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オトナの恋に憧れて
リリカルおじさんの涙 後編
しおりを挟むそして来たのは九谷くんの家だ。
「おじゃまします…」
「どうぞ」
九谷くんの家は、一人暮らしには充分な広さがあって、室内もクリーム色の家具に茶色いカーテンでレイアウトされていて、温かみがある。落ち着ける。九谷くんの部屋に来るとなったとき、もっとオシャレな方向に突き抜けていたり、趣味を追求した部屋に住んでいると勝手に想像したことは黙っておこう。
「きれいにしているね」
「まあ、そこそこ。冨田さんは平気ですか」
「え」
なにかあるのだろうか。ペットボトルのお茶を渡されて、九谷くんは気が利くなぁと思いながら喉を潤していたところだった。
あ。
「手土産も持たずに来てしまって…、図々しかったね…ごめん…」
「いや、全然違いますけど。手土産なんていりません」
「あ、そうかな…?」
「僕が言いたいのは、冨田さん」
「なんだい?」
九谷くんが僕の飲みかけのペットボトルを欲しいと言うように手を出したので、どうぞと渡す。もともとは九谷くんのものだ。九谷くんは一瞬微妙な表情をしたけど、僕から受け取ったペットボトルをローテーブルに置いた。そして、そのまま近づいてきたので、隣に座るのかと思ってお尻をずらして九谷くんの座る場所を作った。別に向かいに座ってくれたらいいのだけれどと暢気なことを考えながら。九谷くんが僕の想像よりも近づいてきたので、僕はバランスを崩してしまった。九谷くんが手を伸ばしてきて僕は助けてくれるのかと思ったけど、肩を押されてそのまま後ろに倒された。九谷くんが頭を支えてくれたので、床にぶつけることは免れたけど、どうしてそんな乱暴なことをされたのか分からなくて、なにか怒らせるようなことをしたかなと思いながら九谷くんを見上げた。九谷くんが思ったよりも真剣な顔をしていたので、僕はびっくりして固まってしまった。怒られる理由がわからない。でも、九谷くんの言葉は想像とは全く違うものだった。
「あなたのことが好きだと言っている男の家にのこのこ付いて来て、どうなっても平気ですか…って意味で聞きました」
「ぇ…」
顎を掬われて、あっと思ったときには唇に柔らかいものが当たっていて、それが九谷くんの唇だったと気づいたときには、もう唇は離れていた。ファ、ファーストキスだったのに…。びっくりして置き物のように固まった僕に、九谷くんは首の後ろから手を入れてきたので、上を向くことになった。
「嫌なら抵抗してくださいよ」
そうして、また顔が近づいてきて、今度はちゃんとキスをされるってわかったけど、僕にできたのはびっくりして目を瞑ることだけだった。さっきみたいに唇が合わさったと思ったときには、ぬるんとしたものが口の中に入ってきて僕の舌に巻きついた。抵抗ってどうしたら抵抗になるのだろう。僕は今度こんな機会がきたら、今度こそ緊張せずに、キスされたらキスをお返しして、そっと抱きついたら、ギュッと抱き返してくれて二人で素敵な時間を過ごす、そんな想像しかしたことがないから。九谷くん、僕は本当に、男の人しか好きになれないけれど、男の人とそんなことをしたことがないから、わからないよ、九谷くん…。結局、最後まで舌を引っ込めたまま置き物だった僕を見て、九谷くんは眉をひそめた。
「泣くくらい嫌でしたか」
「ううん…ごめん、泣くつもりじゃなくて、はは、恥ずかしいな」
涙を拭こうとした手を掴まれた。反対の手と一緒に頭の上で纏められて、涙が拭けないどころか、泣いて赤くなった目や、もう少しで垂れてしまいそうな鼻水まで、みっともない顔を九谷くんに晒すことになってしまった。
「離して」
「離しません」
「…見ないで」
「言いたいことはそれですか」
話をするつもりで九谷くんの家まで来たのだ。なのに情けないことに、水を向けられないと話ができない。鼻を啜る。
「僕と付き合ってもいいことなんてないよ…」
「どうしてですか」
「だって僕は…この歳にもなって、キスだってしたことがなかったし…君を優しくエスコートなんてできない」
「…はぁ…」
「君は仕事もできて、将来も希望に満ち溢れている。なんでもはっきり言えるし、ほら、さっきみたいにモテるから、いくら年上が好きでも、今まで好きになった人から好きになってもらったことなんてない…誰のことも満足させられない僕なんかより…君には素敵な人が他にもっといっぱいいるから…」
「…」
「それに僕はもう自分のなにがだめだったのかって考えてもわからないことと向き合うのは嫌なんだ…」
九谷くんが手を離して、部屋を出ていってくれたので、僕は顔を隠して泣いた。涙が止まらない。こんな暗い話を聞かせるくらいなら、好みじゃないから、嫌いだからと突っぱねたほうがよかった。明日からどんな顔して仕事すればいいんだ。カタと音がして、また九谷くんが近づいてくる気配がする。「冨田さん」と呼ばれて、手にちょんとタオルがあたる。受け取ってみると、冷たくて、保冷剤が巻かれているみたいだった。
「冷やしたほうがいいですよ」
「…ありがとう」
受け取ったものをまぶたにあてる。気持ちいい。九谷くんの優しさに甘えて油断していたところ、九谷くんのはっきりものを言うところが発揮された。
「冨田さんって、めんどくさい人ですね」
「そ、そうだよね…ごめん、帰るよ」
至極もっともなことをいわれて、もはや立つ瀬がない。なにも察することなく九谷くんの家まで付いてきて、キスされて泣いて、自分のダメ出しを延々と聞かせて、全然スマートじゃない。走馬燈に出てきそうなくらいダントツの黒歴史だ。まぶたにあてていたタオルを九谷くんに返す。
「これ、ありがとう、おかげでマシになったよ」
「待ってください」
九谷くんは焦ったように僕を手首を掴んだ。力が強くて動けない。
「今のは僕の言い方が悪かったです、すみません」
「九谷くんが謝ることじゃないから…」
僕がただ入念に恥の上塗りをしただけだ。九谷くんが全然手を離してくれないので、諦めて座り直した。九谷くんが明らかにホッとしたような顔を見せたので僕は不思議な気持ちになった。
「めんどくさいですけど、それくらいで嫌いにはなりません、めんどくさいことをちゃんと言ってくれるところも好きです」
「…え」
九谷くんはめんどくさいと言ったあと、真逆のようなこと言った。
「冨田さんの考えがわかってよかったです。冨田さんは、経験がなくて僕をリードして満足させられないから、僕のために次の人を探せって言ってるんですよね」
「う…ん…」
そうかな。でも、違うかな。僕は僕に自信が無いから、九谷くんに飽きられるのが嫌だったんだ。そしてそんなつまらない自分も。こうしてちょっと冷静になってみると、ただ僕は臆病なだけだったとわかる。傷つきたくないのだ。九谷くんは都合のいい解釈をしていると思う。でも、僕はやっぱり臆病だから、細かい訂正を入れる精神的体力はなかった。
「冨田さん」
「なに…?」
「僕は年上の男の人が好きですが、優しくエスコートしてもらおうなんて思ったことはありません」
「え…」
僕はびっくりして九谷くんを凝視してしまった。そんな人いるの?代々人は勉学を、生き方を年長者から教わって成長してきたのに。九谷くんはフッと笑って、僕を見ている。九谷くんが嘘を言っているようには見えなくて、僕は目から鱗がボロボロと剥がれ落ちる音を耳の遠く奥で聞いた。
「冨田さん、僕はタチなので、あなたみたいな年上のネコ…経験はなくても、あなたはネコです」
「ぼ、僕が…ネコ…?」
「まあ、どう見ても。僕はあなたみたいな年上の男の人を鳴かせるのが好きです。可愛ければなおさら」
そうして九谷くんの大きな手が僕のお腹から脇へとゆっくりと撫でていった。九谷くんの手は温かいだけではなくて、なにか触られたところからムズムズとしたものが込み上げてきた。
「やめて、くすぐったいよ…」
「そうですか、そのうちよくなりますよ」
「どうして九谷くんは僕がこんなでも気にならないの?」
「気になりませんね、僕は冨田さんに熟練の手管なんて求めていませんから。どの角度で見ても器用なタイプには見えませんし」
「じゃあ…」
「こっちに来てください」
やっぱり僕はやめたほうがいいよと言い終る前に手を引かれて、引き寄せられる。
そうして僕は九谷くんの腕の中にいた。ほっぺたに九谷くんの息がかかってそれだけ九谷くんの近くにいるってことに体がびっくりしていた。九谷くんが顔を傾けると、すぐそこに九谷くんの顔があって、目が合うとあんまりにも近くてドキドキするくらいだった。
「冨田さんには、こうして僕の腕の中で寛いでもらいたいです」
「え…」
「これは嫌ですか」
「いや…じゃないけど…」
そんなことでいいのかな。まだ胸はドキドキしているけれど、九谷くんの腕の中はあたたかくて、こんなに間近で九谷くんの顔を見ているのに、九谷くんの目は柔らかくて、緊張していた体のこわばりが自然と解けていった。それなら僕にもできそうだった。
「僕にもできるかな…」
「可愛がられるほうが向いていると思いますよ」
「そうかな」
「そうです」
そうですと言われて、なにかがストンと落ちたような気がした。そして涙がまた溢れてきた。九谷くんが背中を撫でてくれて、その手が大きくてあたたかくて優しかったので、僕はますます涙が止まらなかった。
「不思議です」
九谷くんが独り言のようにつぶやいた。
「僕は今まですぐ泣く人は苦手でしたが、冨田さんの涙に嘘は無いので…許してあげます」
僕はもう九谷くんの刺々しい言葉にチクチク刺されて息がしにくかった。九谷くんはどこまでもはっきりしていた。けれど、僕の泣き腫らしたまぶたにそっと労るようにキスしてくれたので、僕は勇気をだして九谷くんの背中に腕を回してみたのだ。
訂正:激重リリカル陰キャおじさんのよく喋る独り言でした。
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