デイ・ウォーク

たかや もとひこ

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第46章  疫病

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 城塞都市機能の大部分を司る巨大な量子脳はネイティブアメリカンが部族のシンボルとしたトーテンポールのお化けそのものだった。その収容に当てられた施設は、当初の計画を変更して、元々は屋内競技場を兼ねた緊急避難場所として都市の中央部に建設された一番大きな施設が選ばれ、その地下深くに移設されていた。だが、その地上部分はフロアの三分の二を黒い死体袋が、そして残りの三分の一を死を待つ重病人が占め、数少なくなった健康な生者をそこから締め出す隔離病棟と成り果てていた。  
 屋内競技場の分厚い二重ドアの一つが電子音を鳴らして開いた。ドアに密着して急ごしらえで設置されたチューブ状の通路を通り抜けて、ストレッチャーを引いた陸ガメのような単純作業用の自動機械オート・マトンと防毒マスクに白い防護服の人間。そして防護服なしのマスク姿の五人の男女が現れた。防護服なしの男女は再び電子音がしてすぐさま閉じられたドアの方を怯えと諦めの入り混じった顔で振り向いたが、施設内にいる武装した警備担当の防護服に促されて、更に奥にある重要隔離区画を覆った広大なビニールテントのエリアに入って行った。ストレッチャーを引く自動機械オート・マトンと防護服の人物は五人が連れて行かれたのとは反対方向に進むと周辺に空いたベッドを求めた。ベッドはほぼ満床で、そこに横たわる老若男女は身体を二つ折りにして、のべつまくなしに咳き込むか、昏睡に陥って瞼を震わせながら早くて浅い呼吸をしていた。ようやくベッドを見つけた防護服の人物は近にいた別の防護服に手伝ってもらうとストレッチャーの上で激しく咳き込む中年女性を二人でベッドまで運んで横たえ、それが終わると自動機械オート・マトンや手伝いの防護服から離れて、ここにいるはずの人物を探しはじめた。
 防護服が探す人物はすぐに見つかった。彼女は身を守るものを一切身に着けず、二千床にも及ぶベッドで死を待つのみの患者たちを昼夜を分かたず献身的に看病していた。防護服の人物は、その傍までやってくると、彼女を人気のない場所まで連れて行き、その場にあったベンチにどさりと腰を下ろした。
「仕事に精が出ることだな、不自由はないか?」
「えぇ」
「そうか。まぁ、ここなら疑り深い代議員どもやお前を逆恨みした暴徒に襲われることもないだろう」防毒マスク越しのくぐもった声は疲れ切っていた。「そんなことより結果はどうだった?」
「予想通り駄目だったわ」
「やはりな……」
 焦慮で落ち窪んだ防毒マスク越しのマリクの目からは、わかっていたとはいえ、かなりの落胆が見て取れた。
「私はヴァンパイアだから二、三日眠らなくても平気だけど、あなたは違うわ」と、ナナ。「少し休んで」
「ありがとう」
「どういたしまして」
 もう聞くことはないであろうと思われていた旧友からの感謝の言葉に、ナナは戸惑いを隠せなかった。七日前のヴァンパイアとの小競り合いの夜から、ようやくナナを仲間と認めてくれたのだろうか。もちろん都市居住者の大部分は彼女を快くは思っていないどころか、隙あらば憎い敵として滅ぼしてやろうとしか思ってはいないだろう。なぜなら、あの夜から情勢が一気に変わってしまったからだ。
「しかし参ったな、新型のH5N1なんて……」
「ヴァンパイアたちが死ぬとき身体から噴き出したのは血だけじゃなかったのよ。。ドクターもそう言ってたでしょ」
 マリクは力なく頷いた。「鳥インフルエンザ用のH5N1ワクチンなら、ここの人口の倍はストックがあるのに使えもしないなんてな。しかも、こいつの致死率は従来型の五十パーセントどころじゃない」
「変異ね」
 もしくは、ブロドリップが変異させたのか。どちらにせよ、そう思うとナナは自分が感染源ででもあったかのように気分が滅入った。
「気にするな。端からブロドリップはウィルスをここにばら撒いて、人間が全滅するか、仲間にしてくれって弱音を吐くのかを待つつもりでいたんだろ。俺たちは奴の策にまんまと乗せられたってわけさ」マリクも気が滅入ったように目を伏せた。「この都市は、もう死んだも同然だ」
「希望は捨てないで。罹患者はここに隔離してるし、感染源はヴァンパイアの死体と共に太陽が焼いてくれたわ。潜伏期間がとても短かったから封じ込めだって従来型よりうまくいってるんでしょ。それに発症しても快方に向かってる人だっているのよ」
「十七パーセントにも満たない今の治癒率に賭けて死ぬのを待つ気なんてさらさらないよ。たとえ治っても、脳にどんな障害が残るかもわからないしな」
「えっ、あなたいったい何を言ってるの?」
 ナナが疑問を口にし終わるや否や、マリクは防毒マスクを勢いよく顔から剥ぎ取った。「ふぅ、清々した」
「あなた、何てことを!」
「四時間前から発熱と頭痛。激しい咽喉の痛みのトリプルパンチ。一縷いちるの望みを託してワクチンを試してみたけど熱は上がる一方だ。だから君に頼みたいんだ。この病に耐性のあるヴァンパイアの君にしかできないことを」
 マリクがナナの背後に目配せをすると、同じように防毒マスクを取りさった若い男女とベッドから力を振り絞って起き上がってきたであろう数名の男女が、マリクと同様の熱に浮かされた目でナナを見つめていた。しかし、彼らの瞳にはある決意がみなぎっていた。そして彼らの望みがナナに対して慈悲深い殺人依頼などとは縁遠い、もっと別のものであろうことは容易に察しがついた。だが、それはナナの心にとっては苦痛と嫌悪を催す以外の何ものでもなかった。彼女は懇願する男女に震える声で、これしか言えなかった。
「お願いよ……考え直して……あなたたちの血を私に吸わせないで……お願いだから………」
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