮らしていたが、ある日弟が行方不明に。しかし父親は何故か警察を嫌い頼ろうとしない。
大事な弟を探そうと、1人で孤軍奮闘していた兄はある不可思議な点に気付き始める。
果たして消えた弟はどこへ行ったのか。
尖閣~防人の末裔たち
篠塚飛樹
ミステリー
元大手新聞社の防衛担当記者だった古川は、ある団体から同行取材の依頼を受ける。行き先は尖閣諸島沖。。。
緊迫の海で彼は何を見るのか。。。
※この作品は、フィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
※無断転載を禁じます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる