デイ・ウォーク

たかや もとひこ

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第33話  救助

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 ナナクサは、それが活力を与えてくれるかのように始祖への反発を抱きながら、未だに痙攣を続ける両足に力を込め、屋上の出入り口を目指して一歩一歩前進した。「あそこにいる仲間」とは、ここまで一緒に来たファニュに違いない。しかし、始祖は「あそこにいる、すべての仲間を」と言っていたのではなかったか。すべての仲間とは誰だろう。まさか、タンゴやジョウシがここに来たのだろうか。それとも、あれは私を動揺させ、心を折れやすくするための始祖の嘘だろうか。そうでなければ朦朧とした意識が作りあげた幻聴だったのか。とにかくその答えはあそこにある。あの場所を目指すのだ。そしてファニュを助けねばならない。前へ進みながらも、ナナクサは遠くの建物群の一角に立ちのぼる細い煤煙から目を離すことができなかった。
「ナナクサ。よくぞ無事で!」
 やっとの思いで声の方に頭を巡らせたナナクサの目に、大きすぎる防具をまとった銀髪に赤い髪留めの娘が駆け寄ってくる姿が飛び込んだ。
「ジョウシ?」
 それだけ言うとナナクサはその場にくず折れた。しかし、それでも彼女の意識は微かに聞こえる仲間の声を必死に脳へと送り続けた。そして遠のく視界の中にファニュと見知らぬ若者の姿も認めたが、その途端、目の前が真っ暗になった。体力の限界だった。
「血を失っておるようじゃ」
 遮光マフラーで鼻と口を押さえたジョウシが戦士の死体の向こうに見えるひときわ大きな磔刑台の血溜まりに素早く視線を巡らし、顔をしかめた。
「どうしよう?」
「今は一刻も早くこの場から退散するのが先決じゃ。手を貸せ、クイン・M」
 物珍しげに磔刑台に指を這わせていたクイン・Mの遙か後方に見える建物群の屋上がキラリと輝いた。ジョウシはヴァンパイアの直感で素早く危険を察知し、幾条もの眩い輝きから瞬間的に身を翻した。しかし彼女に焦点を合わせるように動くその中の二本はジョウシの右半身を薙ぎ払い、薙ぎ払われたところからは遮光マントの裏側から青白い炎と煙が噴き上がった。身体にまとわりついて体組織を炭化させるほど強烈な陽光。しかし遠距離から致死の攻撃を受けた驚愕は屋上に突っ伏したジョウシから肉の焼けた激痛を暫しのあいだ遠ざけた。彼女は自身の痛覚神経が麻痺しているこの瞬間を逃さず、今にも吹き出そうとするパニックを抑え込むと、素早く状況を把握するために頭を巡らせた。ゴーグル越しにジョウシの視力は、建物群の屋上のあちこちに据えられた三メートル四方はある巨大な反射鏡ヒート・レイを認めた。それらは雲間から指す致死の陽光を遮蔽物の乏しい闘技場の屋上に送り届けるものだろう。それらが正確に自分たちを、いやヴァンパイアを狙い撃ちにしてくる。勝どきの声を上げる戦士たちに混じって反射鏡ヒート・レイの台座に据え付けられた測距儀サイトを覗きながら、時にこちらを指差して何やら喚いている戦士の姿からもそれは明らかだ。
「ナナクサを守れ!」
 ジョウシはそう叫ぶと半分以上が焼け焦げ、一部が身体と癒着した自分の遮光マントを、うめき声をかみ殺して一気に皮膚から引き剥がした。そして無防備なナナクサの頭からすっぽりとそれを被せると人間の若い男女に振り向いた。火傷の痛みは既に耐えがたいまでの激痛へと変化している。
「ジョウシ!」
 喉から顔の左半分にかけて重度の火傷を負ったジョウシを見てファニュが悲鳴を上げた。
「お前たちの羽織り物もナナクサに。早くするのじゃ!」
 ジョウシは雲の流れに注意した。どんよりと低く垂れ込める雲に素早い視線を走らせた彼女は、その流れから次の切れ間が顔を覗かせるのは、もう間もなくであると判断した。
「お前たちは出口へ急げ!」
「あなたは?!」
「後で会おうぞ!」
 それだけ言うとジョウシは出入り口とは反対方向に駆けはじめ、時折、空中高く派手に飛び跳ねた。
 分厚い雲が切れた。
 息を吹き返した何枚もの反射鏡ヒート・レイは再び陽光を捉えると、その反射光は目標を選定しはじめた。その狙点は徐々に目障りで目立つ目標に集束されていった。屋上の端に辿り着き、丁度、飛び上がった瞬間、ジョウシの身体がパッと輝き、青白い炎に包まれた。彼女は悲鳴を上げる間もなく火中に飛び込んだ蛾のように屋根から遙か下方に広がる闘技場の表広場に落下していった。戦果に満足した反射鏡ヒート・レイの群は次の標的を探して闘技場の屋上に何本もの陽光を躍らせたが、そこには既に誰もいなかった。
               *
 血の刺激臭がナナクサに意識を取り戻させた。顔をしかめながらも吸い込んだ血の微粒子が彼女の身体の回復を劇的に促した。目を開けたナナクサの眼前には狭い廊下にひしめき合う弩弓どきゅうを引き絞った戦士の一群がいた。血の微粒子に混じって彼らの興奮した汗の臭いが鼻をつくほどの距離だ
「抵抗はやめよ」
 一群の真ん中にいる表情に乏しい小男。確かレン補佐長と名乗った男が警告を発した。暫くして、ナナクサの左腕と腰にかかって彼女を支えていた力が緩んだ。ナナクサは膝から床に沈みこんだ。見上げると緊張に顔を引きつらせたファニュがいた。そしてチラリと視線を右に転じた先には二の腕からの出血を一方の手で押さえた若者の姿があった。彼は城門のところで会った二人の人間のうちの一人だとナナクサにはわかった。若者の腕から発する血の微粒子が再びナナクサの鼻腔をくすぐり、彼女に活力を注ぎ込んだ。身体に活力が注ぎ込まれるにつれて、ふつふつと怒りが込み上げてくる。疑問を解き、謎を解決するため訪問したのに、ろくに話も聞かず、拷問され、あまつさえ磔刑に処されるとは。ナナクサは、まだふらつく両脚に力を入れると拳を固めた。
「最後の警告だ」声に微かな震えを滲ませながらも毅然とした態度を崩さず、レン補佐長は言葉を継いだ。「抵抗するなら、ここで滅ぼさざるをえない。大人しく捕縛されるのだ。この薄汚いヴァンパイアめ」
 ナナクサは警告を無視して自分を助けに来たファニュを庇うように半歩前に進み出た。しかし長年、さまざまな人間を観察してきたレン補佐長は仲間の人間を助けようとしたナナクサの動作を決して見逃さなかった。間違いない。愚かにも目の前の人間とヴァンパイアは対等の関係だ。
「戦士ども。ヴァンパイアではなく、その傍らにいる人間を狙え」
 レン補佐長の真意を測りかねた戦士たちに微かな動揺が走った。補佐長はそれを無視して更に声を張り上げ、ファニュとクインを交互に指し示した。
「人間を狙うのだ。この裏切り者どもだ。早くしろ」
 弩弓どきゅうの弦が限界まで引き絞られる音を耳にしたナナクサは、その狙点が僅かに逸れて人間の仲間たちに向けられるのを感じ取った。数にして前後から少なくとも二十本以上の矢に狙われている。自分とジョウシで十本を受け持つとして、敵の矢はまだ有り余るほど飛んでくる。二人がかりでも防ぎきれないだろう。しかもファニュを守りながらなど。でもジョウシなら何か策があるのではないか。ナナクサは素早く左右に視線を巡らすと小柄な仲間の姿がこの場にないことにはじめて気づいた。彼女はどこにいったのだろう。まさか自分が気を失っている間に捕まってしまったのではないか。だとすると一人だけではファニュを助けるどころか、自分の身すら守れないだろう。ナナクサは拳を緩めて肩を落とした。
 ジョウシがたおれたことを知らないナナクサは再び囚われの身となった。
               *
 レン補佐長はナナクサ、ファニュ、クインの三名を戦士たちに闘技場まで連行させた。もちろん反撃に備えて女ヴァンパイアは銀の手鎖をした上で、逆らえば二人の人間を即座に処刑できるように戦士たちに警戒させた。これで完璧だ。レン補佐長は内心ほくそ笑んだ。不思議なことに薄汚いヴァンパイアにも連帯というものが存在することを垣間見ただけでなく、即座にそれを利用し得た満足感があったからだ。だが、これで第九街区で暴れている別のヴァンパイアをおびき寄せることが更に容易くなった。奴らの人間と同じ部分を最大限に利用すればよいだけだ。人間と同じ部分。
「連帯を」
 目の前を引き立てられていく三つの背中を見ながら補佐長は知らず知らずに、そう口にしていた自分に気づいて慌てて口をつぐんだ。そしてその言葉に反応して怪訝な表情を向けた戦士に冷たい一瞥をくれた。戦士はすぐに前を向くと虜囚たちの背中に警戒の視線を戻した。彼は予備の罠を設置すべく巨大な地下倉庫カタコンベへ向けて歩を進めた。
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