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第30話 加わった者たち
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チョウヨウとの再会を仲間たちは口に泥水を注ぎ込まれたに等しい表情で受け止めた。とりわけタンゴに至っては、泥の中に混ぜ込まれたガラス片で口中を切り裂かれたような顔で復活した想い人を凝視していた。
仲間たちとチョウヨウの視線が交錯した。破壊の暴風が凪いだ瞬間だった。その隙をついて建物の陰に隠れ潜んでいた戦士たちの狙いすました弩弓の矢が、あらゆる方角からチョウヨウに降り注ぎ、革鞄を殴りつけるような低い音が途切れることなく何度も鳴り響いた。ファニュは固く目を閉じて顔を背けたが、再び目を開けると、三十本以上の矢に刺し貫かれたチョウヨウは倒れるでもなく、その場に超然と立っていた。彼女は自分の左目から後頭部に抜けた矢を右手で掴むと造作もなくそれを引き抜いた。それと同時に突き立っていた三十本以上の矢が見えない力に押し戻されるように身体から勢いよく抜け落ちた。左目から後頭部にかけての傷も既に治癒している。その光景を目の当たりにした戦士たちの息をのむ音があちこちから漏れ出た。
「まるで、蚊が刺したほども感じないねぇ」
チョウヨウの浮き浮きした声は、今では通り一杯に膨れ上がって自分を遠巻きにする戦士たちを無視して十字路の向こうに佇むタンゴにのみ向けられていた。
「ねぇ、タンゴ。あんた知ってたかい、蚊っていう生き物を?!」
タンゴは口を真一文字に引き結び、首を左右に振った。
「そうかい。でも、あたいはもう知ってるんだよ」チョウヨウの赤い目がギラリと光って自分を取り囲む戦士の輪をねめつけた。
「蚊っていうのはね。あたいたちと同じで血を吸うんだよ。何百、何千って数で勝てもしないのに大きな獲物に群がりやがるんだ。ふん。チンケな生き物さ。まるで、こいつら人間みたいじゃないか!」
「もうよい。牙を納めるのじゃ、チョウヨウ!」
「なに言ってんだい、チビ助」チョウヨウはジョウシに哀れむような視線を向けた。「か弱い小娘一人を寄って集って嬲り殺そうとしてるゲスどもなんだよ、こいつらは。あんたなら、どうすんだい?!」
「もう充分じゃ。こ奴らは怯えておるのだ。それゆえに武器を向けておるだけじゃ」
「へ~ぇ。そうなんだ……」
チョウヨウが喋り終わらないうちに、ヴァンパイアの視神経を焼き切るほど強い輝きがタンゴとジョウシの遮光ゴーグル一杯に広がった。二人は手をかざして固く瞼を閉じたが、それでも眼球の奥まで刺し貫く激痛から目を守るのが精一杯だった。ファニュはまぶしさに目を細めつつも、チョウヨウがいた辺りに無数の太陽光が当たっているのを見た。しかし眩い光の中には既にチョウヨウの姿はなかった。
「でもね。馬鹿な蚊どもは、まだまだヤル気だよ!」
ファニュは声が谺してくる方に霞む目を向けた。そこには広い通りに隣接する建物の壁に足場を得ながら、屋上へと跳ね上がり続けるチョウヨウの優雅な姿が辛うじて見て取れた。屋上に着いたチョウヨウは、今度は建物を一棟抜きに屋上から屋上へと跳躍を繰り返し、三ブロック先の光源までたどり着いた。するとその光が急に消えうせた。太陽光を反射する巨大な鏡、アルキメデスの熱線砲がチョウヨウに叩き割られたのだ。そして、くぐもった小さな地響きとともに建物群の幾つかに火の手が上がった。その瞬間、今まで石のように固まっていた戦士たちが怒りの雄叫びをあげ、チョウヨウのいる建物めがけて次々と走り出した。
「チョウヨウ!」
視神経を焼く輝きから解放されたタンゴは遮光ゴーグルを額に跳ね上げると、豆粒のように小さくなったチョウヨウの姿を求めて駆け出し、一足飛びに戦士集団を飛び越えようと頭上高く跳躍した。だが、通りは既にそれを許さないほどの戦士がひしめき合っており、その真っ只中に着地してしまった彼は、呆気にとられる戦士が反応する前に再び飛び上がった。そして空中でジョウシとファニュに頭を向けると、「君たちはナナクサを探せ!」と、大声で叫んで人ごみに紛れて見えなくなった。タンゴを追い始めた集団より後ろにいた戦士集団は、他にもヴァンパイアがいることを思い出し、方向を転じて、今度は彼女らに迫り始めた。
「行くぞ、ファニュ!」
ジョウシは一声そう叫ぶと、怪我人のエイブを軽々と荷台に放り投げた。そして馭者台に飛び乗って、ファニュが乗るのを確認する間も惜しんで、ブレーキを外し、雪走り烏賊に鞭をくれた。橇は雪上を滑り始めた。橇に追いすがる戦士に混じって、飛んでくる矢がファニュの耳元を何本も掠めすぎていく。ファニュも弓矢で応戦し始め、一人の準戦士が彼女の矢を甲冑の隙間に受けてよろめき倒れた。橇の速度はジョウシの手綱さばきで上がり始めたが、スピードが十分に出る前に、今度は追いすがる戦士の一人が荷台の後部に取りついた。ファニュは至近距離から矢を放ったが兜の側面に当たって弾かれた。兜の中に両刃ナイフを口に咥えた狂暴そうな女戦士の顔が垣間見える。一瞬凍りついたファニュは弓を離すと接近戦に備えて、腰からナイフを抜き放った。だが、走っている橇の右側面から、いつの間にか飛び乗った準戦士に不意を突かれて武器を叩き落とされてしまった。橇を操る馭者台のジョウシの助けは当てにできない。ファニュは上体を屈めると側面から乗り込んできた準戦士に組み打ちを仕掛けたが、逆に頸と腕をがっしりと掴まれた。相手はファニュを絞め落そうと彼女の頸にどんどん力を込めてくる。両刃ナイフを咥えた女戦士は、そんな二人の傍らをすり抜けて荷台で半身を起こしたエイブに迫ってゆく。ファニュの意識が遠のいた。完全に失神する寸前、彼女の頸にかかった力が不意に抜けて準戦士が彼女の身体に被さるようにどっと倒れ伏した。
「おい。いったいぜんたいどうなってんだ?!」
覆いかぶさった準戦士の身体を脇に押しやったファニュは咳き込みながら、そのヒステリックな声の主に目をすがめた。声はイライラとした調子エイブを攻めたて続けていた。
「あぁ、畜生。なんてことしちまったんだ。戦士を二人も殺っちまったよ。どうしてくれるんだ。どうやって言い訳すりゃぁいい。何もかもお前のせいだからな」
ファニュは潰されかけた気管にやっと空気を送り込むことに成功しはじめていた。喉をさすりながら、状況を更によく把握しようとエイブに近づくと、一人の準戦士がエイブに覆い被さるように自己嫌悪を包み込んだ激しい文句を、まだぶつけていた。ファニュは新たな脅威に対処するため、エイブの横で絶命している女戦士の身体をまたぎ、彼を助けようと一歩を踏み出した。そして予備の小型ナイフを抜き放ったとき、エイブが片手を挙げてそれを制した。
「いいんだ」
準戦士はファニュの方を振り返った。ファニュはその顔には見覚えがあった。無抵抗のナナクサを捕まえた男だ。そう認識した瞬間、カッと殺意が芽生えてナイフを握る手に思わず力がこもった。しかし男の目には敵意は微塵もなく、ただ極度の苛立ちと狼狽があるだけだった。ファニュは沸き立った殺意をひとまず、ぐっと飲み込んだ。
「なんで、こんなモンに乗ってるんだ!」
準戦士は再びエイブに顔を向けると声を荒げたが、彼は「いろいろ複雑な事情があったんだ」と言うにとどめた。実際、短い時間に色々ありすぎて、自分でも何から説明すればいいかわからなかったからだ。
「そんなことより、お前こそ、なんでこの橇に乗り込んだんだ、クイン?」
「お前が荷台にほうり上げられるのを見ちまったからに決まってるだろ」クインと呼ばれた準戦士の若者は、ジョウシの背中に軽く顎をしゃくると急に声を潜めて、エイブの耳元で囁いた。「さぁ、逃げるぞ。グズグズすんな」
「何だって?」
「聞こえなかったのか。降りるんだよ、この橇から」
「馬鹿いえ。なんで降りるんだ?」
「おい」クインはエイブの耳に顔を寄せてイライラとした口調で、なおも囁いた。「あの女、俺たちが会ったヴァンパイアの仲間だろ。わかってる。お前を軽々と投げ上げた力を見りゃあわかるさ。なっ、そうなんだろ?」
「あぁ」
「『あぁ』だと……なに呑気なこと言ってんだ。こんなのに乗ってたら、いい的だってこともわかるだろ。あいつらと一緒に滅ぼされたいのか。さぁ、逃げるぞ」
「身体が重くて自由に動けない」
「何だと!」一瞬電気が走ったようにクインの身体がびくりと動いた。「まさか、お前。奴らに血を吸われたのか?……」
「いや違う。大怪我をしたのさ」
「本当か?」
不安を隠そうともしないクインにエイブは簡単な質問を投げかけた。「血を吸われたんなら、俺は今ごろ、どうなってる?」
「……死んでるよな、きっと。でも、死んでから蘇ったのかもしれない。言い伝えでは……」
「よしてくれ」エイブは首を振った。「昼日中に蘇る馬鹿なヴァンパイアがいるのか。言い伝えにそんなことがあったか?」
「でも、馭者台の奴はぴんぴんしてるぞ」
「空が曇ってるからだろ」
エイブは太陽を覆い隠す分厚い雲を見上げた。
「じゃぁ、お前だって、既に奴らの仲間で、俺を油断させようとしてるかもしれねぇじゃねえか」
「おい、もういい加減にしてくれ。ヴァンパイアになって甦ったんなら、こうやって産卵した後の雪走り烏賊みたいに、ぐったり伸びてるわけないだろ。今頃は、とっくにお前の喉笛を噛み裂いてるぞ」
クインはエイブの顔色と体にきつく巻かれた布に交互に目をやると、やがて納得したように何度も頷いた。そして悟ったように肩を落とした。
「俺はここへ徴発されたときから、いや、生まれた時からだな。暴れることしか頭にない人工子宮どもは吐き気がするほど大嫌いだ。そんな俺でも我慢できてたのは、お前みたいに徴発された準戦士がいたからだ」
エイブはわかっているというように「あぁ」と静かに頷いた。
「その中でもお前ほど気の合う奴はいなかった。信じるか?」
エイブは再び「あぁ」と頷くと言葉を継いだ。「その言い方は、ここで、おさらばってことだな」
エイブの言葉にクインは深々と溜息をついた。
「そうだな。この機を逃す手なはいからな。別の橇を盗んで、この糞溜めから、さっさと逃げ出すよ。本当はお前と一緒に逃げたかったんだが……残念だ」
「気にするな」
「達者でな、エイブ。生きてたら、またどこかで会おうや」
「なぁ」エイブは今にも橇から飛び降りようとするクインの背中に声を掛けた。「お前のおかげで、知り合いのファニュも助かった。遅れたが、礼を言っとくよ」
クインは大したことはないと言わんばかりに軽く片手を上げた。このとき自分と同じ境遇の者をエイブは心から欲した。互いに安心して背中を預けられる者を。そして去りゆく者を何とか引き留めたいという思いが自然と言葉になった。
「たぶん俺を助けたことで、お前もすぐにお尋ね者になるだろうな」
「そうだな」
「隊商の教え曰く“仲間の背中に自分の目を貼りつければ、生き残る確率もぐんと上がる”」
「なんだよ。行かせない気かよ。俺は結構すばしっこいんだぜ。お前も知ってるだろ?」
「あぁ。でも奴ら人工子宮どものネットワークだって素早いぜ」
「うまく逃げ切って見せるさ」
「あぁ」エイブは頷いた。「もちろん、お前なら、一人でも大丈夫そうだ」
クインは荷台の端に手をかけ、橇から飛び降りる前にエイブの顔を見やった。そしてそのまま暫く動かなかった。やがて諦めたように荷台から手を放すと床に腰を下ろした。
「強いのか?」
馭者台にいるジョウシにクインは顎をしゃくった。
「あの力は、もう見たろ」とエイブ。
「あぁ、見た」
「隊商には接触するなよ」エイブは心とは裏腹な言葉を投げ掛けた。「きっとそこだけじゃない。いろんなところにお尋ね者クインの回覧は回るぞ」
「俺は馬鹿じゃねぇよ、エイブ」
「そうだったな」
「なぁ」クインの顔に躊躇が混じるのをエイブは見逃さなかった。「お前 “三バカ事件”の話って覚えてるか?」
「昔の話だな。結構、目端が利く徴発組の準戦士が示し合わせて、ここから逃げたってやつだろ」
「そうだ。でも、全員とっ捕まっちまった。あんな辺境の集落で。なんでだろうな。誰かがドジったんだな、きっと」
「きっと、そんなところだろうな」と、クイン。
「一人で逃げてりゃよかったのにな」
「それなら早々と野垂れ死んでたろうよ。それがわかってたから三人で逃げたんだ」自分を納得させるように頷くとクインは顔をしかめた。「そして奴らは捕まり、足先からじわじわと轢き潰されていったんだ、工場から一日がかりで運ばせたデカい歯車を使って。なぁ、エイブ。お前、ぐっしょり濡れた紙束を床から引き剥がしたことってあるか?」
エイブは首を横に振った。
「歯車を掃除すんのが、丁度そんな感じだったらしいぞ」
「さぞ、たいへんだったろうな」
数瞬の沈黙の後、諦めたようにクインが口を開いた。
「わかった。お前の話に乗る。お前といた方が、いくらか利口な選択ってもんだ」若い準戦士は、しぶしぶ頷くと成り行きを見守っているファニュに目を転じた。「確か、昨日会ったな。クイン・Mだ。呼ぶときは、ただのクインでいい」
クインを一瞥したファニュは、ナイフを鞘に納めるとジョウシの背中に声を掛けた。
「ジョウシはいいの。二人の話は聞いてたでしょ?」
「うむ。お前の知己の他にも、ここを知悉しておる者が増えるのであればな。はなはだ、やぶさかではあるが」
「『はなはだ』……『やぶさか』?……」
堅苦しい言い回しの意味はわからなくてもジョウシの心情が類推できたファニュは、首を傾げる新参者に初めて口を開いた。
「彼女は『とても歓迎はしないけどね』って言ってるわ。あたしはシェ・ファニュ。よろしくね。あいにく、あんたが嫌いな人工子宮生まれだけど」
ファニュの最後の皮肉を意にも介さず、クインは逃亡計画のあらましを話すようにせがんだ。しかしナナクサ捜索の目的をファニュから告げられると、途端に自殺行為だと食って掛かった。そして、「ナナクサを探し出す取り決めは揺るぎないものじゃ」というジョウシの固い意志を確認するまで、それは続いた。
「して」と、ジョウシが背中越しにクインに質問を投げ掛けた。「そなたは連れ去られた我れらが同胞の居所に心当たりはないか?」
「あぁ、黒髪で綺麗な姐ちゃんだろ」
「知っておるのか?!」
「心当たりが無いでもない」
「悠長なこと言わないで。あんたが警報のスイッチを入れたことくらい、わかってるんだからね! 元はと言えば……」かっとなったファニュが思わず口を挟んだ。
「あの時は、お前たちのことを知らなかったんだから仕方ないだろ」ファニュを遮ると、クインは、さも当然のように言い放った。「さて、お前たちの探してる姐ちゃんだが、どこにいるも何も闘技場の中にはいなかったから、きっと、その屋上だろ。言い伝えによりゃぁ、ヴァンパイア専用の処刑場があるらしいからな」
その瞬間、エイブは嫌な予感が当たったように天を仰ぎ、ファニュは息を呑んだ。そしてジョウシは「間違いないか!」と振り向きざまに語気強く聞き返した。
「あぁ、間違いない。だって、屋上なら、お天道様の光にゃ困らねぇから、ヴァンパイアの処刑にはもってこい……」
応えを聞き終わらないうちに橇は無人の大きな十字路へ向けてスピードも落とさずに大きくカーブを切った。「自殺行為だ」と叫ぶ、新参者の声を押し殺して方向を転換した先には城砦都市の中心部にある巨大な闘技場がそびえ建っていた。
仲間たちとチョウヨウの視線が交錯した。破壊の暴風が凪いだ瞬間だった。その隙をついて建物の陰に隠れ潜んでいた戦士たちの狙いすました弩弓の矢が、あらゆる方角からチョウヨウに降り注ぎ、革鞄を殴りつけるような低い音が途切れることなく何度も鳴り響いた。ファニュは固く目を閉じて顔を背けたが、再び目を開けると、三十本以上の矢に刺し貫かれたチョウヨウは倒れるでもなく、その場に超然と立っていた。彼女は自分の左目から後頭部に抜けた矢を右手で掴むと造作もなくそれを引き抜いた。それと同時に突き立っていた三十本以上の矢が見えない力に押し戻されるように身体から勢いよく抜け落ちた。左目から後頭部にかけての傷も既に治癒している。その光景を目の当たりにした戦士たちの息をのむ音があちこちから漏れ出た。
「まるで、蚊が刺したほども感じないねぇ」
チョウヨウの浮き浮きした声は、今では通り一杯に膨れ上がって自分を遠巻きにする戦士たちを無視して十字路の向こうに佇むタンゴにのみ向けられていた。
「ねぇ、タンゴ。あんた知ってたかい、蚊っていう生き物を?!」
タンゴは口を真一文字に引き結び、首を左右に振った。
「そうかい。でも、あたいはもう知ってるんだよ」チョウヨウの赤い目がギラリと光って自分を取り囲む戦士の輪をねめつけた。
「蚊っていうのはね。あたいたちと同じで血を吸うんだよ。何百、何千って数で勝てもしないのに大きな獲物に群がりやがるんだ。ふん。チンケな生き物さ。まるで、こいつら人間みたいじゃないか!」
「もうよい。牙を納めるのじゃ、チョウヨウ!」
「なに言ってんだい、チビ助」チョウヨウはジョウシに哀れむような視線を向けた。「か弱い小娘一人を寄って集って嬲り殺そうとしてるゲスどもなんだよ、こいつらは。あんたなら、どうすんだい?!」
「もう充分じゃ。こ奴らは怯えておるのだ。それゆえに武器を向けておるだけじゃ」
「へ~ぇ。そうなんだ……」
チョウヨウが喋り終わらないうちに、ヴァンパイアの視神経を焼き切るほど強い輝きがタンゴとジョウシの遮光ゴーグル一杯に広がった。二人は手をかざして固く瞼を閉じたが、それでも眼球の奥まで刺し貫く激痛から目を守るのが精一杯だった。ファニュはまぶしさに目を細めつつも、チョウヨウがいた辺りに無数の太陽光が当たっているのを見た。しかし眩い光の中には既にチョウヨウの姿はなかった。
「でもね。馬鹿な蚊どもは、まだまだヤル気だよ!」
ファニュは声が谺してくる方に霞む目を向けた。そこには広い通りに隣接する建物の壁に足場を得ながら、屋上へと跳ね上がり続けるチョウヨウの優雅な姿が辛うじて見て取れた。屋上に着いたチョウヨウは、今度は建物を一棟抜きに屋上から屋上へと跳躍を繰り返し、三ブロック先の光源までたどり着いた。するとその光が急に消えうせた。太陽光を反射する巨大な鏡、アルキメデスの熱線砲がチョウヨウに叩き割られたのだ。そして、くぐもった小さな地響きとともに建物群の幾つかに火の手が上がった。その瞬間、今まで石のように固まっていた戦士たちが怒りの雄叫びをあげ、チョウヨウのいる建物めがけて次々と走り出した。
「チョウヨウ!」
視神経を焼く輝きから解放されたタンゴは遮光ゴーグルを額に跳ね上げると、豆粒のように小さくなったチョウヨウの姿を求めて駆け出し、一足飛びに戦士集団を飛び越えようと頭上高く跳躍した。だが、通りは既にそれを許さないほどの戦士がひしめき合っており、その真っ只中に着地してしまった彼は、呆気にとられる戦士が反応する前に再び飛び上がった。そして空中でジョウシとファニュに頭を向けると、「君たちはナナクサを探せ!」と、大声で叫んで人ごみに紛れて見えなくなった。タンゴを追い始めた集団より後ろにいた戦士集団は、他にもヴァンパイアがいることを思い出し、方向を転じて、今度は彼女らに迫り始めた。
「行くぞ、ファニュ!」
ジョウシは一声そう叫ぶと、怪我人のエイブを軽々と荷台に放り投げた。そして馭者台に飛び乗って、ファニュが乗るのを確認する間も惜しんで、ブレーキを外し、雪走り烏賊に鞭をくれた。橇は雪上を滑り始めた。橇に追いすがる戦士に混じって、飛んでくる矢がファニュの耳元を何本も掠めすぎていく。ファニュも弓矢で応戦し始め、一人の準戦士が彼女の矢を甲冑の隙間に受けてよろめき倒れた。橇の速度はジョウシの手綱さばきで上がり始めたが、スピードが十分に出る前に、今度は追いすがる戦士の一人が荷台の後部に取りついた。ファニュは至近距離から矢を放ったが兜の側面に当たって弾かれた。兜の中に両刃ナイフを口に咥えた狂暴そうな女戦士の顔が垣間見える。一瞬凍りついたファニュは弓を離すと接近戦に備えて、腰からナイフを抜き放った。だが、走っている橇の右側面から、いつの間にか飛び乗った準戦士に不意を突かれて武器を叩き落とされてしまった。橇を操る馭者台のジョウシの助けは当てにできない。ファニュは上体を屈めると側面から乗り込んできた準戦士に組み打ちを仕掛けたが、逆に頸と腕をがっしりと掴まれた。相手はファニュを絞め落そうと彼女の頸にどんどん力を込めてくる。両刃ナイフを咥えた女戦士は、そんな二人の傍らをすり抜けて荷台で半身を起こしたエイブに迫ってゆく。ファニュの意識が遠のいた。完全に失神する寸前、彼女の頸にかかった力が不意に抜けて準戦士が彼女の身体に被さるようにどっと倒れ伏した。
「おい。いったいぜんたいどうなってんだ?!」
覆いかぶさった準戦士の身体を脇に押しやったファニュは咳き込みながら、そのヒステリックな声の主に目をすがめた。声はイライラとした調子エイブを攻めたて続けていた。
「あぁ、畜生。なんてことしちまったんだ。戦士を二人も殺っちまったよ。どうしてくれるんだ。どうやって言い訳すりゃぁいい。何もかもお前のせいだからな」
ファニュは潰されかけた気管にやっと空気を送り込むことに成功しはじめていた。喉をさすりながら、状況を更によく把握しようとエイブに近づくと、一人の準戦士がエイブに覆い被さるように自己嫌悪を包み込んだ激しい文句を、まだぶつけていた。ファニュは新たな脅威に対処するため、エイブの横で絶命している女戦士の身体をまたぎ、彼を助けようと一歩を踏み出した。そして予備の小型ナイフを抜き放ったとき、エイブが片手を挙げてそれを制した。
「いいんだ」
準戦士はファニュの方を振り返った。ファニュはその顔には見覚えがあった。無抵抗のナナクサを捕まえた男だ。そう認識した瞬間、カッと殺意が芽生えてナイフを握る手に思わず力がこもった。しかし男の目には敵意は微塵もなく、ただ極度の苛立ちと狼狽があるだけだった。ファニュは沸き立った殺意をひとまず、ぐっと飲み込んだ。
「なんで、こんなモンに乗ってるんだ!」
準戦士は再びエイブに顔を向けると声を荒げたが、彼は「いろいろ複雑な事情があったんだ」と言うにとどめた。実際、短い時間に色々ありすぎて、自分でも何から説明すればいいかわからなかったからだ。
「そんなことより、お前こそ、なんでこの橇に乗り込んだんだ、クイン?」
「お前が荷台にほうり上げられるのを見ちまったからに決まってるだろ」クインと呼ばれた準戦士の若者は、ジョウシの背中に軽く顎をしゃくると急に声を潜めて、エイブの耳元で囁いた。「さぁ、逃げるぞ。グズグズすんな」
「何だって?」
「聞こえなかったのか。降りるんだよ、この橇から」
「馬鹿いえ。なんで降りるんだ?」
「おい」クインはエイブの耳に顔を寄せてイライラとした口調で、なおも囁いた。「あの女、俺たちが会ったヴァンパイアの仲間だろ。わかってる。お前を軽々と投げ上げた力を見りゃあわかるさ。なっ、そうなんだろ?」
「あぁ」
「『あぁ』だと……なに呑気なこと言ってんだ。こんなのに乗ってたら、いい的だってこともわかるだろ。あいつらと一緒に滅ぼされたいのか。さぁ、逃げるぞ」
「身体が重くて自由に動けない」
「何だと!」一瞬電気が走ったようにクインの身体がびくりと動いた。「まさか、お前。奴らに血を吸われたのか?……」
「いや違う。大怪我をしたのさ」
「本当か?」
不安を隠そうともしないクインにエイブは簡単な質問を投げかけた。「血を吸われたんなら、俺は今ごろ、どうなってる?」
「……死んでるよな、きっと。でも、死んでから蘇ったのかもしれない。言い伝えでは……」
「よしてくれ」エイブは首を振った。「昼日中に蘇る馬鹿なヴァンパイアがいるのか。言い伝えにそんなことがあったか?」
「でも、馭者台の奴はぴんぴんしてるぞ」
「空が曇ってるからだろ」
エイブは太陽を覆い隠す分厚い雲を見上げた。
「じゃぁ、お前だって、既に奴らの仲間で、俺を油断させようとしてるかもしれねぇじゃねえか」
「おい、もういい加減にしてくれ。ヴァンパイアになって甦ったんなら、こうやって産卵した後の雪走り烏賊みたいに、ぐったり伸びてるわけないだろ。今頃は、とっくにお前の喉笛を噛み裂いてるぞ」
クインはエイブの顔色と体にきつく巻かれた布に交互に目をやると、やがて納得したように何度も頷いた。そして悟ったように肩を落とした。
「俺はここへ徴発されたときから、いや、生まれた時からだな。暴れることしか頭にない人工子宮どもは吐き気がするほど大嫌いだ。そんな俺でも我慢できてたのは、お前みたいに徴発された準戦士がいたからだ」
エイブはわかっているというように「あぁ」と静かに頷いた。
「その中でもお前ほど気の合う奴はいなかった。信じるか?」
エイブは再び「あぁ」と頷くと言葉を継いだ。「その言い方は、ここで、おさらばってことだな」
エイブの言葉にクインは深々と溜息をついた。
「そうだな。この機を逃す手なはいからな。別の橇を盗んで、この糞溜めから、さっさと逃げ出すよ。本当はお前と一緒に逃げたかったんだが……残念だ」
「気にするな」
「達者でな、エイブ。生きてたら、またどこかで会おうや」
「なぁ」エイブは今にも橇から飛び降りようとするクインの背中に声を掛けた。「お前のおかげで、知り合いのファニュも助かった。遅れたが、礼を言っとくよ」
クインは大したことはないと言わんばかりに軽く片手を上げた。このとき自分と同じ境遇の者をエイブは心から欲した。互いに安心して背中を預けられる者を。そして去りゆく者を何とか引き留めたいという思いが自然と言葉になった。
「たぶん俺を助けたことで、お前もすぐにお尋ね者になるだろうな」
「そうだな」
「隊商の教え曰く“仲間の背中に自分の目を貼りつければ、生き残る確率もぐんと上がる”」
「なんだよ。行かせない気かよ。俺は結構すばしっこいんだぜ。お前も知ってるだろ?」
「あぁ。でも奴ら人工子宮どものネットワークだって素早いぜ」
「うまく逃げ切って見せるさ」
「あぁ」エイブは頷いた。「もちろん、お前なら、一人でも大丈夫そうだ」
クインは荷台の端に手をかけ、橇から飛び降りる前にエイブの顔を見やった。そしてそのまま暫く動かなかった。やがて諦めたように荷台から手を放すと床に腰を下ろした。
「強いのか?」
馭者台にいるジョウシにクインは顎をしゃくった。
「あの力は、もう見たろ」とエイブ。
「あぁ、見た」
「隊商には接触するなよ」エイブは心とは裏腹な言葉を投げ掛けた。「きっとそこだけじゃない。いろんなところにお尋ね者クインの回覧は回るぞ」
「俺は馬鹿じゃねぇよ、エイブ」
「そうだったな」
「なぁ」クインの顔に躊躇が混じるのをエイブは見逃さなかった。「お前 “三バカ事件”の話って覚えてるか?」
「昔の話だな。結構、目端が利く徴発組の準戦士が示し合わせて、ここから逃げたってやつだろ」
「そうだ。でも、全員とっ捕まっちまった。あんな辺境の集落で。なんでだろうな。誰かがドジったんだな、きっと」
「きっと、そんなところだろうな」と、クイン。
「一人で逃げてりゃよかったのにな」
「それなら早々と野垂れ死んでたろうよ。それがわかってたから三人で逃げたんだ」自分を納得させるように頷くとクインは顔をしかめた。「そして奴らは捕まり、足先からじわじわと轢き潰されていったんだ、工場から一日がかりで運ばせたデカい歯車を使って。なぁ、エイブ。お前、ぐっしょり濡れた紙束を床から引き剥がしたことってあるか?」
エイブは首を横に振った。
「歯車を掃除すんのが、丁度そんな感じだったらしいぞ」
「さぞ、たいへんだったろうな」
数瞬の沈黙の後、諦めたようにクインが口を開いた。
「わかった。お前の話に乗る。お前といた方が、いくらか利口な選択ってもんだ」若い準戦士は、しぶしぶ頷くと成り行きを見守っているファニュに目を転じた。「確か、昨日会ったな。クイン・Mだ。呼ぶときは、ただのクインでいい」
クインを一瞥したファニュは、ナイフを鞘に納めるとジョウシの背中に声を掛けた。
「ジョウシはいいの。二人の話は聞いてたでしょ?」
「うむ。お前の知己の他にも、ここを知悉しておる者が増えるのであればな。はなはだ、やぶさかではあるが」
「『はなはだ』……『やぶさか』?……」
堅苦しい言い回しの意味はわからなくてもジョウシの心情が類推できたファニュは、首を傾げる新参者に初めて口を開いた。
「彼女は『とても歓迎はしないけどね』って言ってるわ。あたしはシェ・ファニュ。よろしくね。あいにく、あんたが嫌いな人工子宮生まれだけど」
ファニュの最後の皮肉を意にも介さず、クインは逃亡計画のあらましを話すようにせがんだ。しかしナナクサ捜索の目的をファニュから告げられると、途端に自殺行為だと食って掛かった。そして、「ナナクサを探し出す取り決めは揺るぎないものじゃ」というジョウシの固い意志を確認するまで、それは続いた。
「して」と、ジョウシが背中越しにクインに質問を投げ掛けた。「そなたは連れ去られた我れらが同胞の居所に心当たりはないか?」
「あぁ、黒髪で綺麗な姐ちゃんだろ」
「知っておるのか?!」
「心当たりが無いでもない」
「悠長なこと言わないで。あんたが警報のスイッチを入れたことくらい、わかってるんだからね! 元はと言えば……」かっとなったファニュが思わず口を挟んだ。
「あの時は、お前たちのことを知らなかったんだから仕方ないだろ」ファニュを遮ると、クインは、さも当然のように言い放った。「さて、お前たちの探してる姐ちゃんだが、どこにいるも何も闘技場の中にはいなかったから、きっと、その屋上だろ。言い伝えによりゃぁ、ヴァンパイア専用の処刑場があるらしいからな」
その瞬間、エイブは嫌な予感が当たったように天を仰ぎ、ファニュは息を呑んだ。そしてジョウシは「間違いないか!」と振り向きざまに語気強く聞き返した。
「あぁ、間違いない。だって、屋上なら、お天道様の光にゃ困らねぇから、ヴァンパイアの処刑にはもってこい……」
応えを聞き終わらないうちに橇は無人の大きな十字路へ向けてスピードも落とさずに大きくカーブを切った。「自殺行為だ」と叫ぶ、新参者の声を押し殺して方向を転換した先には城砦都市の中心部にある巨大な闘技場がそびえ建っていた。
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大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
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ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。
まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。
※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。
※完結しました
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