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新工場の建屋は、本社屋の隣に作られる予定だった。
倉見はその下見も兼ねて、後日、再び松原のもとを訪れた。
今回は事業部のスタッフ数人が一緒だった。
建屋全体の設計図をもとに、搬入する機械の寸法を話していると、既存工場の方から作業着の男が一人、近づいてきた。
「お疲れ様です」
そう言って、チラッと倉見の方へ視線を寄越す。
「あぁ、彼が今度増設する量産ラインの主任になる綾瀬だ」
社長の松原にそう紹介されて、綾瀬は少し照れたように笑って頭を下げた。
倉見は、へぇ……というように眉を上げて微笑むと、「よろしくお願いします」と頷いた。
「よろしくお願いします」
綾瀬もそう答えると、倉見の方を見て一瞬フッとはにかんで見せる。
社長以下、主だった面々が、まだ骨組み状態の工場建屋を見ながら話をしている隙をついて、綾瀬はそっと倉見の隣に寄ってくると、小声で聞いた。
「今日は免許、持ってきました?」
それを聞いて倉見は思わず苦笑した。
「大丈夫。ちゃんと持って来たよ」
「よかった」
「でも残念ながら今日の運転手、俺じゃないんだ」
そう言って、目の前にいる若い部下の一人を指さして肩をすくめる。
「今日は免許の出番、なさそう」
「ははは、そっか」
屈託なく笑う綾瀬に、倉見も笑った。
綾瀬は機械油が付いた作業着の袖をまくり、静かに両腕を組んだ。スーツの集団の中にいても物怖じすることなく、むしろどこか楽しそうに周囲の様子を眺めている。
前腕に浮かぶ筋肉の筋を見て、倉見は何故かドキリとした。
逞しくもあるが、どこか艶めかしくもある。開いた胸元から見える首筋に、汗がにじんでいるのを見て、倉見は「工場の中は暑いですよね」と言った。
「まぁね……でも新工場にはエアコン付けるっていうから、主任承諾したんです」
それを聞いて倉見は笑った。
「承諾条件がエアコン?」
「大事っスよ。作業環境」
あはは、と倉見は思わず声を出して笑ってしまった。松原と目が合い、慌てて素に戻る。
「彼は楽しい人ですね」
思わず口をついて出てしまったが、その言葉を聞いて松原は嬉しそうに言った。
「うちで一番頼りになる男ですよ。なぁ綾瀬」
綾瀬は否定するでも肯定するでもなく、ただ黙って頭を下げた。
皆の視線を浴びても、臆することなく飄々としている。
肝が据わっているというか、なんというか……
倉見がじっと見ていると、綾瀬はいたずらっ子のように小さく笑って軽くウインクして見せた。
「――」
驚く倉見を尻目に、綾瀬は「作業に戻ります」と松原に言うと、来客者一人一人に丁寧に頭を下げて去っていく。
倉見はモヤモヤした気分で、立ち去る綾瀬を見送った。
もし自分が女なら、今この瞬間恋に落ちたのだろうが――
男が男に落ちるなど、あってたまるか!
「……」
倉見は戸惑いながら建屋の図面を覗き込んだが、最早何も…頭の中には入ってこなかった。
倉見はその下見も兼ねて、後日、再び松原のもとを訪れた。
今回は事業部のスタッフ数人が一緒だった。
建屋全体の設計図をもとに、搬入する機械の寸法を話していると、既存工場の方から作業着の男が一人、近づいてきた。
「お疲れ様です」
そう言って、チラッと倉見の方へ視線を寄越す。
「あぁ、彼が今度増設する量産ラインの主任になる綾瀬だ」
社長の松原にそう紹介されて、綾瀬は少し照れたように笑って頭を下げた。
倉見は、へぇ……というように眉を上げて微笑むと、「よろしくお願いします」と頷いた。
「よろしくお願いします」
綾瀬もそう答えると、倉見の方を見て一瞬フッとはにかんで見せる。
社長以下、主だった面々が、まだ骨組み状態の工場建屋を見ながら話をしている隙をついて、綾瀬はそっと倉見の隣に寄ってくると、小声で聞いた。
「今日は免許、持ってきました?」
それを聞いて倉見は思わず苦笑した。
「大丈夫。ちゃんと持って来たよ」
「よかった」
「でも残念ながら今日の運転手、俺じゃないんだ」
そう言って、目の前にいる若い部下の一人を指さして肩をすくめる。
「今日は免許の出番、なさそう」
「ははは、そっか」
屈託なく笑う綾瀬に、倉見も笑った。
綾瀬は機械油が付いた作業着の袖をまくり、静かに両腕を組んだ。スーツの集団の中にいても物怖じすることなく、むしろどこか楽しそうに周囲の様子を眺めている。
前腕に浮かぶ筋肉の筋を見て、倉見は何故かドキリとした。
逞しくもあるが、どこか艶めかしくもある。開いた胸元から見える首筋に、汗がにじんでいるのを見て、倉見は「工場の中は暑いですよね」と言った。
「まぁね……でも新工場にはエアコン付けるっていうから、主任承諾したんです」
それを聞いて倉見は笑った。
「承諾条件がエアコン?」
「大事っスよ。作業環境」
あはは、と倉見は思わず声を出して笑ってしまった。松原と目が合い、慌てて素に戻る。
「彼は楽しい人ですね」
思わず口をついて出てしまったが、その言葉を聞いて松原は嬉しそうに言った。
「うちで一番頼りになる男ですよ。なぁ綾瀬」
綾瀬は否定するでも肯定するでもなく、ただ黙って頭を下げた。
皆の視線を浴びても、臆することなく飄々としている。
肝が据わっているというか、なんというか……
倉見がじっと見ていると、綾瀬はいたずらっ子のように小さく笑って軽くウインクして見せた。
「――」
驚く倉見を尻目に、綾瀬は「作業に戻ります」と松原に言うと、来客者一人一人に丁寧に頭を下げて去っていく。
倉見はモヤモヤした気分で、立ち去る綾瀬を見送った。
もし自分が女なら、今この瞬間恋に落ちたのだろうが――
男が男に落ちるなど、あってたまるか!
「……」
倉見は戸惑いながら建屋の図面を覗き込んだが、最早何も…頭の中には入ってこなかった。
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