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3.Witch of Ouroboros

Ⅱ.

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 ヨルは思いのほか手こずっていた。
 サイレント・アサシンは氏族特有の敏捷さで、壁に張り付き地面に張り付き、距離感を狂わせて掴みどころのない攻撃をしかけてくる。
 しかし、ヨルにはたいした致命傷を与えられないでいた。

(まだ続けるのだろうか)

 ヨルは考えずにはいられなかった。
 ほかのヴァンパイアならいざ知らず、自分にこの攻撃は有効ではない。それは仕掛けている相手にももうわかっているはずである。
 次の攻撃のための布石を打っているのか。あるいは、時間をかけること自体を目的としているのか。かりに時間をかせいでいるとすればなんのためか。
 ヨルは戦いながら、残してきた調停官とガルシアのことに思いをめぐらせていた。
 いつになく、どんよりと空気が重い。
 この街全体が圧迫感とも威圧感とも思えるものに覆われているように感じる。
 これは目の前の敵が発しているのだろうか。

(それほど危険な相手だろうか?)

 妙な胸騒ぎを覚えて、ヨルも思い切った攻撃に踏み切れないでいた。
 そんな膠着した状態を破るように、前方の路地から、ゆらりと人影が現れた。
 暗色のコートをまとい、薄い髪をぴっちりと撫でつけた長身の老人であった。
 幽鬼のように痩せていて、血色も怖ろしく悪い。

「どけっ、ジジィ!」

 サイレント・アサシンは片手で払いのけようとした。
 雑草一本よりも儚く、手を出すことすら面倒に思えた。

「!」

 しかし、払おうと出した腕が動かない。
 老人の細い手がそれを掴んでいた。
 見た目からは想像もできないほど強い力でがっちりと固定されていた。
 サイレント・アサシンは初めてまともに老人を見た。
 そして、見たことを後悔した。
 老人の眼の奥にあるものは限りなく深い闇だった。
 光さえ脱出することのできない、地獄の最下層だった。
 とてつもない絶望感がサイレント・アサシンを包み込んだ。
 老人の口が大きく開かれ、鋭い牙がサイレント・アサシンの喉元に突き刺さった。
 そこからすべての活力を吸い取られ、闇でできた底なし沼の中へずぶずぶと引きずり込まれていく。

「まさか……サ……サード……」

 サイレント・アサシンの舌が動けたのはそこまでだった。

「サードエルディアス……!」

 追いついたヨルが後を続けた。
 老人は動かなくなったサイレント・アサシンの身体をまるで紙屑のように無造作に後ろへ投げ捨てると、ヨルのほうを向いた。
 ヨルが属するデュークス氏族のサードエルディアス(第三世代)だった。
 ヨルは偉大なる氏族の長に対し、すでに片膝を着き深く頭を下げていた。

「ひさしいのう、ヨル」

 老人は口についたサイレント・アサシンの血を袖で拭いながら、ゆっくりとした調子で声を掛けた。
 本来は禁忌とされる『同族喰らい』を行ってもなんら意に介さない。
 サードエルディアスを裁ける者など居ないからだ。

「は、お目覚めとは知らず、御挨拶にも参りませんで失礼致しました」

 ヨルはこれまでの圧力のもとがなんであるか理解した。
 老人の物腰は穏やかであったが、サイレント・アサシンと対峙していたときとは比べものにならないほどの戦慄を覚えた。

「よい、よい、先ほど不意に目が覚めてな、ついでに新しい調停官殿の顔でも拝んでおこうかと思ったのよ」

「調停官ですか……」

 そのとき、街全体を震わすような爆発音が響いた。 

「サディ……」

 ヨルは振り返った。
 シンラならよいが、いまのは調停官のいた方角ではなかったか。

「取り込んでおるようじゃの、挨拶は次にするか」

「は、よろしいのですか?」

「よい、もともと老人の気まぐれじゃ」

「では、調停官殿によろしくな」と言って、老人は現れたときと同様、ふらりと路地の闇に紛れてしまった。
 ヨルはもと来た道を走った。



 ガルシアは素早く踏み込んで調停官へ腕を伸ばした。
 人間の、しかもか弱い女である。
 掴んだときには息の根を止めている。そんなことも容易たやすいはずであった。
 しかし、調停官はふわりと五メートルほども後ろへジャンプした。
 背負っていたほうきを横にして、その上に腰掛けている。

(飛んだ?)

 ガルシアは一瞬我が目を疑った。
 「ウロボロスの魔女」「黄昏の魔女」と呼ばれる調停官である。
 だが、たとえ魔女と呼ばれようと人間が飛べるわけはない。

「シルフだな?」

 ワーウルフの問いに調停官はわずかな笑みで答えた。
 飛んで逃げられては追いつけない。
 ガルシアは一気に距離を詰めようとした。
 しかし、動けなかった。

「なんだこりゃ!?」

 地面を突き破って出てきた無数のつたが、触手のようにガルシアの足に絡みついていた。
 一本二本ならすぐに引き千切ることができるが、それは切られるよりも早く次々と伸びてきて、足だけでなく胴にも巻きついた。
 サディはガルシアから目を離さずゆっくりと距離をとっていった。
 足止めしていても油断ならない。
 ワーウルフなら指でコインをはじくだけで銃のように致命傷を与えることができるのだ。
 サディの背中が建物の壁についた。
 まだ安全な距離とは言い難い。

「それならこれだ!」

 ガルシアは抱えていたスーツの間から小瓶を出した。

「あんたのところからいただいてきたニトログリセリンだ。この距離なら外さないぜ」   

「さっきシルフが来たとき教えてくれたわ。それが棚からなくなってたって」

「気づいてたのか? なら、手下どもから離れるべきじゃなかったな」

 投げた。
 調停官が少々素早く避けようとも、爆発に巻き込まれただではすまないはずだった。
 だが、瓶は調停官に届かなかった。
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