17 / 19
終章
② 新しい神様
しおりを挟む足首が隠れるほどの雪が積もった山道は険しかったが、心鉄の足取りは軽く吐く息も弾んでいる。担がれた長老は最初こそ文句を言っていたが、次第に静かになり、やがて肩の上でしっかりとつかまるだけになった。後ろからついていく稲荷は心配そうに声をかける。
「心鉄、ありがとう」
「全然平気やで。長老もおとなしなったし」
「……うむ」
「そ、そう……でも、無理しないでね?」
「ああ」
稲荷と心鉄が頻繁に使う道なので、獣道というほどではない。足跡が固まって道ができている。そこを村人がぞろぞろと歩く。体力的に難しい者は留守番をすることになったので、若い男が多い。それでも慢性的な空腹で息が上がっている者もいる。
「もう少しですから」
稲荷が後方に声をかける。
「大丈夫です、それより村の外にこんな道があったのですね」
壮年の男性が言う。
「ええ、普段、村の人が狩りに出る方向とは違いますから」
「はい。私は小さい頃からあまり村から離れることがなかったのです。それで過不足なく生活できていましたから、なにも思ったことはありませんが……これから私たちは変わってしまうのでしょうか」
村人の疑問は不安でもあった。この山には長い間神様がいなかった。この山にある唯一の村は、村の周辺しか知らず、閉鎖的でさえある。それでも憂うことがなく、日々を慎ましくも楽しく暮らせるならそれでよかった。
稲荷はそんな彼らの生活を守りたいと思った。
「今まで通りに戻るだけですよ」
「はい」
男性は稲荷の言葉にほっとしたようだった。
祈りの方法を伝えることはしても、気持ちは彼らの自由だ。
山道を進む一行の目の前に、木々の隙間から光が差し込み、山頂付近の広場が見えてきた。そこには古びた祠が雪の中で凜と立っていた。長らく稲荷以外誰も訪れなかった祠だが、欠かさず手入れをしているので歳月のわりには綺麗だ。
「……これが、祠……?」
初めて目にする村人たちは足を止め、息を呑む。心鉄が長老を祠の前におろした。壮年の男性が近くにいた稲荷に声をかけた。
「これは本当に……村を救ってくれる場所なのですか?」
稲荷は静かに微笑んだ。
「そや」と心鉄が答える。
「ここは長い間、山全体を見守ってきた場所です。きっとあなたたちに力を貸してくれます」
心鉄は、祠の前に立つ稲荷を見つめた。稲荷は一歩前に進むと、ゆっくりと膝を折り、手を合わせる。彼の背筋はまっすぐで、真摯な姿勢が村人たちの心を打った。
「皆さんも、僕の真似をしてみてください」
稲荷が促すと、村人たちはぎこちなく祠の前に並び、彼の仕草を真似た。
「思い浮かべることは何でもいいんです。決まりはありません」
静寂が訪れる。風の音が祠の周囲を通り抜けた。稲荷の耳を風が撫でていく。それは身を切るような冷たいだけの風ではなかった。
稲荷の尻尾が、耳が、指先が少し温度が上がったような気がする。不快なものではない。
村人たちは一様に手を合わせている。思い浮かべるのは、幸せだ。自分だけの力ではどうしようもない、今の苦しい思いをなんとかして欲しいのだと、みんなが願っているに違いなかった。
祈りを終えた稲荷が目を開けると、心鉄が少し離れたところで村人たちを見守っていた。心鉄の表情には、いつになく穏やかな光が宿っている。
「心鉄はもういいの?」
稲荷が声をかけると、心鉄は照れ臭そうに笑った。
「もうした。届いてへん?」
「どうだろ……届いていると思うよ」
「せやろ」
二人のやりとりは村人たちに届いていたが、誰もなにも言わなかった。
村人たちの心には少しずつ希望が灯り始めていた。祠の静謐な空気が、その場にいる全員の疲れた心を癒やしていくかのようだった。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。
桜月夜
BL
前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。
思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
R指定はないけれど、なんでかゲームの攻略対象者になってしまったのだが(しかもBL)
黒崎由希
BL
目覚めたら、姉にゴリ推しされたBLゲームの世界に転生してた。
しかも人気キャラの王子様って…どういうことっ?
✻✻✻✻✻✻✻✻✻✻✻✻
…ええっと…
もう、アレです。 タイトル通りの内容ですので、ぬるっとご覧いただけましたら幸いです。m(_ _)m
.

完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します

例え何度戻ろうとも僕は悪役だ…
東間
BL
ゲームの世界に転生した留木原 夜は悪役の役目を全うした…愛した者の手によって殺害される事で……
だが、次目が覚めて鏡を見るとそこには悪役の幼い姿が…?!
ゲームの世界で再び悪役を演じる夜は最後に何を手に?
攻略者したいNO1の悪魔系王子と無自覚天使系悪役公爵のすれ違い小説!
公爵家の次男は北の辺境に帰りたい
あおい林檎
BL
北の辺境騎士団で田舎暮らしをしていた公爵家次男のジェイデン・ロンデナートは15歳になったある日、王都にいる父親から帰還命令を受ける。
8歳で王都から追い出された薄幸の美少年が、ハイスペイケメンになって出戻って来る話です。
序盤はBL要素薄め。
乙女ゲームが俺のせいでバグだらけになった件について
はかまる
BL
異世界転生配属係の神様に間違えて何の関係もない乙女ゲームの悪役令状ポジションに転生させられた元男子高校生が、世界がバグだらけになった世界で頑張る話。

三度目の人生は冷酷な獣人王子と結婚することになりましたが、なぜか溺愛されています
倉本縞
BL
エルガー王国の王子アンスフェルムは、これまで二回、獣人族の王子ラーディンに殺されかかっていた。そのたびに時をさかのぼって生き延びたが、三回目を最後に、その魔術も使えなくなってしまう。
今度こそ、ラーディンに殺されない平穏な人生を歩みたい。
そう思ったアンスフェルムは、いっそラーディンの伴侶になろうと、ラーディンの婚約者候補に名乗りを上げる。
ラーディンは野蛮で冷酷な獣人の王子と噂されていたが、婚約者候補となったアンスフェルムを大事にし、不器用な優しさを示してくれる。その姿に、アンスフェルムも徐々に警戒心を解いてゆく。
エルガー王国がラーディンたち獣人族を裏切る未来を知っているアンスフェルムは、なんとかそれを防ごうと努力するが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる