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15.王城事件
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ヴァンバルシア王家は大きなジレンマを抱えていた。
後継者問題である。
ランデルは王となったが、子どもがいない。
妻であるババロアはまだ大聖女である。女神伝説の時代から、大聖女には処女性が求められていた。そのため、王族と結婚する前には引退するのであるが、ババロアは大聖女の地位に執着していたためこれまで子作りができなかった。
ランデルとしては「もう王妃になったのだからいい加減に大聖女はつぎのものにやらせろ」と言うことはできた。
しかし、ババロアが先日見せたどこにでも精霊防壁を張れるという能力は、子作りの重要性を置いておいても魅力的だった。
敵の攻撃を受け付けない鉄壁の軍団。これがあれば自分の代で大陸制覇も夢ではない。
後継者問題と聖霊防壁をつかった大陸制覇は並び立たないというのが臣下たちの認識だった。
だが、ランデルの頭の中では優先する順番は決まっていた。
ランデルは三十三歳。後継ぎのことはまだどうにでもなる。大陸を統一するまでババロアを利用し、その後、出産が無理な年齢であれば王妃を廃してべつの女にするという手もあると考えていた。
ランデルの野望のすべてを知っているわけではないが、モン伯爵にも焦りがあった。
モン・ザ・クルフカは王宮の執務室でババロアに向かって言った。
「聖霊防壁の運用で、殿下——陛下にとってお前は掛け替えのない駒になった」
「駒ですか」
「そうだ。陛下にとって他人は、敵か味方か、使えるか使えないかの駒でしかない。お前は陛下に愛情を持っているか? 仮に国王でなかったとしたらどうだ」
「人間的には、あまり尊敬できるお方ではありません」
ババロアはことさら声をひそめて言った。
「そうだろう。我々の繋がりは利害関係でしかない。わしが今後期待する展開を話しておこう」
モン伯爵も声を低くした。
野心家で自己顕示欲の強いランデルを常に第一線に立たせる。そして戦死したらババロアとのあいだに産まれた子を新王に立ててモン伯爵が摂政になる。それが、モン伯爵にとってもっとも望ましい展開だった。
ところが、今後もランデルはババロアを優秀な盾として大陸を制覇するまで戦場に同行させるかもしれない。そうなれば子作りはかなり後まわしになる。モン伯爵はいい歳なのでこれ以上は待てない。
さらに、ランデルは妻と子作りはできなくとも女遊びはしている。いまのところ子どもはできていないがいつまでもそうとはかぎらない。
「いつまでも『寝て待て』とは言っておられん状況だ」
「私が防壁を張れることを示したのは余計なことだったのでしょうか」
「いや、その力があるうちは、王はお前を——お前とモン家をないがしろにはしないだろう」
ランデルは、先王が死んであとは自分がいいようにできるから、もうモン家の後ろ盾はなくてもいいと思っているかもしれない。同様に、モン伯爵にとっても、世継ぎが生まれれば現王は必要ないどころか邪魔なだけだった。
モン伯爵はそこまで話すといつもどおり手をひらひらさせて退室を促した。
ババロアはまだなにか言いたそうだったが、結局なにも言わず、膝を曲げてあいさつすると部屋を出ていった。
エキドナの王都オルトロスで邪神を、という話をしたので、あきらかにババロアは怪しんでいる。だが、知られたところで問題はない。
「ご息女はすでに勘付かれているのでは」
部屋の隅から男の声がした。
そこにフードを深く被った人影が立っていた。
「オルトロスで魔物を呼び出すことはできるか? エキドナに入るための手筈はこちらで整える」
モン伯爵は驚くこともなく、まるでいままで話していたかのように会話をつづけた。
「龍をひと暴れさせることはできますが、必ずしも王族を手にかけるかは保証できません」
「どれくらいのあいだ暴れまわるのだ」
「召喚した者の信仰心と熟練度にもよりますが、長くて一時間ほど」
「一時間で消えるのか。またすぐに呼び出すことはできんのか」
「呼び出すには厳しい条件がありますので連続で何度もとはいきません」
「条件? 例えばどのような」
「日光を嫌いますので晴れた日中はかなり厳しいかと」
「それだけでずいぶん制限されるな。まあ、夜でも構わんか」
「神への祈りによって曇天にすることもできます。前回がそうだったように。今回は私が行きましょう」
「魔物に真っ先に食われると言っていたが大丈夫なのか」
「王宮のように人と遮蔽物の多いところであればどのようにでも」
「ふむ、一時間か」
「それだけあれば王城は壊滅状態にできます」
「王都にはあの聖女がいる。それを阻むだろうな」
「ナタ・デ・ココですか……また火の神を召喚されればそうなります」
「だが、召喚したものはその報いを受ける」
「それが狙いですか?」
「最悪、王都に足止めできるだけでもいい。ババロアはあの聖女に霊力は無いと言っておったが、わしは不気味なものを感じる。現に火の神を召喚したからな」
「龍が聖女を狙い撃ちしてくれるとよいのですが、なかなかそこまでは」
「なぜそんな言うことを聞かない化け物を神と崇めておるのだ?」
「龍は神が使わしたもので、神ではありません」
「神は別にいるのか」
「我が教団が崇めるのは宇宙の調停者である『無貌の神』です」
「調停者? ふむ、まあいい」
信仰の話を聞きはじめると長くなりそうなので、モン伯爵は早々に打ち切った。
「陽動がうまくできたら、今後も援助しよう」
「利害関係、ですな」
「おぬしらはどこを目指している」
「伯爵がヴァンバルシアの権力を握り、カダス教を国教としてくれること。そして、ヴァンバルシアが他の国を統べて、大陸全土に信仰が行き渡ること。それが我らの悲願です」
「途方もない話に聞こえるが、宗教が目指すところはどれもおなじなのだろうな」
「はい」
「では、望みを叶えるために行け。我々はリック城に詰めて、そちらの動きに合わせて侵攻を開始する」
「は」
影は短く返事をして消えた。
サナト・モレアは大国ヴァンバルシア王国の王都というだけあって巨大な都市である。
そのとある街なかの薄暗い一室に、フードを被ったものたちが数名集まっていた。床に直に座り顔を突き合わせて話し合っている。
ひとりはモン伯爵の執務室からもどった男だった。
「エキドナの王都、オルトロスの王宮で龍を呼び出す」
男が言った。
「龍を……」
若い信徒がごくりと唾を飲んだ。
彼らはカダス教団の信徒たちだった。
「では、私が」
「いや、私が行く」
若い信徒が名乗りを上げたが男が却下した。
「危険です、ウォード司祭はここに残ってください」
モン伯爵のもとからもどった男は「司祭」と呼ばれていた。
ウォード司祭は若い信徒に説いた。
「危険は避けられる。十年前……ジノン師は小船の上だったので身を隠すことができなかった。今回は城の中で召喚するので真っ先に贄にされることはない」
「しかし、城の中では逃げ場がありません。建物ごと潰されるのがオチです」
「そうならないように私が行くのだ。いま龍を呼び出せるものは私とそなたしかいない」
「では、やはり私が」
「ダリル……そなたはまだ未熟だ。生還率が低い」
ダリルと呼ばれた若い信徒は唇を噛んだ。
ウォードはダリルの頬に手を当た。
「若いがそなたは優秀だ。これからもっと修行をして教団を導くだけの力をつけなければならない」
「兄さん……」
「心配するな。かならず我が教団の力を示して帰ってくる」
ウォードは歳の離れた弟の頭にポンと手を乗せて立ち上がった。
ヴァンバルシア王ランデルは、ババロアやモン伯爵とともに大勢の将兵を連れてリック城に入った。
兵士の数は補給部隊なども入れると十万人におよび、当然リック城内には入りきれない。ほとんどは大量生産した軍船に乗せ、一部は城外に野営させた。
ウガイ川には、水面が見えないほど軍船がひしめき合っていた。
「壮観だ!」
それを城から眺めてランデルは悦に入っていた。
「このまま押し寄せるだけで、エキドナ軍は戦意をなくして跪くだろう」
ランデルはモン伯爵に「そちらの首尾はどうなっている?」とたずねた。
「こちらが予定通り準備が整ったので、あちらでも予定通りに事を起こすはずです」
「こちらはこちらではじめてもよさそうだがな。この軍勢に立ち向かえるものはおらんだろう」
「段取りを急に変更すると全軍が混乱しますので、予定通り連絡が来たら進軍開始ということで」
モン伯爵はまだナタ・デ・ココに対する懸念を拭えないでいた。
「ああ、わかっている」
王は待ちきれないといったふうにそわそわと身体を揺さぶった。
彼は戦闘が待ちきれないのではなく、この戦いを皮切りに各国を支配して「大陸を統一した偉大な王」と早く称えられたいのだった。
エキドナ王国王都オルトロス。その中心にある王宮の上空でけたたましい鳴き声が響いた。
大気を震わせ、大地を揺るがすような巨大かつ不快な音にだれもが耳を塞ぎ、厚い雲が垂れ込める暗い空を見上げた。
空中に二十メートルを超える長さの物体がいた。コウモリのような羽と禍々しいかぎ爪を持っており、不規則に気味悪く長い胴体をくねらせていた。
頭部はマムシを潰したようないびつで醜悪な形をしていて、見るものに嫌悪感を抱かせた。
「あれは……!」
昼食を終えたばかりの王太子アルバートは、食堂の窓際に走って身を乗り出した。
「ウガイの森に出た魔物だ! 前のよりでかい」
王太子妃のナタ・デ・ココも駆け寄って確認した。
「まちがいありません」
ココは振り向いて、すぐに臣下たちに指示を出した。
「陛下を安全なところへ!」
「は、はいっ!」
見た目が十二歳の少女の指示だが、臣下たちはすぐに従った。ココはこの十年のあいだに王宮のものたちと心を通わせ信頼を得ていた。
臣下は王と王妃の脇について部屋を出た。
難しい注文だった。どこが安全な場所なのかわかるはずもない。それでも、なるべくしっかりとした造りの場所に連れていってほしいとココは思った。
「殿下も避難を!」
「ああ!」
ココとアルバートも窓際から離れた。
直後、また奇怪な雄叫びが響くと、すぐに轟音がして王宮が振動した。
外壁の崩れる音と人々の悲鳴が重なった。
大地震に見舞われたかのように壁や床に亀裂が入り、建物が震え物が落ちてくる。
王と王妃は比較的堅牢そうな部屋に避難していた。
「殿下もここに身を隠しておいてください!」
ココはアルバートの背中を押して部屋に入れると踵を返した。
「ココ、どこへいく!」
「あのときの邪神を呼び出します」
「待て、危ない!」
ココは夫の制止の声は聞かず、臣下たちに「殿下と陛下を頼みます」と言って走り出した。
なるべく魔物が見渡せる階上がいい。
邪神を呼び出し魔物を駆逐するところを見届ける。そして、速やかに邪神を帰すためにこの身を生贄として捧げなければならないだろう。今度も腕一本ですむとはかぎらない。
崩れかかった階段を瓦礫を避けながら駆け上がる。
廊下を走っていると、大きな音がして前方の横壁が崩れた。
魔物が壁を突き破って入ってきたのだ。
長い胴体がココの前を横切り、そのまま反対側の壁を破って外に出た。
魔物はこれを何度もくり返している。
暴れるだけ暴れたらいずれどこかへ帰っていくのだが、それまでにどれほどの被害が出るか見当がつかない。建物だけならまだいいが、人命はなんとしても守らねばならない。
見晴らしのいい広いバルコニーに出た。魔物は一匹だけのようだが、以前、ウガイの森で見たものの倍くらいの大きさだった。
それが、ココを見つけ狙いを定めている。水中を揺蕩うようにくねらせていた胴体が、彼女に向かって真っ直ぐに伸びつつある。
ココはすでに口の中で召喚呪文を唱え終えていた。
「クトゥグア!」
邪神の名を呼ぶと、左手を突き出し、手のひらを空中にかざした。
後継者問題である。
ランデルは王となったが、子どもがいない。
妻であるババロアはまだ大聖女である。女神伝説の時代から、大聖女には処女性が求められていた。そのため、王族と結婚する前には引退するのであるが、ババロアは大聖女の地位に執着していたためこれまで子作りができなかった。
ランデルとしては「もう王妃になったのだからいい加減に大聖女はつぎのものにやらせろ」と言うことはできた。
しかし、ババロアが先日見せたどこにでも精霊防壁を張れるという能力は、子作りの重要性を置いておいても魅力的だった。
敵の攻撃を受け付けない鉄壁の軍団。これがあれば自分の代で大陸制覇も夢ではない。
後継者問題と聖霊防壁をつかった大陸制覇は並び立たないというのが臣下たちの認識だった。
だが、ランデルの頭の中では優先する順番は決まっていた。
ランデルは三十三歳。後継ぎのことはまだどうにでもなる。大陸を統一するまでババロアを利用し、その後、出産が無理な年齢であれば王妃を廃してべつの女にするという手もあると考えていた。
ランデルの野望のすべてを知っているわけではないが、モン伯爵にも焦りがあった。
モン・ザ・クルフカは王宮の執務室でババロアに向かって言った。
「聖霊防壁の運用で、殿下——陛下にとってお前は掛け替えのない駒になった」
「駒ですか」
「そうだ。陛下にとって他人は、敵か味方か、使えるか使えないかの駒でしかない。お前は陛下に愛情を持っているか? 仮に国王でなかったとしたらどうだ」
「人間的には、あまり尊敬できるお方ではありません」
ババロアはことさら声をひそめて言った。
「そうだろう。我々の繋がりは利害関係でしかない。わしが今後期待する展開を話しておこう」
モン伯爵も声を低くした。
野心家で自己顕示欲の強いランデルを常に第一線に立たせる。そして戦死したらババロアとのあいだに産まれた子を新王に立ててモン伯爵が摂政になる。それが、モン伯爵にとってもっとも望ましい展開だった。
ところが、今後もランデルはババロアを優秀な盾として大陸を制覇するまで戦場に同行させるかもしれない。そうなれば子作りはかなり後まわしになる。モン伯爵はいい歳なのでこれ以上は待てない。
さらに、ランデルは妻と子作りはできなくとも女遊びはしている。いまのところ子どもはできていないがいつまでもそうとはかぎらない。
「いつまでも『寝て待て』とは言っておられん状況だ」
「私が防壁を張れることを示したのは余計なことだったのでしょうか」
「いや、その力があるうちは、王はお前を——お前とモン家をないがしろにはしないだろう」
ランデルは、先王が死んであとは自分がいいようにできるから、もうモン家の後ろ盾はなくてもいいと思っているかもしれない。同様に、モン伯爵にとっても、世継ぎが生まれれば現王は必要ないどころか邪魔なだけだった。
モン伯爵はそこまで話すといつもどおり手をひらひらさせて退室を促した。
ババロアはまだなにか言いたそうだったが、結局なにも言わず、膝を曲げてあいさつすると部屋を出ていった。
エキドナの王都オルトロスで邪神を、という話をしたので、あきらかにババロアは怪しんでいる。だが、知られたところで問題はない。
「ご息女はすでに勘付かれているのでは」
部屋の隅から男の声がした。
そこにフードを深く被った人影が立っていた。
「オルトロスで魔物を呼び出すことはできるか? エキドナに入るための手筈はこちらで整える」
モン伯爵は驚くこともなく、まるでいままで話していたかのように会話をつづけた。
「龍をひと暴れさせることはできますが、必ずしも王族を手にかけるかは保証できません」
「どれくらいのあいだ暴れまわるのだ」
「召喚した者の信仰心と熟練度にもよりますが、長くて一時間ほど」
「一時間で消えるのか。またすぐに呼び出すことはできんのか」
「呼び出すには厳しい条件がありますので連続で何度もとはいきません」
「条件? 例えばどのような」
「日光を嫌いますので晴れた日中はかなり厳しいかと」
「それだけでずいぶん制限されるな。まあ、夜でも構わんか」
「神への祈りによって曇天にすることもできます。前回がそうだったように。今回は私が行きましょう」
「魔物に真っ先に食われると言っていたが大丈夫なのか」
「王宮のように人と遮蔽物の多いところであればどのようにでも」
「ふむ、一時間か」
「それだけあれば王城は壊滅状態にできます」
「王都にはあの聖女がいる。それを阻むだろうな」
「ナタ・デ・ココですか……また火の神を召喚されればそうなります」
「だが、召喚したものはその報いを受ける」
「それが狙いですか?」
「最悪、王都に足止めできるだけでもいい。ババロアはあの聖女に霊力は無いと言っておったが、わしは不気味なものを感じる。現に火の神を召喚したからな」
「龍が聖女を狙い撃ちしてくれるとよいのですが、なかなかそこまでは」
「なぜそんな言うことを聞かない化け物を神と崇めておるのだ?」
「龍は神が使わしたもので、神ではありません」
「神は別にいるのか」
「我が教団が崇めるのは宇宙の調停者である『無貌の神』です」
「調停者? ふむ、まあいい」
信仰の話を聞きはじめると長くなりそうなので、モン伯爵は早々に打ち切った。
「陽動がうまくできたら、今後も援助しよう」
「利害関係、ですな」
「おぬしらはどこを目指している」
「伯爵がヴァンバルシアの権力を握り、カダス教を国教としてくれること。そして、ヴァンバルシアが他の国を統べて、大陸全土に信仰が行き渡ること。それが我らの悲願です」
「途方もない話に聞こえるが、宗教が目指すところはどれもおなじなのだろうな」
「はい」
「では、望みを叶えるために行け。我々はリック城に詰めて、そちらの動きに合わせて侵攻を開始する」
「は」
影は短く返事をして消えた。
サナト・モレアは大国ヴァンバルシア王国の王都というだけあって巨大な都市である。
そのとある街なかの薄暗い一室に、フードを被ったものたちが数名集まっていた。床に直に座り顔を突き合わせて話し合っている。
ひとりはモン伯爵の執務室からもどった男だった。
「エキドナの王都、オルトロスの王宮で龍を呼び出す」
男が言った。
「龍を……」
若い信徒がごくりと唾を飲んだ。
彼らはカダス教団の信徒たちだった。
「では、私が」
「いや、私が行く」
若い信徒が名乗りを上げたが男が却下した。
「危険です、ウォード司祭はここに残ってください」
モン伯爵のもとからもどった男は「司祭」と呼ばれていた。
ウォード司祭は若い信徒に説いた。
「危険は避けられる。十年前……ジノン師は小船の上だったので身を隠すことができなかった。今回は城の中で召喚するので真っ先に贄にされることはない」
「しかし、城の中では逃げ場がありません。建物ごと潰されるのがオチです」
「そうならないように私が行くのだ。いま龍を呼び出せるものは私とそなたしかいない」
「では、やはり私が」
「ダリル……そなたはまだ未熟だ。生還率が低い」
ダリルと呼ばれた若い信徒は唇を噛んだ。
ウォードはダリルの頬に手を当た。
「若いがそなたは優秀だ。これからもっと修行をして教団を導くだけの力をつけなければならない」
「兄さん……」
「心配するな。かならず我が教団の力を示して帰ってくる」
ウォードは歳の離れた弟の頭にポンと手を乗せて立ち上がった。
ヴァンバルシア王ランデルは、ババロアやモン伯爵とともに大勢の将兵を連れてリック城に入った。
兵士の数は補給部隊なども入れると十万人におよび、当然リック城内には入りきれない。ほとんどは大量生産した軍船に乗せ、一部は城外に野営させた。
ウガイ川には、水面が見えないほど軍船がひしめき合っていた。
「壮観だ!」
それを城から眺めてランデルは悦に入っていた。
「このまま押し寄せるだけで、エキドナ軍は戦意をなくして跪くだろう」
ランデルはモン伯爵に「そちらの首尾はどうなっている?」とたずねた。
「こちらが予定通り準備が整ったので、あちらでも予定通りに事を起こすはずです」
「こちらはこちらではじめてもよさそうだがな。この軍勢に立ち向かえるものはおらんだろう」
「段取りを急に変更すると全軍が混乱しますので、予定通り連絡が来たら進軍開始ということで」
モン伯爵はまだナタ・デ・ココに対する懸念を拭えないでいた。
「ああ、わかっている」
王は待ちきれないといったふうにそわそわと身体を揺さぶった。
彼は戦闘が待ちきれないのではなく、この戦いを皮切りに各国を支配して「大陸を統一した偉大な王」と早く称えられたいのだった。
エキドナ王国王都オルトロス。その中心にある王宮の上空でけたたましい鳴き声が響いた。
大気を震わせ、大地を揺るがすような巨大かつ不快な音にだれもが耳を塞ぎ、厚い雲が垂れ込める暗い空を見上げた。
空中に二十メートルを超える長さの物体がいた。コウモリのような羽と禍々しいかぎ爪を持っており、不規則に気味悪く長い胴体をくねらせていた。
頭部はマムシを潰したようないびつで醜悪な形をしていて、見るものに嫌悪感を抱かせた。
「あれは……!」
昼食を終えたばかりの王太子アルバートは、食堂の窓際に走って身を乗り出した。
「ウガイの森に出た魔物だ! 前のよりでかい」
王太子妃のナタ・デ・ココも駆け寄って確認した。
「まちがいありません」
ココは振り向いて、すぐに臣下たちに指示を出した。
「陛下を安全なところへ!」
「は、はいっ!」
見た目が十二歳の少女の指示だが、臣下たちはすぐに従った。ココはこの十年のあいだに王宮のものたちと心を通わせ信頼を得ていた。
臣下は王と王妃の脇について部屋を出た。
難しい注文だった。どこが安全な場所なのかわかるはずもない。それでも、なるべくしっかりとした造りの場所に連れていってほしいとココは思った。
「殿下も避難を!」
「ああ!」
ココとアルバートも窓際から離れた。
直後、また奇怪な雄叫びが響くと、すぐに轟音がして王宮が振動した。
外壁の崩れる音と人々の悲鳴が重なった。
大地震に見舞われたかのように壁や床に亀裂が入り、建物が震え物が落ちてくる。
王と王妃は比較的堅牢そうな部屋に避難していた。
「殿下もここに身を隠しておいてください!」
ココはアルバートの背中を押して部屋に入れると踵を返した。
「ココ、どこへいく!」
「あのときの邪神を呼び出します」
「待て、危ない!」
ココは夫の制止の声は聞かず、臣下たちに「殿下と陛下を頼みます」と言って走り出した。
なるべく魔物が見渡せる階上がいい。
邪神を呼び出し魔物を駆逐するところを見届ける。そして、速やかに邪神を帰すためにこの身を生贄として捧げなければならないだろう。今度も腕一本ですむとはかぎらない。
崩れかかった階段を瓦礫を避けながら駆け上がる。
廊下を走っていると、大きな音がして前方の横壁が崩れた。
魔物が壁を突き破って入ってきたのだ。
長い胴体がココの前を横切り、そのまま反対側の壁を破って外に出た。
魔物はこれを何度もくり返している。
暴れるだけ暴れたらいずれどこかへ帰っていくのだが、それまでにどれほどの被害が出るか見当がつかない。建物だけならまだいいが、人命はなんとしても守らねばならない。
見晴らしのいい広いバルコニーに出た。魔物は一匹だけのようだが、以前、ウガイの森で見たものの倍くらいの大きさだった。
それが、ココを見つけ狙いを定めている。水中を揺蕩うようにくねらせていた胴体が、彼女に向かって真っ直ぐに伸びつつある。
ココはすでに口の中で召喚呪文を唱え終えていた。
「クトゥグア!」
邪神の名を呼ぶと、左手を突き出し、手のひらを空中にかざした。
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