短編集

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愛を綴る小説家

日常

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 麗一が瀧の家に顔を出したのは、夕方近くのことだった。
「こんばんはぁ瀧ちゃん」
「先輩……、こんばんは。あ、ありがとうございます」
「いいえぇ」
 片手にアルコール缶とつまみが入ったビニール袋を持って、玄関で瀧に渡してくる。麗一は用意した室内履きに履き替え中に入る。
 麗一がのそのそ細い廊下を歩いているのを見てまた夕食の準備を始める。こちらに近づきながら麗一が目を細めて微笑んでいたことには気づかない。

「何作ってんの?」
「!」
 瀧の肩に顎を乗せながら麗一が耳元で話しをする。びっくりだけではなく肩が跳ね上がった。麗一も気づいているのかフッと笑ったのがわかった。いたたまれず、瀧は手元を見たまま答えた。

「…龍之助の夕飯。先輩も食べるなら、座って待っていてください」
「はぁーい」
 麗一をリビングに追いやって、瀧は切りかけの野菜に集中する。麗一と再会してからもう結構経つのに、心の奥底でまだ整理がつかない部分があった。大学時代の恋心は、時が経っても心に残っていたからだ。瀧は麗一の存在を忘れることができなかった。
 リビングからはキッチンが丸見えで、追いやってもあまり意味がない。

「瀧ちゃんはほんっと家庭的になったなぁ。見てるとなんか安心するよ。母性を感じるっていうか…」

 麗一が本気か冗談かわからない口調で言い、瀧の手が止まる。「母性」という言葉に戸惑いを感じつつ、何も返せずにいた。
 確かにこの数年、瀧は家事スキルと育児スキルが格段に上がった。きっと麗一が知っている瀧とは随分印象が変わってしまっただろう。

「母性って……俺、男です」

「じゃあ父性? いややっぱ母性じゃない? そうやって龍ちゃんのために一生懸命やってるだろ? なんかお母さんみたいに感じるよ。なんとかハラスメントって言っちゃう? 悪気はないから許してほしいんだけど……まあ、俺もいつでも父親的なポジションに立つ準備はできてるよ?」

 麗一は軽口を叩きながら目だけは本気か嘘かわからない色をしていた。瀧はその視線に動揺しながらも、何とか平静を保とうと努めた。

「そんなこと……」
「瀧ぃ、お腹空いたあ」
 自分の部屋で遊んでいた龍之助が襖を開ける。彼は麗一を見つけるや否や、険しい顔をして瀧のとことへ走ってくる。

「またあいつ来てるのか! 瀧っ、なんであいつを家に入れるんだよ?!」
 龍之助が瀧のエプロンを引っ張りながら、麗一を指さす。
「なんでって……」
「聞こえてるぞ-」
「ふん!」

 麗一は龍之助の様子に一瞬驚いたように目を見開いた後、すぐに笑みを浮かべた。

「おいおい、龍ちゃん。そんなに俺のこと嫌ってるのか? でもたまにはいいだろ? 瀧ちゃんの手料理が食べられるなんて、俺にとっては大ラッキーなんだぞ」

「疫病神にはやらない!」

 龍之助は鼻を鳴らして言い放った。その姿を見て、麗一は笑いをこらえながら続けた。

「そっか、俺は疫病神か」
「先輩……すみません」
「あ? 全然、気にしなくていいよ。まあ、それでも瀧ちゃんの料理は諦めないよ。こんな美味しそうなものを食べ逃すなんて、俺らしくないからな」
「……っ! 大人げないぞ!」
「なんとでも」
 瀧は困ったように笑みを浮かべ、麗一と龍之助の間に立って仲裁に入ろうとするが、こんなときどうしたらいいのかわからない。龍之助の目は依然として麗一に向けられたままだ。龍之助はいつも、麗一が瀧に近づくたびにこうして敵意をむき出しにする。自分の大切な「家族」を奪われたくないという気持ちが、彼の幼い心に強く根付いている。瀧は五歳の子どもを不安にさせてしまうくらいわかりやすいのかと落ち込むばかりだった。

「龍ちゃん、麗一さんは、お客さんなんだからそんなこと言わないで。龍ちゃんにはデザートのゼリーがあるから……ね?」
 瀧は穏やかに言うが、龍之助はさらに顔をしかめた。
「瀧が優しいからって、あいつにつけ込まれたら困るんだ! 瀧は俺が守るからな!」

 龍之助の強い言葉に、瀧はどう返すべきか迷った。

「おいおい、龍ちゃん、君もなかなか頼りがいがあるな。でも、俺だって瀧ちゃんを大事にしてるんだぜ?」
「それでもダメだ!」

 龍之助の鋭い反論に、瀧は思わず苦笑した。この二人のやり取りはいつもこうだった。龍之助が麗一を「悪い虫」と見なして全力で拒絶し、それを麗一が楽しむように受け流す。瀧は毎回その間に挟まれ、どうするべきか悩むのだった。

「二人とも、落ち着いて……龍ちゃん、もうすぐ夕飯だから、一緒に食器並べようよ」
「俺も手伝うよ?」
「ダメっ! お前は座ってろ!」
「はいはい」


「龍ちゃん、ご飯どれくらいたべられる?」
 小さなお茶碗にご飯をよそいながら瀧が言う。
「いっぱい」
「わかった」
「瀧」
「ん?」
 小さな手が瀧のエプロンを掴む。
「俺……あいつがいない方がいい……」
「龍ちゃん……」
 その言葉に、瀧の心は痛んだ。龍之助がそこまで嫌がっているのに、麗一のことを突き放せないことに。
 龍之助が家族を取られるかもと不安に思っているのに、龍之助の不安を取り除いてあげられない未熟な自分。

 そのやりとりは麗一にもしっかり届いている。軽く肩をすくめて立ち上がった。
「まあまあ、龍ちゃん。今日は大人しく帰るからさ、瀧ちゃんをそんなに困らせるなよ。また今度、改めて来るから。それで、瀧ちゃんも俺のこと考えておいてくれよ」
「……!」
 瀧が麗一を追って玄関先に走って行く。靴を履く後ろ姿に声をかける。
「先輩……! すみません。せっかく来てくれたのに……」
「いや、急に来た俺が悪いな。気にするな」
「待っててください」
「?」
 瀧がキッチンに消え、しばらくして持ってきた小さな風呂敷包みを麗一に差し出す。
「これ……夕飯です。適当に詰めただけだから形は悪いかも知れませんが……」
「いいの? 嬉しいな。いただくよ」

 じゃあまた、と手を軽く振って麗一は帰っていった。その背中を見送って瀧はキッチンに戻ってきた。
 龍之助はまさか麗一が帰るとは思っていなかったのだろう。ご飯の入ったお茶碗を持ったままぼうっと立っていた。
「さ、龍ちゃん。冷める前にご飯にしよう」
「あいつ帰っちゃって……いいのかよ?」
「ん? いいよ。先輩、用事あるって」

 瀧の言葉に、龍之助は少しだけ表情を緩めたが、まだ納得がいかない様子だった。
「……次は一緒に食べてやってもいい……瀧の横は俺だけどな」

 龍之助の強気な言葉に、瀧が思わずといったように笑う。彼の中で、龍之助はまだ小さな子どもだったが、その純粋な愛情に心が温まるのを感じた。
「ありがとう、龍ちゃん。俺も龍ちゃんの隣がいいよ」

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