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オトナの恋に憧れて
リリカルおじさんの涙 前編
しおりを挟む僕は、九谷くんが苦手だ。彼は、入社3年目で、若手社員の中ではかなり仕事ができる有望株だ。そして、僕がゲイだという事を知っている。なぜなら、彼もそうだからだ。運の悪いことに、なかまが集まるバーで鉢合わせてしまい、お互い性指向がバレた。痛み分けだったのである意味公平に傷を負った。回復は若い九谷くんのほうが断然早かった。今思えば、よく3年間も会わずに済んでいたことだ。僕は、クローズなので、会社にバレたくない。九谷くんも同じ意見だったので、お互いこのことは口外しないということで落ち着いた。彼は、「僕は年上の男性が好みです」と言った。僕もそうだったので、嬉しくて、「年上の男性って素敵だよね、九谷くんは年上のどんなところにときめいたりする?」会社にバレずに済むと安心して気が緩んでいたこともあって、つい世間話をするように話しかけた。でも九谷くんは間伐入れずに、「でも、冨田さんのことは好みではないので、安心してください」と言ったのだ。話を遮られたことにか、好みじゃないと言われたことにか、とにかく否定された僕は次の日くらいまで誰とも口を聞きたくないくらいには落ち込んだ。別に僕だって九谷くんみたいに鋭い刃物みたいな言葉遣いをする若い子なんて全然好みじゃない。でも、九谷くんはそれからも僕が社内のベンチで昼ごはんを食べていたら気がついたら隣に座って「いつから自覚しました?」なんて際どいことを言ってきたり、かと思えば、残業していたら缶コーヒーをくれたりする不思議な子だ。僕は、包容力のある年上の男性が好きだ。落ち着いていて、優しく僕を包み込んでくれる年上の人だ。拓哉さんは、みんなの憧れだった。学生時代は野球をしていて、甲子園の土も踏んでいる。そんな拓哉さんに誘われて舞い上がったままついて行った。拓哉さんは野球観戦が趣味で、球場やスポーツバーへ行く。それが拓哉さんとのデートだった。僕はお酒に弱いので、ほとんど飲まない。何度か勧められたけれど、断っているうちに、誘われなくなってしまった。お酒を飲む練習をしてみたけど、ビール缶一本で次の日二日酔いで一日動けなかったので、お酒は諦めた。それでも拓哉さんとは時々バーで会うので、僕はノンアルをちびちび飲みながら拓哉さんと話をする。最近は年下のかわいい彼氏ができたらしい。一緒にスポーツバーで好きなチームを応援しているようだ。「眞宏も早くいい人が見つかるといいな」と言ってくれた。「ありがとう」と言って笑顔で別れたけれど、その日は涙が止まらなかった。健太さんも優しかった。彼とはバーの知り合いから紹介されて、付き合うことになった。お酒が苦手なことは予め伝えておいた。「僕も酒癖が悪いと言われるから控えているんだ」と教えてくれて僕はホッとした。彼は商社の営業で働いていて、美味しいお店をたくさん知っていた。僕の口は彼と一緒にいることで驕ってしまった。健太さんは、食事の後にはきれいな夜景が見えるスポットに連れて行ってくれた。それが嬉しかった。二人で夜景を見ていたら、腰に何かが触れて、それが健太さんの手で、腕に引き寄せられて健太さんの腰と密着して、びっくりして固まっていると、「もしかして、初めて?」と聞かれたので、そうだと頷いた。「びっくりさせてごめんね」と謝ってくれたので、肩の力を抜いた。緊張していたのだ。健太さんは「だったら、眞宏くんのそれは本当に好きな人のために取っておいたほうがいいよ」と言った。僕の好きな人は健太さんのことだけれど…と思ったけれど、外で体に触れられたのが恥ずかしくて、それ以上なにも言えなかった。その夜はそのまま健太さんの車に乗って家まで送ってもらった。夜景のお礼にお茶でも飲んで行きませんかと誘ったけど、駐車場が近くにないから今夜は帰るよと言われ、それから少しずつ疎遠になって健太さんとは自然消滅した。それから、喜明さんに、大貴さん、翔さん…みんな年上で優しかったけれど、優しく包み込んでくれることはなかった。そのころ僕はもう30歳になっていたので、僕のどこかに重大な欠陥があるのかもしれない。そう思うようになっていった。それからは、声をかけてくれる人もいたけど、まだ僕の欠陥は治っていない。そんなことが気になってしまって誘いにも曖昧な返事しかできなくなってしまって、次第に年上の男性からは声がかからなくなり、かわりに年下から声をかけられることがちょっとずつ増えていった。でも、僕が何かをできるとは思えない。食事をして、そう、展望台で夜景を見て手をつなぐ。そんなことしかできない。若い子はそれだけでは駄目なのだ。むしろ食事も夜景もいらない。ホテルで熱を交わす。多分、一緒に食事を楽しむより濃密で深くて特別な関わり。僕はそんなことをしたことがないから若い子にそれを教えてあげられない。結局早々に若い子にも飽きられてしまって、だから若い子は今でも苦手だ。まだ年上のほうが僕に優しくしてくれる。そんな時、転勤することになって、慌ただしくしてしまい、ゲイだということを隠しながら仕事中心の生活をすることになってしまった。それは僕にとってストレスの溜まることだった。そして、やっと今のバーで落ち着けるようになった。このバーは、なかまたちの集まるバーだけれど、以前のバーに比べて相手を探すマッチングの場所というよりは、なかまたちが集まって楽しく過ごして明日への活力とする場所だった。もちろん、出会いの場ではあるのだけれど、みんなそんなやり取りは店の外かアプリでしていた。しばらく仕事中心の生活をしている間に、時代に取り残されたような気がしたものだった。僕はもう30代も半ばになっていて、こんなバーに来ていても出会いもほとんど無くなっていた。当然、前も後ろもまっさらなままだ。ほんとうはもうそれでも良いかと思いながら今日もこのバーに通っている。このバーは僕にとって落ち着ける場所だ。マスターは気さくだし、料理も美味しい。周りはなかまばかりなのもいい。僕には、男の人しか好きになれない明確な理由がある。それは、母が男を都合よく渡り歩く人で、僕が12歳の時に離婚している。そして、離婚が決まって僕が父について行くと決まって、最後に一緒に食事をした。母は料理をしないので、出前を取って…何を食べたか忘れてしまったけれど…、二人で食べた。ご飯の後、母が僕を隣に呼んだ。僕もお別れの挨拶をしないといけないと思っていたので、隣に座った。そうしたら、腿に手が置かれて「眞宏ちゃんと離れるのは寂しいわ」と言った。僕は、腿に置かれた手が気になってなんと答えたのかは覚えていない。長い爪の派手な色を現実と乖離したところで見ていたと思う。でも多分、母との別れを惜しむようなことは言わなかったはずだ。その手が少しずつ上がってきて、僕の股間を揉みながら、「ママと一緒にいたくない?」と言った支配的な声を今でも覚えている。あのあとすぐに父が仕事から帰ってきたので、それ以上はなにもされなかった。けれど、僕はそれが原因で女性が苦手になった。苦手というより生理的に受け付けない。それが、母とは真逆の清楚で良妻賢母のような人でも。父は、もともと体が弱い人だったけど、僕を大学まで卒業させてくれた。そして去年、大きな病気をして亡くなった。まだ還暦にもなっていなかったけれど、闘病する体力はなかった。話が逸れてしまったけど、だから僕は女性が苦手で、男性しか好きになれなくなった。職場では、独身者もいて、肩身が狭いと言うほどではないけれど、結婚していないだけで、どこか居心地が悪くなる風潮はある。さらに性指向は口外できるわけもない。仕事よりも人間関係に気を遣う。僕はここで自分を偽らなくてもいい開放感と、落ち着ける時間を大事にしている。
「またいた」
九谷くんだった。
「…お疲れ様」
「お疲れさまです」
またいたってなに。やっぱり九谷くんは苦手だ。当然のように僕の隣に座るのをやめてほしい。もともと九谷くんはここが行きつけではない。初めてここで出会ってしまったのは、界隈のゲイバーが共同イベントを企画していたからだ。
「マスター、ジンリッキー」
「かしこまりました」
程なくして九谷くんのところに飲み物が運ばれてきた。それを飲みながら、当然のように話しかけてくる。前置きもなく直球で。
「どうして浜田さんをフォローしたの」
「…どうしてって…、それは同じ部署にいる後輩だから…」
浜田さんは、今日結構な損失を出すミスをして、上司に呼びだしをされた。僕も彼女の上司として同行した。結果だけ言うと、彼女は再研修で許された。
「あの銘柄は冨田さんが動向を追っていたやつでしょう」
「うん、でも僕が動向を追っているのはひとつだけじゃないから。浜田さんの損失は会社の損失だし…」
かわりの銘柄で損失を補填することになった。彼女のミスは、株式投資にはよくあることだ。ただ、桁を間違えたことが失敗だった。僕たちが扱うのは、お客様の資産だ。投資には損失が付きものですと言って売り出すが、損ありきではない。信用を売っているからだ。
「でも、浜田さんは冨田さんのこと嫌いでしょ」
そうなのだ。僕は何もしていないと思っているのだが、…してないよな?…、浜田さんからよくキツく言われる。僕のほうが一応…一応上司なのに。細かい仕事を増やされたことも一回や二回ではない。僕も浜田さんのことは苦手だが、だからといって、どうなってもいいわけではない。部署に戻る廊下で「いい気味ですか?」と自嘲ぎみに言われたとしてもだ。
「僕は好き嫌いで仕事をしているわけではないから」
「そうですか」
「うん」
しばらく会話もなく飲んでいると、「くーじゃん、久しぶり」と後ろから声がかかる。「ああ、咲」呼ばれた九谷くんが振り向いたことにつられて僕も声の方へと視線をやった。咲が九谷くんのほっぺたにキスをしているところをちょうど見てしまって、びっくりしてしまった。
「やめろよ」
「良いじゃん、今夜イケそ?」
咲と呼ばれた男性は、九谷くんの知り合いらしく、なにか誘いをかけている。僕のことなんか背景同然なのだろう。ちょうどいいから九谷くん、行っておいで。心のなかで咲くんを応援する。
「ムリ、今日はこの人と飲んでるから」
「「え?」」
咲くんとハモってしまった。九谷くんといつの間にか飲んでいることになってしまった。僕はノンアルだけど。咲くんが、”いたの?”と言わんばかりの目で僕のことを上から下まで見て、値踏みする。ふんと鼻で嘲笑われてしまった。かなり下に見られたらしい。僕はまあ、顔が良いわけでも、特別背が高いわけでも、足が長いわけでもない。ヒョロっというよりちょっとクタっとしている、どこにでもいる普通のおじさんだ。スーツだけは仕事柄ちょっと良いのを着ているけれど、それも顔と釣り合いが取れていないのは、先日浜田さんが給湯室で愚痴っているのを聞いてしまったので知っている。「俺、今は本命がいるから、遊びはしない」「えぇ?それなら早く言ってよ」咲くんはあっさり引き下がって店を出ていった。また九谷くんと隣で飲むことになった。あれから九谷くんは黙ったままだし、僕も場をとりなす会話は苦手だ。気まずい。
「九谷くん」
「なんですか」
ちょっと声が怒っている。気まずさが増す。でも、僕もこれ以上の気まずさは耐えられない。
「本命がいるなら、こんなところで僕に構っていないで、その人のところへ行った方がいいよ。職場以外で上司と一緒にいるものじゃない」
この店は気に入っていたけれど、違う店を探したほうがいいのかも知れない。そんなことを考えて、最後の一口を飲み終えた。だから九谷くんがどんな顔をしていたかなんて知らない。グラスを置いた手を握られた。誰って九谷くんにだ。
「え?」
「冨田さん、今の流れでよくそんな事が言えますね、わざとですか」
「な、何が?」
僕はなにか失言をしてしまっただろうか。思い当たる節はない。
「僕の本命…、冨田さんに決まってるじゃないですか」
えええ?決まってるの?ワケワカメ。お、落ち着こう。
「え…、いつからそんなことになったの?」
「結構あからさまでしたけど」
「僕は九谷くんの好みじゃないでしょ?」
「あー…それは、はい、すみませんでした。撤回させてください」
「え…」
「今は、会社でも、ここでも一番に探すのは冨田さんです」
「…」
人の心は変わる。けど…。
「本当です、そんな目で見ないでください」
そんな目ってどんな目だろう。疑っているのが目に出ているのか。
「でも僕は…」
僕は年上の包容力がある大人の色気を醸し出している男の人が好きだ。
九谷くんは、生命力に溢れてキラキラした若者だ。10年くらい経てば結構格好良くなると思うけれど、その時は僕もさらにおじさんだ。年の差は埋まらない。
「でもなんですか、冨田さん、ずっとフリーでしょ」
「ずっと…ってわけじゃ…」
いや、ずっとだ。だいたい僕が好きになる人は、20代くらいの若い男の子を連れていた。かつては僕もそうだった。今になってわかったのは、僕は彼らの遊び相手だっただけなのだ。運がよかったのは、みんないい人たちばかりだったので、トラブルにはならなかったことだ。全然うまく言い返せない僕に痺れを切らした九谷くんが「別に」と突然いい始めた。
「別に、僕のこと、遊びでもいいですよ」
そんなことできるわけがなかった。僕に若い子を上手に満足させてあげるテクニックはない。僕は理想のナイスミドルと一緒に100万ドルの夜景を見て、優しく抱擁されたら今度は緊張せず抱き返して、そしてどちらかの家で静かに愛を確かめ合うのだ。リードされている想像しかしたことがない僕に九谷くんは手に余る。なにより同じ職場だ。僕は九谷くんを評価している。これ以上気まずくなりたくない。
「僕は、そんな器用なことはできないよ、遊び相手なら他にもっといい人がいるから…」
「わかっていますよ、それくらい。言ってみただけです」
よかった。いや、よくないのか。
「僕が年下だから駄目ですか」
「そんなことはない」
九谷くんが年下だから駄目なわけではない。僕が駄目だからだ。僕が駄目な人間だから…。九谷くんにはちゃんと説明したほうがいいだろう。次の人に目を向けてもらったほうが彼のためになるような気がした。せめて好意を持ってくれた人には礼儀で返したほうがいいと思った。
「ここで話すようなことじゃないから…」
「そうですか。でしたら」
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