デイ・ウォーク

たかや もとひこ

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第17話  補佐長

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 新しい情報は第一指導者ヘル・シングの耳に入る前に必ず補佐長を経由する。そして、その情報は時には微妙に捻じ曲げられ、またある時は大部分が削除されて伝えられ、あるがままの姿を晒すことは決してなかった。それは過去からもそうであり、未来もそうなるし、現在も変わってはいない。だが、これを歴代の補佐長の不法行為だと一刀両断にしては彼らがあまりにも浮かばれないだろう。彼らは彼らで、修正された情報をもたらすことで数少ない人類を、第一指導者ヘル・シングの暴走から守ってきたのだ。そう。彼らの蛮勇と言う名の災厄から。
 古来より、表舞台に出ない、この情報操作の証拠はいくらも存在するとされたが、未だ確たるあかしを手にした者は、第一指導者ヘル・シングはおろか誰もいない。なぜなら、それらは補佐長に就く者に口伝えという形で連綿とバトンタッチされていく性質を持っていたからだ。例えば、化け物ヴァンパイア退治の名の下に無理な物資徴発を強いられた村々の連鎖暴動を、帳簿の改竄という手段で未発に終わらせたこともあるし、あまりに酷い戦士徴用で村々どころか、隊商の働き手まで底をつき、それでなくとも脆弱な人類の補給路と情報伝達網が枯死してしまう寸前、第一指導者ヘル・シング人口子宮ホーリー・カプセルの稼働率を大幅に上げるという名目で制動をかけたことすらあった。歴代の補佐長たちが頭を悩ませてきた、こういった操作は、まさに人類社会を維持する生命線だったのだ。だからこそ社会全体に関わる大きな危機の予兆を見逃す愚だけは冒すことはできない。十数世代に一度の割合で、第一指導者ヘル・シングの暴虐を上回るであろう、ヴァンパイア危機クライシスは確実に起こると言われているのだから。
               *
 レン補佐長は城塞都市カム・アーの中心部にある円形闘技場内の第二執務室にいた。そして、その一角に位置する謁見の間の豪奢な椅子の前にかしづいた隊商の世話役からの情報に眉をしかめた。
「もう一度聞くが、その話に間違いはないのだな」
 補佐長は、それとわからないくらい椅子の中で身じろぎした。
「私どもの、お話を信じちゃもらえないんで」
 本当は否定して欲しかった気持ちを見透かされたような気がして、レン補佐長は苛立ち、目の前の男には寛容さよりも、より大きな威圧で対応することに決めた。
「昨今は不穏な噂を流すことで物資の交換比率をほしいままに操ろうとする輩がいると聞き及んでいるのでな。もし、お前がそうなら罰せねばならん」
「いえ、滅相もございません」と、抗議の目を摘まれた男は首をすくめた。「本当でございますとも。その証拠にられた奴らの死体を持参いたしました」
「なに!」と、補佐長が驚きも隠さず、声をあげた。「お前は、この城塞都市カム・アーに汚染された死体を持ち込んだと言うのか。何と無謀な!」
 囁くより大きな声を出したことがないと信じられていたレン補佐長の怒声に、その場にいた警護の戦士たちは身構え、世話役はますます縮こまった。
「お前は害悪を持ち込んだと言うのだな」
「い、いえ」と、今では真っ白な石の床に這いつくばった男は声を震わせた。「私どもは何もそんな……念の為に胸に鉄杭を打ち込んで、三日三晩、生き返らねぇか確かめた上でのことでさぁ。決して悪気があったわけじゃございません。どうか、どうかお慈悲を」
 世話役が採った処置を聞いたレン補佐長は一応胸を撫でおろしたものの、どうしても直に死体の見聞をしなければならない衝動に突き動かされた。それは人類を守るという崇高な使命感からのものではなく、多分に自分自身の安全を確認したいがための個人的なものだった。だが、それを誰も責めることなどできないだろう。それほど十数世代に一度のヴァンパイア危機クライシスは代々、補佐長職に就く者の心に耐え難い恐怖として刻みつけられていたからだ。
「案内してもらおうか」
 レン補佐長は男を促すと警護の戦士を伴って、長い廊下を渡り、いくつもの分厚い門をくぐり抜けて、滅多に出ることはない極寒の外へ足を運んだ。
 補佐長は一歩外へ出るなり、快適な温度に保たれていた執務室に逆戻りしたい誘惑にかられた。誘惑にかられながらも威厳を保った無表情を維持することだけは忘れなかった。城塞都市カム・アーは過去の歴史に見えた都市の喧騒も活気もない、ほとんど白銀に覆われた世界だった。それでも、そこかしこに都市―――過去に人々で賑わったであろう廃墟群―――に留まることを許された規格外労働者たちの姿は、ちらほらと散見された。補佐長が装飾が施された専用橇の中から、そんな光景を眺めながら最外縁の城門近くに到着すると、すでに人だかりができていた。
 規格外労働者と徴用された準戦士たちで構成された人だかりは、橇から降り立った滅多に見ない補佐長の絢爛な衣装には無頓着だった。だが、その人々は補佐長よりも彼が従えた二人の戦士が自分たちに何か危害を加えるのではないかと水が引くように、その行くてを大きく開けた。
「これだな」
「へい」
 レン補佐長は覆いが掛けられた隊商の橇の荷台が大きく膨らんでいるのに目に留めた。それに気付いた世話役が揉み手をしながら補佐長に囁いた。
「なにぶん、数が多かったもので」
「そうか」
 反射的に、そう応じたに過ぎない補佐長の言葉を、自分に説明を要求されていると曲解した世話役は語を継いだ。
「東へ移動中、うちの雪走り烏賊スノー・スクィードどもが急に停っちまいましてね、えぇ。それも全部でさぁ。で、手綱を引いても鞭をくれても動かないんで、周りを調べてみたら。雪の中から出てくるわ、出てくるわで、はい。驚いたの何のって」
「もう、いい」
 レン補佐長は、聴衆の注意を引くように、右手を上げ、わざと大袈裟にそう言うと、同行させた世話役に死体を見せるように促した。世話役は、もったいぶった様子で頭を下げると、橇の馭者台に目配せした。馭者台にいた二人の商人は、荷台に降りると触るのもはばかられるかのように橇の覆いに手を掛けて一気に覆いを払いのけた。
 集まった聴衆の間から、息をのむざわめきと押し殺した悲鳴が同時に沸き起こった。それは戦士同士のいさかいや第一指導者ヘル・シングの気まぐれから時おり生み出される死体を見慣れているレン補佐長ですら絶句するものだった。しかし彼は口に手を当てながらも死体の数々をつぶさに見聞し始めた。もちろん、それでいて威厳を保つのはどうすべきなのかも考えながら。
 死体は商人だけでなく戦士のものもあった。身体を半ばで切断されたものや折り紙のように折り畳まれたもの、果ては、どんな手段を使ったのか、子供くらいの大きさに縮められてミイラ化したものまで。そして全てに共通するのは。
「傷口からの出血がある者もいるが、それにしては死体があまり血で汚れておらんな」
「へい」
 世話役の返事は短いものだった。
「人間業とは思えん」
 レン補佐長の呟きにも似たその言葉に世話役はごくりと唾を飲み込んだ。
「ですから、先ほども申し上げましたが、念の為に死体全部に杭を打ち込んだんでさぁ」
「その際、血は流れ出なかったのだな、一滴たりとも?」
 レン補佐長の念押しに、世話役だけでなく、彼の周りの聴衆も息をのんだ。
「へい。干した烏賊いかの肉みてぇに、ただの一滴も」
 数瞬の後、補佐長は衣装を翻すと死体の山を凝視し続けている二人の戦士に向き直った。
「ヴァンパイア危機クライシスだ」
 そう断定しながら、レン補佐長は気分が地の底まで沈んでいくのを感じていた。よりにもよって、自分の時代にこんな最悪が巡り合わせるとは。しかも最近行われた第一指導者ヘル・シングの気まぐれな大規模出征で、いま城塞内には正規の戦士が不足している。もちろん、第一指導者ヘル・シングからすれば、そんなことはないのだろうが、この機に際して愚かな楽天家でいることなどできはしない。レン補佐長は過去の補佐長たちからの口伝えで何か助けになるものがないかと頭を目まぐるしく回転させはじめた。
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