5 / 19
第一章
絆の変化
しおりを挟む心鉄が、『心鉄』となった初日ーーー。
まず最初に心鉄がしたことは、稲荷の胸に鼻をぐっと押し当てて、ふんふんと匂いを嗅ぐことだった。それだけでは足りなかったのか、今度は頭を、まるで「俺のもの」とでも言いたげに、こすりつけた。
「わあっ!」
驚く稲荷をよそに、心鉄は今度は上目遣いをしながら見つめてきた。灰色がかった青い瞳がきらりと光り、甘えたような声で一言。
「いなり?」
「……うん」
稲荷は何か言おうとしたが、言葉にならなかった。ただ、その一言で満足したのか、心鉄は軽やかに飛び跳ねると、今度は家の中をくんくんと嗅ぎ回り始めた。
ふと、弾かれたように、勢いよく家を飛び出したかと思うと、何処かへ駆け出していった。
「ちょっ…待って!」
慌てて心鉄を追いかけていく稲荷だった。
くんくん、くんくん…。
「こ…心鉄…?」
稲荷はしばらく何が起こったのかと首を傾げていたが、ただ縄張りを確認しているだけだと理解し、やれやれと肩を落とした。『お腹が空いたら帰ってくるだろう』と思い、好きにさせることに決めて、平屋に戻った。
そして、日が暮れかけた頃……。
心鉄が誇らしげに戻ってきた。手に握っているのは、一羽の鳥。「お土産」と言わんばかりに見せつけてくる。
鳥はその小さな目に無念の涙を浮かべていた。
「こ、心鉄?! 鳥は食べ物じゃないよ!!」
「? 食べ物やろ?」
一日中駆け回った心鉄はまた盛大に腹の虫が鳴っている。
「おおおにぎり作ってあげるからお空に帰そ?」
よくわからないといった表情の心鉄だったが、”おにぎり”に気を良くしたので、尻尾を振って、稲荷と一緒に鳥を放してあげた。
「…おにぎり…」
「今から作るから! ね?」
こんなことがあって、子育てって大変だなぁ…と肩を落とした稲荷だったが。
「イナリー、薪はここ?」
心鉄が小さな声で呼びかける。稲荷が振り返ると、そこには小さな体で薪を抱え、置き場に積み上げた心鉄の姿があった。動きはどこかぎこちないが、一つ一つの動作に一生懸命さが滲み出ている。
「ありがとう、心鉄。助かったよ。でも、こんなことまでしなくてもいいんだよ?」
稲荷の言葉に、心鉄はパッと顔を明るくして、クルリとその場で一回転してから、稲荷の方を向き直る。ふわふわした尻尾が嬉しそうに左右に揺れ、誇らしげに立っていた。
「もっかい言うて!」
「え?」
「さっきの!」
「え…」
「早く!」
「…ありがとう心鉄?」
「いーぜ!」
胸を張って、得意げな顔を見せる心鉄。その小さな体はまるで、大きなことを成し遂げたように自信に満ちていて、稲荷の心は自然と愛おしさに包まれていく。小さな仕草や真っ直ぐな瞳、何もかもが可愛らしくてたまらない。
「おやつにしようか?」
「おう!」
稲荷が手を差し出すと、心鉄は飛びつくようにその手を握りしめてくる。小さな手が自分の手に触れる感覚に、稲荷はどこか守りたい気持ちを覚えながら、笑みを浮かべた。
心鉄は見かけによらず働き者だった。最初は、活発を通り越した野生に少し戸惑った稲荷だったが、彼の真摯な姿勢を見るたびに、少しずつ心が温かくなるのを感じていた。
初めて彼が家に来た日、『一緒に神様を待とう』と心鉄に言って誘ったのは稲荷だが、正直、どうやって面倒を見ればいいのか分からず、不安な気持ちでいっぱいだった。しかし、次の日には、心鉄は自ら進んで「これ持っていけばいーん?」と体よりも大きな布団を縁側に運び出し、まるで稲荷を真似るかのように同じ動作を繰り返していた。小さな体で布団を干す姿は微笑ましくも頼もしかった。
洗濯物を運ぶ時も同じだった。「これする?」と、心鉄は両手をこすり合わせるような仕草で洗濯の動作を表現し、稲荷の役に立とうとしてくる。
「するよ」と稲荷が答えると、心鉄は目を輝かせながら元気よく「俺も行く!」と声を上げた。その一言が、稲荷にとっては何よりも嬉しいものだった。
「かっ、かっかっ…かわいいですぅーーーー!!」
「!!」
突然の大音量に、まるで平屋全体が揺れるかのような錯覚が走り、心鉄は全身の毛を一斉に逆立てた。
「ガルルル…!!」
「心鉄っ」
「鈴愛…っ、声が大きすぎるよ。この子、驚いてるじゃないか」
稲荷も耳をパタリと伏せ、目を細めて声の衝撃をやり過ごそうとしていた。
「だって樹音!この子、信じられないくらい可愛いんだもん!見てよ、このモフモフ!」
鈴愛の目は、心鉄の尻尾や耳を捉え、モフモフにあやかろうと、いまにも手が出そうだ。
心鉄は走って稲荷の後ろに隠れて、警戒しながら目だけを鈴愛に向ける。
「いや、まぁ、確かに…可愛いけどさ。でも、少しは落ち着いて…」
樹音と呼ばれたのはリスの少年で、鈴愛の番だ。心鉄と稲荷の反応を見て、鈴愛を宥めようとする。
「だっ…!誰だオマエ!」
心鉄が鋭い声を上げた。目が鈴愛を警戒している。
しかし、鈴愛は心鉄の警戒心には気づいていないのか、待っていましたとばかりに、胸を張って言った。
「僕は鈴愛!愛の伝道師さ! 恋の相談なんでも聞くよ!」
その宣言は、自信に満ち溢れていた。声も大きくて、堂々としていだが、周囲の反応はどこか戸惑いが漂っていた。
樹音は落ち着かずに鈴愛の方をちらちらと見ていた。その視線は、心配と少しの戸惑いが入り混じったものだった。一方、心鉄は何とも言えない表情で稲荷を振り返り、まるで「助けてくれ」というような視線を送る。その眼差しには、鈴愛の突飛な発言に対する困惑が滲み出ていた。「どういう奴やねん、こいつ…」と心の中でつぶやく心鉄の感情が手に取るようにわかる。
「鈴愛はね、ちょっと元気が有り余ってるだけなんだ。友達だから安心していいよ」
稲荷はあまりにも自然な口調で、『愛の伝道師』という強烈なフレーズをあっさりと流し、鈴愛を紹介する。
稲荷の言葉は、場の空気を和らげるには至らず、逆に心鉄の困惑をさらに深めた。
「友達……こんなふざけたヤツと?!」
心鉄は信じられないというように稲荷を見つめ、呆然とした表情で口を開いた。
「こら、心鉄。鈴愛はいい子だよ、そんなことを言うものじゃないよ」
「う…」
稲荷は少し困ったような笑みを浮かべ、心鉄を軽く叱る。優しい口調だが、その『めっ!』という一言は威力があり、心鉄の尾はピシッと上を向いた。威勢のよかった心鉄がしょんぼりとする姿に、稲荷は心の中で微笑んだ。
だが、その一方で、鈴愛は全く気にする様子もなく、にこやかに心鉄に近寄っていった。
「キミ、心鉄って言うのかい? とっても素敵な名前だね!」 その一言に、心鉄の耳がぴくりと反応する。名前を褒められたことで、心鉄は思わず一瞬動きを止めた。
しかし、稲荷のほうが反応は早かった。
「そうだろう? 心鉄はね、初対面から気丈で、誇り高くて、モフモフで可愛いんだよ」
稲荷は嬉しそうに自慢を始める。その口調には心鉄への愛情が滲んでいた。
本当は、心鉄の瞳が一番好きな稲荷たが、どうしてかそれは言えなかった。
鈴愛は稲荷の言葉に一瞬ポカンとしたが、すぐに目を輝かせて言った。
「そうだね! とってもキュートだ!」
「そうなんだ、心鉄は、可愛いだけじゃないんだよ。強い心も持っていて、その上、とても優しくて頼りになるんだ!」
稲荷の自慢話は止まらない。
一方で、心鉄は樹音の方を仰ぎ見た。だが、樹音はすまなそうに手を合わせて謝罪の仕草をするだけで、結局助け舟を出す気配はない。彼もまた、稲荷と鈴愛の盛り上がりに肩を落としていた。
心鉄は静かに、諦め半分で二人を見つめ、心の中で小さくつぶやいた。
「類友とはこういうことか…」
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。
桜月夜
BL
前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。
思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。
R指定はないけれど、なんでかゲームの攻略対象者になってしまったのだが(しかもBL)
黒崎由希
BL
目覚めたら、姉にゴリ推しされたBLゲームの世界に転生してた。
しかも人気キャラの王子様って…どういうことっ?
✻✻✻✻✻✻✻✻✻✻✻✻
…ええっと…
もう、アレです。 タイトル通りの内容ですので、ぬるっとご覧いただけましたら幸いです。m(_ _)m
.

完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します

例え何度戻ろうとも僕は悪役だ…
東間
BL
ゲームの世界に転生した留木原 夜は悪役の役目を全うした…愛した者の手によって殺害される事で……
だが、次目が覚めて鏡を見るとそこには悪役の幼い姿が…?!
ゲームの世界で再び悪役を演じる夜は最後に何を手に?
攻略者したいNO1の悪魔系王子と無自覚天使系悪役公爵のすれ違い小説!
乙女ゲームが俺のせいでバグだらけになった件について
はかまる
BL
異世界転生配属係の神様に間違えて何の関係もない乙女ゲームの悪役令状ポジションに転生させられた元男子高校生が、世界がバグだらけになった世界で頑張る話。

三度目の人生は冷酷な獣人王子と結婚することになりましたが、なぜか溺愛されています
倉本縞
BL
エルガー王国の王子アンスフェルムは、これまで二回、獣人族の王子ラーディンに殺されかかっていた。そのたびに時をさかのぼって生き延びたが、三回目を最後に、その魔術も使えなくなってしまう。
今度こそ、ラーディンに殺されない平穏な人生を歩みたい。
そう思ったアンスフェルムは、いっそラーディンの伴侶になろうと、ラーディンの婚約者候補に名乗りを上げる。
ラーディンは野蛮で冷酷な獣人の王子と噂されていたが、婚約者候補となったアンスフェルムを大事にし、不器用な優しさを示してくれる。その姿に、アンスフェルムも徐々に警戒心を解いてゆく。
エルガー王国がラーディンたち獣人族を裏切る未来を知っているアンスフェルムは、なんとかそれを防ごうと努力するが……。
【完結】悪役令息の従者に転職しました
*
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
本編完結しました!
『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく、舞踏会編、はじめましたー!
他のお話を読まなくても大丈夫なようにお書きするので、気軽に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる