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序章
神様のおつかえ狐
しおりを挟む「稲荷、ここにはもう人がいない。私はここでは生きていけないんだ…長い間、よく仕えてくれたね」
「神様、どこに行かれるのですか?私も一緒に連れて行ってください!」
「…すまない、稲荷。君と一緒には行けないんだ。君はもう自由なんだから」
「嫌です!私も一緒に行きます!」
「………君は自由なんだよ、稲荷」
「…神様は、どこに行かれるんですか?」
「そうだね…人がいるところへ」
「神様、いってらっしゃい。私は、ここで待っています」
「さようなら、稲荷」
「神様…!」
稲荷が朝一番にするのは、祠の手入れだ。
日にさらされ、夜露に濡れた祠の表面を丁寧に拭き取る。
そして、祠の周りを掃き清め、手を合わせる。
かつては毎朝、誰かがこの祠に来て掃除をし、お供え物をして、手を合わせていた。
しかし、それはもうずいぶん昔のこと。
今や稲荷は、主を失った祠を守るしかすることがない、ただのお仕え狐。
神通力もほとんどなく、日がな一日を持て余している。
主である神様に戻ってきて、この山を護って欲しいけれど、それは難しい。
なんせもう500年近く留守番をしているのに、神様は帰ってこない。
ここはよっぽど辺鄙な山なのか、他の神様もここらを訪れたことはない。
稲荷は生まれた時からこの山しか知らないので、よくわからないけれど。
そんな稲荷の楽しみは、少し離れた村を見守ることだ。
100年ほど前にできた新しい村。その村は最初、20人ほどの村人が住む小さな集落だった。
しかし今では50人以上に増えて、少しずつ子供が生まれ、大人になって家族を築いている。
村人たちが支え合い、村を大きくしていくその姿を、稲荷は遠くから見守り、楽しんでいる。
彼らの営みが、稲荷の心に穏やかなものをもたらしていた。
「おはよう、稲荷。」
「羽夜じゃないか、おはよう。久しぶりだね」
後ろから声がして振り向く前に、烏の羽夜は、朝からぴょぴょんっと跳ねて、稲荷の前に回った。稲荷よりも少し目線が低いところで、黒濡れの髪が弾んでいる。
「久しぶり!今日も精が出るなぁ!」
「まあね。日課だからね、やめられないんだ」
「ふーーん。それより山の向こうに黒い雲が出てるよ」
「え、そうなのかい?」
「ああ、風もある。夕方あたりには雨が降るよ。嵐にならないといいけど」
「わかった。教えてくれてありがとう」
「気にするな。じゃあまた!」
「また」
羽夜はやくしろー!言われて、やっべ!と羽夜は慌てたように飛んで行き、群れと合流して帰っていった。
友人の羽夜は、気まぐれにここを訪れては、一人で住む稲荷を気にかけてくれる。
そしてもう一人。
リスの鈴愛だ。
「稲荷さまぁ!」
「鈴愛、おはよう。今日も元気だね」
「え~?照れちゃうなぁ、稲荷さまもクールですよ」
「ありがとう」
老成していると言わないところが、鈴愛の優しいところだ。
「今日は夕方から雨でしょ、だから学校は昼までなんだ。嵐になるかもしれないから、木の実を集めておかないとね」
「じゃあ今日は忙しいね。川近くのグミの実が食べごろだったよ」
「ホントに?!帰りに寄ってみよぅっと!どうもありがとう!」
「いいえ、いってらっしゃい」
「はーい!」
鈴愛は稲荷に、千切れそうなほど力いっぱい手を振ってから、リスの学校へと走っていった。
元気な後姿を、箒を持ったまま眺めて見送る。
稲荷の朝は概ねこんな感じだ。
一人だけれど、一人ではない。
神通力はほとんど無く、寿命は果てしなく長い。
けれど、移り変わるその時々に、気にかけてくれる友人の存在があった。
今日も平和な1日になりそうだなぁと思いながら、掃き掃除を終え、薪割りを始めた。
薪割りの作業を終えると、体にじんわりとした疲れが染み込み、手のひらには少しばかりの汗がにじんでいた。
手拭いで顔をぬぐい、一服してから散歩に出かける。ひんやりとした山の空気が肺に染み渡り、心地よい。
ゆっくりと山の中腹まで下山し、いつものように村をこっそりと見守る。眼下に広がる村は、どこか静けさをまとっていた。昼を少し過ぎたばかりで、普段なら村の男たちは田畑で農作業にいそしみ、子どもたちは元気よく村中を駆け回っている時間帯。しかし、今日は違った。
村人たちは皆、何かを予感しているかのようだ。天候に敏感な者がいたのだろうか、男たちはせっせと屋根を縄で固定し、飛ばされないように手を尽くしていた。その姿は、嵐の前の静けさに逆らうようで、どこか緊迫感を漂わせていた。子どもたちも、遊ぶことも忘れ、興味半分、手伝い半分といった様子で、大人たちの動きをじっと見守っている。
村は三方向を厚い防風林に守られている。そのため、家々は簡素な作りでも、普段は風に吹き飛ばされることなど滅多にない。それでも、今日は何か特別な風の気配が漂っているように思えた。村人たちの祖先が、なぜ麓ではなく、こんな山の中で暮らす道を選んだのかはわからない。こうして自然と共に生き、風を読み、備える姿は、長い年月をかけて培われた知恵なのだろう。
あれだけ備えていれば、難なく一夜を越せるだろう。
稲荷は、もと来た道をまた戻ってゆく。
木々のざわめきとともに、遠くから風の音が聞こえてくる。その音がどこか不穏に感じられ、思わず足を止めた。
羽夜の言った通りになりそうだった。
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