デイ・ウォーク

たかや もとひこ

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第16話  想いで

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 厳しい徒歩の旅路を経験してきたヴァンパイアの一行にとって橇での行程は、この上なく快適なものだった。なぜなら彼らが荷台に張られた分厚い幌の中で眠っている昼間も橇は雪を蹴って進み続けたからだ。
 少女は昼間に雪走り烏賊スノー・スクィードぎょしては休ませ、また走らせては休息させることを繰り返し、夜はヴァンパイアの若者たちが交代で慣れない手綱を慎重にさばいた。そんな中、人間とヴァンパイアは生活サイクルの違いで語り合う時間こそ多くはなかったものの、少ない時間を有効に使って互いを深く理解しようと努めた。特にヴァンパイアの若者たちを一様に感心させたのはファニュの手綱さばきだった。元来、家畜を含めて、一切の生物を使役する文化を持たない彼らにとって、生物を自在に操る少女の能力は驚嘆に値した。その反面。少女は新たな仲間たちの人間離れした身体能力に目を見張った。実際、彼らは人間の大人十人以上の力を要するであろう、ひっくり返った隊商の大橇を僅か二人で元通りにしただけでなく、休憩時間に逃げ出した雪走り烏賊スノー・スクィードの一頭を疾風よりも速く走って押さえ込んだり、十メートル以上の高さを持つ巨大な氷塊の天辺に、ひとっ飛びで着地をすると、遥か数キロ先の様子まで観察してくれたりしたのだ。
 互いに危険な敵だと教え込まれていたヴァンパイアと人間の奇妙な旅は、早くも二週間目を迎えようとしていた。
               *
 夕暮れの中、時々いなないては雪を蹴上げる四頭の雪走り烏賊スノー・スクィードの走りは力強いものだった。大きな箱状の荷台の後部にはナナクサとジョウシが座り込み、遥か彼方の氷原と死にゆく太陽が織り成すパノラマを遮光ゴーグル越しに眺めやっていた。タンゴとチョウヨウは雪走り烏賊スノー・スクィードを操る更なるテクニックと方違へ師かたたがえしのように星座から方位を知る術をファニュから学ぶため、彼女を挟んで馭者席に座っていた。
 橇の後部で、突然、ジョウシがくすくすと笑い出した。「どうしたの?」というナナクサの問いかけに、なおも笑いを噛み殺しつつ、ジョウシが口を開いた。
「しかし、分からぬものじゃな。ほんの少し前まで、我れはあの人間に寝首をかかれるのではないかと、内心気が気ではなかったのじゃが」
「人間じゃなくて、ファニュよ。彼女の名前は」と、ナナクサ。
「チョウヨウなどは『小娘』と呼んでおるぞ。まぁ、我のように『チビ助』と呼ばれるよりはマシではあろうがな」
 今度はナナクサもジョウシと共に笑った。ほんの少しづつではあるが、一人の人間の参入で、三人の仲間を失った若いヴァンパイアたちの痛みは少しずつではあるが癒されようとしていた。
「私は何と呼ばれてるんだろ?」
「唐突に何じゃ」変な事を聞くナナクサに、ジョウシはそう応えた。「そなたはナナクサ。チョウヨウがチョウヨウと呼ばれておるように、ただただナナクサじゃ。大食いのタンゴも、そうとしか呼んではおらぬであろう」
「もう、とっくに大食いをしなくなったのに、タンゴの渾名だけは何ともならないわね」
「うむ、そうじゃな。じゃが、ファニュは相変わらず、あの大食いを『天使さん』と呼んでおるがな」
「天使さんか……初めはファニュの家族の名前か何かだと思ってたけど」
「家族はおらぬとのことじゃからのぅ。『天使さん』とは、いったい誰のことであるのやら」
「さぁ。彼女は教えてくれないわ、今でも」
「なぜであろうか?」
「わからない。でも、天使の由来を聞いたときには、いつも恥ずかしそうにしてるから」
「では、あ奴の想い人か?」
「想い人……さぁ、どうかしら」
 そう応えながら、ナナクサはタナバタと空を滑空した時、身体に感じた力強い彼の腕の感覚を思い出した。そしてジョウシの横顔を見て過去を遡っているのが自分だけではないことに気付いた。
「ジンジツにも色々と渾名を付けたわね、私たち」
「そうじゃな」とジョウシがどこか寂しそうに応じた。「身勝手で生意気であったゆえ、我れもジンジツには色々と付けたぞよ」
「例えば?」と、ナナクサ。
「“石頭”に“筋肉バカ”」
「そう言えば、“銅鑼どら声マッチョ”ってのもあったわね。他には?」
「一日に一つは付けておったからな。多すぎていちいち覚えてはおらぬよ」
 二人のヴァンパイアの娘たちは声を揃えて、また笑い声を上げた。
「それにしても、よく喧嘩してたわね、あなたたち」
「口を開けば喧嘩じゃったな。じゃが、不思議と後には残らぬ奇妙な喧嘩じゃった。いつの頃よりか喧嘩をせぬ日は、かえってイライラとしたものじゃ。腹が立つのに気になる。そんな日々であったな」
 ジョウシの物言いは、いつしか過去を懐かしむ年老いた村長むらおさのようになっていた。
「生まれも育ちも、価値観すら違う赤の他人が、このデイ・ウォークにつどうた。そして互いを知れば知るほど、互いを大切に想うようになった。分からぬものじゃ……誠に分からぬものじゃ」
 ナナクサはジョウシの言葉を聞きながら、それこそが、この過酷なデイ・ウォークの真の意味ではないかと思った。そして、その思いは無意識に言葉となって口をついて出たらしい。ナナクサとジョウシの間に引き締まった身体を割り入れたチョウヨウが、どさりと腰を下ろすなり口を開いた。
「デイ・ウォークの真の意味は、真の成人にふさわしいかどうかを試す過酷なテスト。それ以上でも以下でもねぇよ。それにしても、えらく神妙に話し込んでたじゃねぇか、二人とも」
「そなたこそ。まだ交代でもあるまいに、何ゆえ戻って参った?」
「あの小娘」チョウヨウは、ちらりとナナクサを盗み見て、言い直した。「ファニュが腹が減ったって、また食べ始めたんだ。……うぅ、気持ち悪りぃ。思い出しただけでも吐きそうだ。人間てのは、生き物の身体がよく喰えるな。恐ろしいったらないよ、まったく。しかも、喰ってんのは雪走り烏賊スノー・スクィードの脚を干したやつだよ。目の前で一所懸命に走ってくれてる奴らの肉だよ。それを噛みちぎっては、くちゃくちゃと」
 チョウヨウはぶるっと身を震わせると両目を固く閉じて膝を抱えた。
雪走り烏賊スノー・スクィードの脚は、切ってもまた生えてくるらしいわよ。で、タンゴは?」と、ナナクサ。
「いつもと同じ。色々と人間のことを聞いてるよ」
「研究熱心なことじゃ。探究心が高じて、あ奴が烏賊いかの脚を喰うようにならねばよいが」
「嫌な想像すんなよ、チビ助」
「でも、もともとは大食いだから、好奇心が勝つかもよ」
「あんたまで、なんてこと言うんだい、ナナクサ。で、デイ・ウォークの話の前は何の話をしてたんだい?」
「渾名の話かな」
「渾名……何だ、そりゃ?」
 ヴァンパイアの若者たちを乗せた大橇は、政府チャーチが存在するであろう北を目指して夜の雪原を走り続けた。
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