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第二章
周囲の反応
しおりを挟む夜。
ご飯は、心鉄の好きなおにぎり定食。
心鉄が山で取ってきた山菜を受け取った稲荷は、浮かない顔をしていた。
「稲荷、なんかあったん?」
「…」
稲荷は心鉄をチラッと見ただけで返事をしない。
「?」
虫の居所でも悪いのか、おにぎりがいつもよりしっかりと握られている。まるで岩のようだ。
稲荷をチラチラ見ながら、心鉄は控えめに声をかけた。
「今日のおにぎり、固めやな」
「炊きたてのご飯だけど?」
「いや、そういうことや無くて…」
「…」
なんか機嫌悪ない?
触らぬ神に祟り無し。
くわばらくわばら。
心鉄は心で唱えながら、いつもよりしっかりと握られたおかげでボリュームアップしたおにぎりを平らげた。
「心鉄」
「なに」
「まあ、そこに座りなさい」
夕飯を終えたタイミングを見計らって、片付けもそこそこに稲荷が心鉄を呼ぶ。
普段は、食べたらすぐに片付けると小言を言う稲荷がそんなことを言うものだから、心鉄は頭に「?」を飛ばしていた。心当たりがない。
「はぁ~?まぁえけど」
心鉄は、稲荷の向かいにどかりと胡座をかく。
ぺしりと膝を弾かれて正座に。
「なに?」
ムッとしながら言う。稲荷は気にした様子もなく、着流しの袖から小さな玉をいくつか取り出して、コロコロっと転がした。どんぐりだ。
「これ、鈴愛からもらったんだけど…」
「あ」
「ご祝儀ってなに」
「いやぁ…それ俺ももろたわ」
「心鉄!」
小さな家に稲荷の声が響き、心鉄は股に尻尾をちょっとだけ隠した。
これか~と思いながら。
「あの二人…、さんざん笑って帰って行ったよ」
「まぁ、俺と喋っとる時も、腹よじらせとったわ」
「心鉄! あの二人に何を言ったの」
「いいやろ、もう大人やし。いちいち言わんでも…。めっさ怒っとるし…」
「怒ってないよ…」
「嘘や」
「う…」
稲荷は、夕方のことを回想していた。
収穫期を迎えたこの時期、木の実やきのこが豊富に採れる。心鉄は山菜を取りに行ってる。今夜のおかずはきのこ祭りにしようとカゴいっぱいにきのこを盛って、さて帰ろうかというところへ、親友の羽夜と鈴愛に出会った。ふたりとも、なんとも言えないニヤニヤ笑顔だった。
「?」
稲荷は、なにか顔に付いているのかと頬を触るが何も無い。今日もツルンツルンだ。
「やあ、ふたりとも。楽しそうだね」
「やあ稲荷クン、これを楽しめなかったらオレは君の親友を辞めないといけなくなる」と、羽夜。
「世界を彩り豊かにするのは、やっぱ”ラヴ”ですねぇ!稲荷さん」と鈴愛。
「??」
何を言い出すのだこの二人。という顔を隠しもせず、稲荷は二人のニヤニヤ顔を交互に見比べた。しかし、なんのヒントも隠されていなかった。わからない。
「俺は二人の親友失格かな、思い当たる節がない。でもこれから夕食を作らないといけないので、今日のところは失礼するよ。またゆっくり話を聞かせておくれ」
そそと帰路につく。
「待って!」鈴愛に呼ばれて振り返る。
「これはほんの気持ち」
ほんのり頬を染めながら鈴愛が稲荷の手のひらに乗せたのはどんぐりだ。きれいに磨かれ、鏡として使えそうなくらいピカピカのどんぐりだ。
ますますわからない。
「いや、こんな大切なものはいただけないよ」
「いーのいーの、お祝いだから」
「…?」
「「婚約おめでとーーー」」
婚約?
「あんな年下のイケメン、そうそういないぜ?」
「心鉄くんは男っぷりだけでなく、器も大きくて気持ちがいい青年です。稲荷さんは宇宙一の幸せものです。心から祝福します!」
そして二人とも笑いすぎの涙を流しながら去っていった。
二人の後ろ姿を見送りながら、なにかのネタに使われたことだけはわかった。あと心鉄が関わっていることも。そうとわかれば、こんなところで油を売っている場合ではない。育ち盛りの狼に食うもの食わせて、問いただして吐かせなければ。
「心鉄はあの二人に何を言ったの」
「え、…ああ…えぇと…」
狼の耳をぴくぴくさせながら言い淀む心鉄に、神様直伝のアルカイックスマイルで諭す。
「怒らないから」
「え、怒らねぇ?」
「もちろん。正直者は救われるよ」
「二人にそろそろ番を持つ歳だねーって言われたから、稲荷を番にするって言うたな」
心鉄のドヤ顔たるや。
前言撤回、怒ろう。
そして、今。
「ああ、心鉄には、毛並みのきれいな美人狼を探していたのに…どうしてこんなことに…」
怒るより先に嘆いている稲荷だ。
「いらねえ!自分の番は自分で決める! つか、んなもん探すのやめろよな」
「でも…」
「でもじゃねー! 俺は稲荷がいいって言ってるだろ!」
「そんな…」
心鉄がムッとする。
「そんなって、嫌なら嫌って言えよな」
「嫌って言うか…」
嫌では無いので困っている。
稲荷も、心鉄に淡い想いを抱いている。でも。
「心鉄とは家族だし…」
「…」
「仔犬の頃から丹精込めて育ててきたのに…」
「犬じゃねーぞ」
稲荷にツッコミを入れても暖簾に腕押しなのだが、言わずにはいられない心鉄だ。
群れからはぐれてしまった仔犬を、群れに戻さず手元に置いたのは稲荷だ。稲荷も心鉄が狼として成長してからというもの、無償の愛情だけでは表せない気持ちを持っている。恋い慕っているのだ。
「でも、心鉄は狼で、僕は違う」
神様のお仕え狐と狼。種族が違いすぎる。添い遂げる術を知らない。
「そこをなんとか神様の神通力で!」
「ムリだよ! 僕は神様じゃないし!」
できるものならとっくにしている。
「なぁ、稲荷…」
「あっ」
心鉄が稲荷を腕の中にすっぽりと囲ってしまった。
「こーゆーのホントに嫌?」
ずるい。
嵐の中、祠の近くに倒れていた仔犬は立派な狼に育った。稲荷を簡単に腕の中に入れてしまえる。
「嫌や言うてくれたらきっぱり止める」
「ん…っ!」
着流しの脇から大きな手が侵入し、ふさふさの尻尾は稲荷の尻尾に絡めるようにすり寄ってくる。尻尾の付け根が甘く痺れる。
「こらっ!」
「いてっ!」
「こんなのどこで覚えてくるの?! そんな子に育てた覚えはありません!」
「ちぇっ」
デコピンされた心鉄は、たいして痛くもないおでこを、痛い痛いと大げさに擦っている。
「なあ、風呂沸いてる?」
「沸いてるよ、入っておいで」
「んー」
心鉄は着替えを引っ掴んで風呂場へと消えていく。
稲荷はひとりになり、ため息をついた。
心鉄の言葉や態度が直球すぎて、戸惑ってしまう。狼としての本能なのか、あまりにも率直に気持ちを伝えてくる心鉄に、稲荷はどう対処すればいいのか分からなかった。何度も「家族だから」と自分に言い聞かせてきたが、それは言い訳に過ぎないのかもしれない。
「…やっぱり、僕は心鉄が好きなんだな…」
心の中でそう呟いてみると、今まで感じていたもやもやが、少しだけ晴れた気がした。でも、だからといって、今すぐに答えが出せるわけではない。心鉄が稲荷を想ってくれるのは嬉しい。けれど、それ以上の関係になる勇気がまだ湧かない。
「僕なんかが、心鉄を幸せにできるのかな…」
狼と狐、種族の違いが、稲荷の心に重くのしかかっている。神通力でどうにかできる問題ではないし、心鉄が望むような番として共に生きる未来を想像することも難しかった。
そもそも心鉄は、稲荷とどんな未来を想像している?
聞いてみたいような、応える自信がないので、聞くのが怖いとも思う。
その時、風呂場から聞こえる水音が稲荷の耳に届いた。よくわからない鼻歌も。
「…心鉄は、あんなに素直に僕のことを好きだと言ってくれるのに」
ふと笑みがこぼれる。心鉄の無邪気さと、一途な思いが愛おしく感じられる瞬間だった。
「…少しずつでいい。少しずつで…」
稲荷は決心する。今はまだ心鉄を完全に受け入れられなくても、心の中で少しずつ、彼を想う気持ちを大切に育てていけばいい。
それがいつか、自然に答えを導いてくれるかもしれない。
まだ自分の中で整理がつかない気持ちを、少しずつ受け入れられるようにしたい。心鉄の一途さに応えられる日が来ることを、怖れずに信じてみようと決めた。今はただ、心鉄と共に過ごす毎日を大切にして、少しずつ前進していけばいい。明日からは、もう少し素直に心鉄を受け入れようと思う。
風呂場から出てきた心鉄が、少し照れくさそうに笑う。素直になろうって決めた舌の根も乾かないうちに、どうしたら良いのかわからなくなっている稲荷に気づいているのかいないのか、心鉄は何も言わずに稲荷の横に座った。
「なぁ、稲荷……」
心鉄が肩をぐいっと寄せてきて、無邪気な笑顔を見せる。稲荷の心が、少しだけ軽くなるのを感じた。
「何?」
「俺は稲荷を番にって思うてるけど、別に稲荷は無理せんでええよ」
「心鉄?」
「無理して番にとかちゃうから……、稲荷が嫌やったら……嫌とか無理やけど……まあ、稲荷はそんなん気にせんでええから」
あっちこっちと行き来する心鉄の言葉が、稲荷の心を温かく包み込む。思わず笑ってしまう自分がいた。
「心鉄はほんとに素直だね」
「やって、ほんまやし」
心鉄の真剣な眼差しが、稲荷の胸をぎゅっと締めつける。それに応えられるように、少しだけでも心を開いていこう。そう決めた稲荷は、心鉄の手をそっと握り返した。
「…ありがとう、心鉄」
心鉄の顔がぱっと明るくなり、稲荷の手を強く握り返す。
「どっちでもええけど……、一緒におってな」
「そうだね……家族だからね」
「そ」
その言葉が、稲荷の心にじんわりと沁み込んでいった。
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