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1.Book of Ouroboros
II.
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声をかけられた人物は、店の奥の小さなテーブルについていた。
テーブルの上にはガラスの小瓶がいくつか置いてあった。女主人はそれを代わる代わる手に取っている。
男には薬品を調合しているか、鑑定しているように見えた。
「どうしたの?」
女主人は掛けていた眼鏡を外して、テーブルの上に置くと、男と銀髪の女を交互に見た。
漆黒の長い髪と、おなじく黒い瞳、服までが真っ黒だ。ただ、肌の色だけが透き通るように白い。
年齢は二十歳前後だろうか。
落ち着いた態度は風格のある佇まいを感じさせるが、瞳の輝きの中には好奇心からくるあどけなさも見える。少なくとも、銀髪の女よりは年下のようだ。
もちろん、見た目通りの年齢でないことも、この街ではよくあることなのだが。
「お客さんよ」
「あら、怪我をなさっているのね。手当をしてあげて」
女主人もまた、血を見ても動じるようすはない。
「怪我の治療に来たわけじゃない。それにこんな傷すぐに治る」
男は辞退しようとしたが、銀髪の女は治療の準備をはじめていた。
「ダメよ。戦闘状態の彼らは、爪に障気が混ざっていることがあるから。月齢八日じゃすぐには治らないわ」
男は、女がすでに状況を把握しているらしいことに驚いた。
「なんでもお見通しなんだな。だがそれならなおさらだ、追っ手がそこまで来ているんだ」
男は、女たちが悠長に構えているので苛立ちはじめていた。
そのとき、玄関先が騒がしくなった。
男の言う「追っ手」がたどり着いたようだ。
「大丈夫よ。招かれざる客はここには入れないわ」
店の主人はあくまで落ち着いていた。
しかたなく男はすすめられるまま椅子に座った。
銀髪の女は応急処置用の道具箱を開くと「いいスーツが台無しね」と言って上着を脱がせた。
「高かったんだがな……」
男は玄関のほうが気になるようで、上の空で応えた。
銀髪の女の手際は良く、治療はすぐに終わった。
「あなたがここを訪れたのは、これの件ですね」
女主人が後ろの本棚から分厚い本を取り出してテーブルの上に置いた。
かなり古い物のようだ。
表紙はなにかの革のようなものでできていて、二匹の蛇が互いの身体を飲み込もうとして相手の尻尾に食らいつき輪になっている図が描かれていた。
そして、その図の上には、古い言葉で「ウロボロス」と書いてあった。
「突然あいつらが襲ってきたんだ」
男はここへ来るまでのいきさつを語った。
「四、五日あとなら、たとえ相手が二匹でも不覚をとることはなかったんだが……。あんたの言うとおり、月齢八日の人狼じゃこんなものさ」
銀髪の女のほうを向いて、包帯を巻いた肩をさすりながら自嘲気味に笑った。
「では、吸血鬼に襲われた理由はわからない、ということですね?」
女主人はメモを取りながら尋ねた。
「ああ、まったく身に覚えがない」
「わかりました。では、あとは直接向こうに聞いてみます」
「おいおい、『向こう』って、ヴァンパイアに人間のあんたがかよ?」
女主人が腰を上げたので、男も慌てて立ち上がった。
「やめとけ、殺されるぜ!」
「でも、これが仕事ですから」
店主は相変わらずのマイペースな口調だった。
「あなたも、なんとかしてもらいたくてここへ来たんでしょう?」
「まあ、そうなんだが……こんな可愛らしいお嬢さんが『調停官』だなんて知らなかったんだよ」
男はダークブラウンの髪に指を突っ込んで頭を掻いた。
(この娘でなんとかなるのだろうか?)
「では、あなたとしてはどうしたいのですか?」
店主の問いに、男は間髪を入れず答えた。
「なにか武器になるようなものをくれ。銀の弾丸の入った銃だとか。そしたらたとえ相手が二匹でも、自分でケリをつける」
「ワーウルフが銀弾を使うなんて変だわ。どっちかというとあなたは撃たれる側でしょ」
銀髪の女が横槍を入れた。
「銀弾はすべての闇の住人にそこそこ効果があると聞いている」
「銀弾はいま切らしているわ」
「なら、べつのものでもいい。とにかく武器をくれ、なるべく強力なものを」
「それを使ってみたら。その黄色い粉の入った瓶の……」
銀髪の女は棚に並んでいる瓶のひとつを指差した。
「これか!」
「それは、カレー粉よ。その隣の液体のやつ」
「これはなんだ?」
「三硝酸グリセリン……つまりニトログリセリンよ。落とさないでね、それだけあれば、この建物が消し飛ぶから」
「お、おう」
「ツキ、調味料と爆薬は棚を分けてって言ったでしょ。大丈夫よ、衝撃で爆発することはめったに無いから」
女主人は例によって平然としている。
「……たまにあるのかよ」
男は物騒なものを丁寧に一旦棚へ戻した。
テーブルの上にはガラスの小瓶がいくつか置いてあった。女主人はそれを代わる代わる手に取っている。
男には薬品を調合しているか、鑑定しているように見えた。
「どうしたの?」
女主人は掛けていた眼鏡を外して、テーブルの上に置くと、男と銀髪の女を交互に見た。
漆黒の長い髪と、おなじく黒い瞳、服までが真っ黒だ。ただ、肌の色だけが透き通るように白い。
年齢は二十歳前後だろうか。
落ち着いた態度は風格のある佇まいを感じさせるが、瞳の輝きの中には好奇心からくるあどけなさも見える。少なくとも、銀髪の女よりは年下のようだ。
もちろん、見た目通りの年齢でないことも、この街ではよくあることなのだが。
「お客さんよ」
「あら、怪我をなさっているのね。手当をしてあげて」
女主人もまた、血を見ても動じるようすはない。
「怪我の治療に来たわけじゃない。それにこんな傷すぐに治る」
男は辞退しようとしたが、銀髪の女は治療の準備をはじめていた。
「ダメよ。戦闘状態の彼らは、爪に障気が混ざっていることがあるから。月齢八日じゃすぐには治らないわ」
男は、女がすでに状況を把握しているらしいことに驚いた。
「なんでもお見通しなんだな。だがそれならなおさらだ、追っ手がそこまで来ているんだ」
男は、女たちが悠長に構えているので苛立ちはじめていた。
そのとき、玄関先が騒がしくなった。
男の言う「追っ手」がたどり着いたようだ。
「大丈夫よ。招かれざる客はここには入れないわ」
店の主人はあくまで落ち着いていた。
しかたなく男はすすめられるまま椅子に座った。
銀髪の女は応急処置用の道具箱を開くと「いいスーツが台無しね」と言って上着を脱がせた。
「高かったんだがな……」
男は玄関のほうが気になるようで、上の空で応えた。
銀髪の女の手際は良く、治療はすぐに終わった。
「あなたがここを訪れたのは、これの件ですね」
女主人が後ろの本棚から分厚い本を取り出してテーブルの上に置いた。
かなり古い物のようだ。
表紙はなにかの革のようなものでできていて、二匹の蛇が互いの身体を飲み込もうとして相手の尻尾に食らいつき輪になっている図が描かれていた。
そして、その図の上には、古い言葉で「ウロボロス」と書いてあった。
「突然あいつらが襲ってきたんだ」
男はここへ来るまでのいきさつを語った。
「四、五日あとなら、たとえ相手が二匹でも不覚をとることはなかったんだが……。あんたの言うとおり、月齢八日の人狼じゃこんなものさ」
銀髪の女のほうを向いて、包帯を巻いた肩をさすりながら自嘲気味に笑った。
「では、吸血鬼に襲われた理由はわからない、ということですね?」
女主人はメモを取りながら尋ねた。
「ああ、まったく身に覚えがない」
「わかりました。では、あとは直接向こうに聞いてみます」
「おいおい、『向こう』って、ヴァンパイアに人間のあんたがかよ?」
女主人が腰を上げたので、男も慌てて立ち上がった。
「やめとけ、殺されるぜ!」
「でも、これが仕事ですから」
店主は相変わらずのマイペースな口調だった。
「あなたも、なんとかしてもらいたくてここへ来たんでしょう?」
「まあ、そうなんだが……こんな可愛らしいお嬢さんが『調停官』だなんて知らなかったんだよ」
男はダークブラウンの髪に指を突っ込んで頭を掻いた。
(この娘でなんとかなるのだろうか?)
「では、あなたとしてはどうしたいのですか?」
店主の問いに、男は間髪を入れず答えた。
「なにか武器になるようなものをくれ。銀の弾丸の入った銃だとか。そしたらたとえ相手が二匹でも、自分でケリをつける」
「ワーウルフが銀弾を使うなんて変だわ。どっちかというとあなたは撃たれる側でしょ」
銀髪の女が横槍を入れた。
「銀弾はすべての闇の住人にそこそこ効果があると聞いている」
「銀弾はいま切らしているわ」
「なら、べつのものでもいい。とにかく武器をくれ、なるべく強力なものを」
「それを使ってみたら。その黄色い粉の入った瓶の……」
銀髪の女は棚に並んでいる瓶のひとつを指差した。
「これか!」
「それは、カレー粉よ。その隣の液体のやつ」
「これはなんだ?」
「三硝酸グリセリン……つまりニトログリセリンよ。落とさないでね、それだけあれば、この建物が消し飛ぶから」
「お、おう」
「ツキ、調味料と爆薬は棚を分けてって言ったでしょ。大丈夫よ、衝撃で爆発することはめったに無いから」
女主人は例によって平然としている。
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