デイ・ウォーク

たかや もとひこ

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第21話  反転

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 城塞都市カム・アーの戦士たちは、自分たちが虐げているという意識もないままに年老いた労働階級の者たちを城門から嬉々として追い立てた。なぜなら人工子宮ホーリー・カプセル生まれの彼らにとって、人は生まれながらに全てが決定されているものだからだ。戦士は戦士。そして労働者、いや、奴隷は奴隷。上目遣いに、こそこそと人の顔色を伺うだけの役立たずども。戦士や食糧が不足すれば点在する町々や隊商から何度でも調達すればいいし、城塞内の保守にしても妙ちくりんな自動機械オート・マトンどもに任せれば問題はない。こんな連中は城塞に必要がないのだ。戦士たちに限らず、徴発された若い準戦士たちですら、そう考える者が多かった。だから今回、レン補佐長から突然の追放命令がなければ、目の前の労働階級の者を、こうもあからさまに小突き回せることは稀だった。しかし同時に、労働階級の大量追放は何かが始まろうとしている証拠でもあった。多くの戦士が出征している今、その留守を預かる戦士たちは心が沸き立つのを抑えきれずにいた。
 小さな悲鳴を上げて足を引き摺る労働者の一人が倒れた。これ幸いと、その女を蹴るか踏み付けるかしようと戦士が大股で近づいた。しかし彼より先に一人の小柄な準戦士が、その女労働者に手を貸して立たせると、さっさと元いた列に押し込んだ。楽しみを奪われた戦士は、小柄な準戦士をきっと睨み据えた。その小柄な準戦士は隊商からの徴用者だった。確か、エイブ何とかという名の真面目くさった新入り野郎だ。戦士の心に怒りの炎が閃いた。思わず手を出そうかと思ったが、はたと思い止まった。戦士同士の私闘は厳罰に処せられるからだ。それに今は何か重大なことが起ころうとしている。そのイベントが終われば訓練中に、この小男を嬲り殺しにしてやろう。それなら指導者から賞賛されこそすれ、一切罪に問われることはない。そう思うと戦士は未だ消え失せることのない怒りを、隣でとぼとぼ歩く年老いた別の労働者を小突くことで何とか鎮火させた。
               *
 明るく真っ青に晴れ渡った月夜を、二人のヴァンパイアの若者は言葉を忘れ去ったかのように、ただ黙々と橇を走らせていた。この二週間余り、果てしなく続く白銀の世界は、大した天候の変化もなく二人を見守り続けていた。だが、それがより一層、二人の座る馭者台に延々と続くかと思える空虚感を醸し出していた。ジョウシは、それほど口数が多い方ではなく、元来、静寂を疎ましく感じる性癖ではなかったが、それでも隣に座る陽気な大男がむっつり押し黙った態度を取り続けることに、そろそろ辟易し始めたところだった。
「まるで大きな岩と旅をしておるようじゃ」
 我慢の限界に達する前にジョウシはタンゴの方を見ることなく嫌味を口にした。だが大男が、それに反応する気配は微塵もなかった。
「あの折に、我れに痛めつけられしことを未だ根に持っておるわけでもあるまいに。今のお前を見たら、あ奴が何と言うか……」
 ジョウシは敢えて挑発的な言動をタンゴに投げ付けた。少々強引で残酷なことではあったが、彼女は大男が失ったものが何であるかを思い出させることによって彼の返事を促そうとした。たとえ、それが大きな悲しみを伴う激しく非難されるものであってもだ。しかしタンゴはその言葉にも、一瞬ぴくりと頬を引き攣らせただけで、ジョウシの期待に応えることなく、延々と橇を走らせ続けた。ジョウシは「いっそのこと、我れも荷台の“死人”のように、ずっと黙っておこうか」と、タンゴの心を更に深く刺してやろうかと考えたが、代わりに馭者台横の制動棒を目一杯引いて橇を急停車させた。
「我慢の限界じゃ。用足しに行く」
 そう宣言してさっさと橇を降りたジョウシに、ようやくタンゴが声を掛けた。
「用足しは人間がするもんだよ」
「ならば小休止じゃ」
「さっき休んだろ」と、渇いた声でタンゴが応じる。
「いま一度の休憩じゃ」
「置いてくぞ」
「好きにせよ」
 すたすたと橇から離れるジョウシをタンゴは物憂げに見やった。そして、ふとジョウシが座っていた隣の馭者台の下から覗く何の変哲もない烏賊いか革の紐に視線を移した。無視すれば、そうできるほど細くて些細な紐だったが、手持ち無沙汰も手伝って、タンゴはおもむろに紐を引っ張った。紐の先には金属製の箱が引っ掛かっていた。彼は興味本位で、その箱を引っ張り出すと何気なく蓋を開いて中の物を取り出した。
「これは……」
 それを見たタンゴは、そう呟くのが精一杯だった。
               *
 小休止の後、タンゴの態度は明らかに変わっていた。ジョウシは何がどう変わったのか、はっきりとはわからなかったが、同道する大男が、殻に閉じ籠った頑なな態度から、深刻な悩みを未だ処理しきれないでいるように変ってしまったことだけは感じ取っていた。しかし話し掛けたとしても、この様子では先ほどと同じ沈黙しか得ることはできないだろう。ジョウシは気になりながらも、タンゴの横顔をちらちら盗み見ながら会話の緒を掴もうと頭を巡らせた。しかし思い巡らせたところで答えは一つしかなかった。彼女は無駄に終わるかもしれないと思いながらも、自分らしく単刀直入に切り出すべきだと考えた。
「実は……」と、ジョウシが口にした瞬間、タンゴからも同じ言葉が発せられた。バツの悪い一瞬をやり過ごして、再び口を開こうとしたジョウシは、タンゴもまた同じことをしようとしていることに気付いて、相手に譲ることにした。
「見てほしいモノがある」
「何をじゃ?」
 タンゴは橇を停車させ、ジョウシが座っていた馭者台の下から発見された箱を差し出した。
「中を見てくれ」
 中には半透明の材質で作られた古い絵地図が入っており、そこには縦線と横線が均等に引かれ、碁盤のようになっていた。しかもその中には点々と三十ほどの赤黒い点があり、点の一つ一つに古代文字が付されていた。
「なるほど、古代文字で書かれし絵地図か。初めて見る不可思議な材質じゃな。内容は小娘が持っておったのとさほど変わらぬ物のようじゃが……」
「もっと、よく見てくれ」
方違へ師かたたがえしでもない我れに何を見よ、と言うのじゃ」
 業を煮やしたジョウシが地図をタンゴの方へ押しやると、彼はそれを押し戻した。ジョウシはうんざりしながらもタンゴの望み通り、地図を更に検分した。
「これは……」
 ジョウシにもタンゴが言おうとしていることが、やっとわかった。三十ほどある地図上の小さな点の全てから匂い立ってくる微かな刺激臭から、それが人間の血で書かれたものであるということが。
「何と悪趣味な」
「うん」とタンゴが頷いた。「その点の全てに付されてる文字は、たぶん古代の数字だ。場所の細かな位置を示すものだと思う。ほら、縦と横の線のそれぞれにも書かれてるだろ。すごく細かく出できてるよ。きっと人間は、僕らみたいにあまり道には迷わないな」
 地図の秘密を読み解いたタンゴは史書師かたりべとして、あまり嬉しそうではなかった。次に彼は絵地図の端の方に寄り集まる三つの点を順番に指し示した。
「だとすると、これが僕のキサラ村、ミナヅ、そして……」
「我がヤヨの村……そう言いたいのか?」
 タナバタと二人でデイ・ウォークに出発する前日、村の方違へ師かたたがえしが簡潔に描いた略図で仲間との合流地点を教えてくれたことを思い出したジョウシは、その時の三村の配置と、いま目の前にある人間の絵地図に描かれたそれらが位置的に符合することに驚いた。
「なぜじゃ、なぜ人間が我らの村の位置を知っておる。それに……」
 ジョウシが言おうとすることを察知したタンゴが、そうだと言わんばかりに頷いた。
「残りの点が、未だ見ぬ同胞の村々か……まさか」
 そこまで言うとジョウシは絶句した。
「人間たちが僕らの村々の位置を知ってるっていうのは凄く不安だ」
 タンゴの冷静さに苛立ちを覚えたジョウシは彼の言葉を遮った。
「何を落ち着き払っておる。奴らは武器と際限のない闘争本能を養っておるのだぞ。何も知らぬ村々が朝討ちでも受けたら……」
「朝討ちだなんて、そんなことをして、人間に何の得があるんだい?」
「損得ではない。人間にとって我れらヴァンパイアは敵でしかない。敵を圧倒するには不意打ちが一番じゃ。奴らが我れらと闘うたは偶然。しかるに、この地図は周到に準備されたもの。そこから察するに……」
「でも、心配はいらないだろ」頭をもたげた不安を取り去ってくれというようにタンゴが反論した。「あの戦いで人間たちも懲りはずだと言ったのは君だろ。あれだけの死者を出したんだから」
「左様じゃ。しかし血で記されし禍々しき印は人間どもの並々ならぬ決意を示しておるとしか思えぬ」
「どういう意味?」
「より用心深くなった新手の人間どもが次々と送り込まれ、遂には」
 ジョウシは片手で首を斬る仕草をした。
「じゃぁ、人間たちは何があっても僕たちを、僕ら一族を根絶やしにするっていうのかい。なぜだい、そんなの理屈に合わないよ」
「奴らの恐怖心じゃろうな」
「『恐怖心』?」
 理不尽な回答を口にするジョウシにタンゴは憤りの声を上げた。
「そうじゃ。仮に我らと死闘を演じし生き残りどもがヴァンパイアの強さを広むれば、広むるほど、より一層の恐怖が広まる」
「だったら、二度と戦いたくはなくなるだろ。違うかい?」
「そうあってくれれば万々歳じゃが、恐怖を抱きし後が問題じゃ。恐怖は不安を煽りたて、その不安は恐慌パニックを呼ぶ。恐慌パニックを巧く育ててやれば、それは更なる大凶行へと繋がる」
「どういうことだい?」イライラとタンゴが応じる。
「小娘が指導者なる人間のおさについて語っておったろう。多くの人間を支配する冷酷で残虐な者であると。そのような存在は民草の心を操るのも巧みじゃ。おそらく『自分を信じて戦う者だけが勝利し生き残る』と容易に信じ込ませ、暴走させ得るであろうな」
「指導者だろ。そんな責任のある者が、なぜ?」
「己だけが正しいと信じておるからじゃ」
「そんな馬鹿な……」
「お前は史書師かたりべじゃな、タンゴ?」
 頷くタンゴの目を見据えながら、ジョウシは語を継いだ。
「では聞こう。古代にいくさはなぜ起こった。仲間同士でもいさかいが起こり得たは、なぜじゃ?」
いくさは自分たちが正しいと思うから。仲間の諍いも同じだ。でも間違ってたら、僕は素直に謝る」
「相手も、そう思うかどうかじゃ」
「そんな……僕の周りでも」
「お前は」と、ジョウシが遮った。「周りの者たちに恵まれておったのだ。いさかいが喧嘩になれば収めるのは難しくなる。ましていさかになれば……我れはタナバタの他には、お前ほど周りの者に恵まれてはおらなんだ。それゆえ何が起こるのかがわかるのじゃ」
「くそ……最悪だ」
「確かにな。じゃが、最悪なのは、そんなことではない」
「まだ最悪なことがあるのかい?」
「あぁ、ある。そのような存在はおのれより力ある者を決して認めぬ。徹底的に排除する。恐らく、たった一人になったとしてもな」
「何て馬鹿なんだ。大馬鹿だ。僕らヴァンパイアが、そいつに何をしたっていうんだ。平和に暮らしてる僕らが、何でそんなに恨まれなきゃなんない?」
「そうじゃな。たいらかに暮らすことを考えず、他者を滅ぼすことに心をくだく者などおさの風上にも置けぬな。馬鹿の中の大馬鹿じゃ」
「どうすりゃいい、ジョウシ?!」
「どうすれば良いか、お前はもう頭ではわかっておるのではあるまいか?」
 質問に対して質問で応じたジョウシはタンゴの決断を待つように口をつぐんだ。
「わかった。早く引き返してナナクサたちと合流しよう」
「それで良いのか?」
「もちろん。こんなことを知って、モタモタなんてしてられないよ!」
「そうか」と、ジョウシは頷いた。「ならば一刻も早く、ナナクサたちに追いつかねばな」
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