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第3話 縮まる距離
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雪原の所々に造られた集落は、多い所で三十前後、少ない所でも十前後の分厚い氷で造られた半地下住居で構成されていた。その各集落は大小様々な隊商を相手にした交易で、辛うじてその命脈を保っていた。
人々の間で取引されるものは集落が収獲する家畜の雪走り烏賊の餌になる雪中菌類や深海生物を中心とした食糧。それに隊商が文明崩壊後の廃墟から持ち帰ってきた僅かな手工産品と情報。中でも他の地域の情報は特に貴重な交易商品となっていた。なぜなら、それは直接彼らの生存にかかわってくるかもしれない内容を包含している可能性もあるからだ。だが残念なことに、いつの世も情報は無責任な憶測や嘘によって、いとも簡単に捻じ曲げられていく。そして生れ出た誤情報は不安という尾鰭をつけて、その都度、隊商に返ってきた。例えば、「ブリンズリ集落が無くなったって?」と隊商の誰彼かまわず、食料を差し出した住人から質問が浴びせられる。
「誰から聞いたんだい?」と、それを受け取った隊商の誰かが必ず質問で返す。
「去年来たロダの隊商だったかなぁ……。なぁ、あんた、詳しいことを聞いてないか?」
「あぁ、まだだ。聞いたら、今度教えるよ」
「もしかして、化物どもにやられたのかな?」
「まさか。今どき何を言ってるんだい」という具合に。
ただ、この日の情報だけは、年若いシェ・ファニュが身を寄せる隊商と住民の中で限りなく事実に近い形で共有された。
「ブロトン集落で、また戦士の徴用があったんだって?」
「またかどうかは知らないが、その通りだ。うちの隊商もそこで二人も若い者を徴られたよ」
「二人もかい?」
「その前の地域じゃ、三人だ。これじゃ商売上がったりだ」
「何で、そんなに……」
「戦でも、おっ始めるんじゃないか、あの指導者様がよ」
「おいおい、滅多なことを言うもんじゃないよ」
「へぇ。じゃぁ、あんたはどう思うんだ?」
「どう思うったって……」
「まぁ、遅かれ早かれ、戦士の徴用は、この集落にも来るぜ。覚悟を決めておいたほうがいい」
「おい、やめてくれよ」
身振り手振り、時には首を振ったり、すくめたりで人々と隊商の情報交換という名のお喋りは続いていく。
シェ・ファニュは、隊商の橇を引く雪走り烏賊の大きな胴を撫でてやりながら、そんな大人たちの目を盗んで、住民の一人と交換した深海魚の干し肉をいつものように若々しい食欲で頬張った。暫くしたら、休む間もなく、また次の集落に移動だ。
空は今にも雪嵐になりそうなほど厚い雲が広がりはじめていた。
*
昨夜は七人の仲間のそれぞれが時間を忘れるほど楽しくおしゃべりに興じた。だが、時間を忘れるということは朝日を浴びる可能性がある。ナナクサたちにとって、それは死と隣り合わせの危険を意味する。すんでのところで助かったのは、先着の五人が二日間にわたってここで過ごしていたからだ。彼らは到着と同時に岩塊の下の雪をかき分け、凍てついた土を掘り進んで、そこそこ快適な棺桶穴を造り上げていた。真っ白に凍った遥か東の大海に太陽の光が突き刺さるころ、五人で快適だった棺桶穴は狭い空間に変貌し、そこに潜りこんだ七人は自分たちが鞄の中に押し込められた荷物のように感じた。
棺桶穴の中は仲間の体温でむせ返るほど暑かった。その中でナナクサは眠ることも、満足に寝返りをうつこともできずに悶々としていた。元々、考え事をすると眠れなくなる性質なのに、この蒸し暑さだ。それでも軽い寝息を立てている仲間がいるのには、羨ましさとともに微かな苛立ちもおぼえた。とにかく眠ろうと壁の方を向いていると、ナナクサは背中にふと視線を感じた。そして視線を感じた方に何とか寝返りをうつと暗闇に目を凝らした。てっきり親友のミソカだと思った視線の主は以外にもチョウヨウだった。ミソカは二人の間でピクリともせずに眠り続けている。
「暑いな」
「そうだね」
秘密の会話を楽しむにしては、まだよそよそしい。ヒソヒソ声にヒソヒソ声で応じる向かい合った二人の顔の間にはミソカの頭頂部が見える。
「何度くらいあるんだろ?」
「さぁ、でもきっと氷点下は超えてると思うわ」
「うへぇ。太陽に焼かれなくても、ここで蒸し焼きになっちゃうな」
暗闇の中で声を押し殺して笑うチョウヨウの大きな瞳が闇に浮かぶ月のように光っている。同じ女から見ても魅力的だ。
「お前の目、綺麗だな。闇の中で星がいくつも輝いてるようだ」
相手の目が綺麗だと思った途端、その相手から同じ所を褒められたナナクサは内心ドギマギした。
「婆ちゃんが言ってた。『瞳の中に星を飼う者は、すべてを手にする』って。だから……」
一瞬、チョウヨウの言葉が途切れた。
「だから、なに?」
「気をつけるんだぞ」
「えっ、どういうこと?」
それには応えず、チョウヨウは仰向けになって何もない棺桶穴の天井を見詰めた。
「すまん。何でもない。無理せず、旅ではお互いに気を付けようということだ」
「一度口にしかけて言わないなんて無しだよ、仲間でしょ?」
ナナクサは、そう口に出してから後悔した。話をし始めたからといって、まだ心底仲良くなったわけではない。それに言わないには、それなりの理由もあるはずだ。もし言う機会があれば、また聞くこともあるだろう。
「ごめん、ちょっと図々しすぎたわ」
楽しい会話は終わりだというようにナナクサはチョウヨウの横顔にそう語りかけた。そして自分の迂闊さからでた好奇心を責めた。こんなことで今後の関係がストップするのは馬鹿げている。
だが、会話は終わらなかった。
「いや。あたいが言い出したんだ」チョウヨウは天井を見詰めながら口を開いた。「姉ちゃんもお前と同じ瞳をしていた。綺麗で、やさしくて、あたいの憧れだったんだ」
ナナクサは話の帰着点がどうなるか薄々ではあるが予想がついた。私たちが過去形で家族を語るときに、よくありがちな嫌な予想だった。
「でも、デイ・ウォークで死んだ。六十年も前の話だ」
「そう……」
実際、こう言う以外に何が言えただろう。ナナクサは過去に想いを馳せるチョウヨウの横顔を見つめると同時に、再び自分の好奇心を責めた。
「ごめんね、私……」
「いや、いいんだ。姉ちゃんは石工の子なのに、史書師になりたいって、石工の修行そっちのけで、村長の子供を追っかけ回しては、古代の本を見せてもらったり、隠居した長老のとこに話しを聞きにばっか行ってた。そうそう、どこで聞きかじってきたのか、薬師みたいに球根の話もしてくれたよ」
「球根、苔じゃなくて?」
「うん。岩肌じゃなく、土の中にできる、あの丸っこいやつ」
「へえ。それじゃぁ、薬師見習いの私より、あなたの姉さんの方が薬用球根には詳しかったかもしれないわね」
凍てついた世界では形のある植物はほんの一握りの土地でしか採取できない。それに採れたとしても、量が非常に少なく薬にするにしても多大な困難を伴った。そんな小さく細々したものだけを相手にする薬師の仕事に、土の上の大きな岩や石を相手にする石工の子が興味を持つなんて。
「でも、あたいは、史書師や薬師の仕事なんかに全然、興味なくてさ。『ちゃんと石工の勉強もしなきゃ、デイ・ウォークの年になる前に村を追ん出されちゃうぞ』って、姉ちゃんに」
「で、お姉さんは?」
「『私は欲張りなんだ』って、笑ってたよ。本当にすべてを手に入れようとしてたみたいだった……」
今は薬師の仕事に魅力と責任を感じてはいるが、ナナクサも幼い頃にミソカの親のように方違へ師になりたいと言って村長を困らせ、父母を嘆かせたことがあった。どうやら似ているのは瞳だけではなかったらしい。ナナクサはチョウヨウの亡き姉に、ますます親近感を覚えずにいられなかった。
「変わり者だったんだね、お姉さん」
怒るかなと思ったが、ナナクサの言葉にチョウヨウは微かに笑い声を上げた。
「そう。変わり者だったよ」
私たち一族の仕事は代々世襲が常なので、それ以外の仕事に興味を持ち続ける者は極めて少ない。もし、そんな者がいれば村の中でも孤立するはずだ。チョウヨウの姉もきっと孤立していたに違いない。もちろん、そんな姉を持つチョウヨウ自身も姉と同じはずだったろう。
「ありがとうチョウヨウ。私、気をつけるわ。あなたの姉さんの……」
「ボウシュだ。姉の名は」
「ボウシュのためにも」
「しっかり、そうしてくれ。好奇心旺盛な、瞳に星を飼う者よ」
明日の日暮れから本格的に始まるデイ・ウォークのことを考えると憂鬱になる。しかし心を開いて語り合える友人を、村を越えて得ることができるのも、この成人の儀式ならではなのだろう。ただしチョウヨウの姉、ボウシュのように死なずに済めばだが……。
「なぁ、ナナクサ?」
「なに?」
「あんた、このパーティの男どもをどう思う?」
「えっ、男ども?」
「そう」
「タンゴとか、タナバタとか?……」
「うん。もちろんジンジツなんて問題外なのは、わかってるよ。あいつは村一番のバカタレだからな。で、どう思う?」
「『どう?』って、そんな……」
からかっているのか真剣なのか、はたまた彼女の性格なのかはわからなかった。男の品定めなど、姉が亡くなった話の後で出てくる話題ではないだろう。でも、とにかく会話は続いた。ナナクサはチョウヨウの質問の意味を考えてみた。
「『どう思う』って……。好きとか嫌いとか?」
「うん」
「『うん』って……。そんなこと急に言われても……」
ナナクサが、そう言って沈黙したことで、今度はチョウヨウがナナクサの考えを察して慌てて言い足した。
「違うぞ。なに考えてんだ。婚儀の相手とか、そんなんじゃなく、デイ・ウォークの仲間としてだぞ」
「あぁ、なんだ。そうなの」
「当たり前だろ、そんなこと」
チョウヨウの声が少し上ずった。
「まずはタンゴ。彼は気のいい奴だよ」
ナナクサとチョウヨウの顎の辺りからミソカの細っそりと優しい声が響いた。その声にナナクサは目を見張り、チョウヨウは口をつぐんだ。
「起きてたの?」
「『起きてたの?』じゃなくて、起きちゃったのよ」
ナナクサの視線の先にチョウヨウの不安そうな目が光っている。新たな友人に対する配慮から、ナナクサは「わたしたちの話を始めから聞いてたの。チョウヨウの姉さんの話も?」とは聞かず、「いつから?」と親友に声をかけた。
「男の子の品定めの時からよ。私だってもうすぐ百才。男の子にだって興味くらいあるわ」ミソカは暗闇の中で、チョウヨウに顔を向けた。「で、あなたは誰が好き。タナバタ。それともタンゴ?」
気の強いチョウヨウが思わずたじろいだ。
「な、なに言ってる。そんな話をしてんじゃないぞ。それにタンゴもタナバタも会ったばかりだろ!」
思わず声を荒げたチョウヨウにミソカは屈託のない笑いを投げかけた。優しいくせに、時々思いもよらないことを言うところがミソカらしかった。天井にミソカの声が小さく響く。
「タナバタやジンジツのことはまだわからないけど、私たちはタンゴが好きだよ。もちろん男としてじゃなく、村の仲間としてだけど。ねっ、ナナクサ」
「そうね。でも頼りになるかな、あの大食い男が」
「大食い?」とチョウヨウが訝った。
「そう、すごく大食いだよ。びっくりするよ」二人の間でミソカは窮屈そうに伸びをした。
「大食い……信じられないな」
興味をひかれたチョウヨウは狭い中を、身をよじってミソカの方を向いた。他人の警戒心を苦もなく解いてしまうミソカの人徳、いや彼女が醸し出す雰囲気の賜物だろうか。
「だって見たでしょ。棺桶穴に入る前の食事」
「見たけど、みんな急いでたからなぁ。そんな変わったことが、奴にあったかなぁ?」
「思い出してごらんよ」
ミソカの言葉に考え込むチョウヨウが、ナナクサには面白かった。
食事ともなると、仲間のそれぞれが自分の食事容器を取り出す。金属で出来たそれは代々その家で受け継がれたもので、大きさはみな30センチほどの円筒形で蓋がついている。違うのは、その見た目で、傷だらけで緑一色の表面に所々から地肌が露出しているもの、それとは反対に磨き上げられ、元が何色だったかわからなくなっているもの、絵画のように派手な絵柄が付いたもの。そして蓋まで凹んでガラクタにしか見えないものなど。七人七様にそれらは持ち主同様、個性的な品々だった。
食事容器にはあらかじめ雪が詰められ、使うころには程よい冷水になっている。そこに我々一族の命の糧である黄色い錠剤を投入する。小指の爪ほどのそれは容器の中で水に混じるとすぐに極上で唯一の食べ物である精進水に変わる。難を言えば、この食料が政府からの完全支給制で、村ではいつも絶対量が不足しているということだ。だから、どの村落でも満足に食事が足りている者など一人もいない。そんな中で大食いの者が存在するなど信じられないとチョウヨウが訝るのも無理のない話だ。
「あいつ、頼まれもしないのに後片付けはしっかりやってたでしょ」とナナクサは助け舟を出した。「みんなの分まで」
「うん。次の食事用にみんなの食器に雪を詰めてたな。でも、それって大食いじゃなくて、気が利く感心な奴ってことだろ」
クスクスと笑うミソカに、チョウヨウは少しムっとした視線を向ける。それに対してミソカは種明かしをするように一つ一つの事実をなぞっていく。
「みんなが棺桶穴に籠りはじめても、タンゴは食器に雪を詰めてたでしょ」
「うん」とチョウヨウ。
「食器に雪を詰めるのって、そんなに時間がかかる?」
「そういえば、せかせかしてる割には時間がかかってたな」
「七人分だとしても時間がかかりすぎよね」
「だから?」まだ合点がいかない様子のチョウヨウがイライラと先を促した。
「始めに少しの雪を入れて食器の中に付いた精進水の残りをシャカシャカ洗い流すの」とミソカ。「そして、それを……」とナナクサ。
「全部、飲んじゃうのか!」チョウヨウが小さく叫び声をあげた。「だから、あいつだけ口元がいつまでも汚れてたのか」
「そうそう」
笑いをかみ殺しながら応じるミソカの横でナナクサも笑い出しそうになるのを必死に堪えた。そんな二人にチョウヨウが真面目な口調で反論を試みた。
「でも、それって」
「なに?……」と今度はミソカがいぶかる。
「別に大食いってわけじゃないぞ」
「えっ?」今度はナナクサもミソカと声をそろえた。
「それって、大食いじゃなくて、意地汚いってだけなんじゃないのか?」
ナナクサとミソカの笑い声が遂に爆発した。引き金を引いたチョウヨウも、やがて釣られて笑い出した。その声に何事かと目を覚ましはじめたタンゴとタナバタが不機嫌そうにもぞもぞ動き出す。その時、狭い棺桶穴にジンジツの銅鑼声が響いた。
「おい!」眠ったまま低い天井に人差し指を突き立てている。「早く来いよ、お前。遅れるぞ!」
一瞬後、ジンジツの大きな寝言に仲間たちは腹を抱えて笑い転げた。そしてその笑いの渦は日暮れ前まで延々と続いた。だが皆で何も考えず心ゆくまで楽しく笑ったのは、この日が最初で最後だった。
九週間後。一人目の犠牲者が出た。
人々の間で取引されるものは集落が収獲する家畜の雪走り烏賊の餌になる雪中菌類や深海生物を中心とした食糧。それに隊商が文明崩壊後の廃墟から持ち帰ってきた僅かな手工産品と情報。中でも他の地域の情報は特に貴重な交易商品となっていた。なぜなら、それは直接彼らの生存にかかわってくるかもしれない内容を包含している可能性もあるからだ。だが残念なことに、いつの世も情報は無責任な憶測や嘘によって、いとも簡単に捻じ曲げられていく。そして生れ出た誤情報は不安という尾鰭をつけて、その都度、隊商に返ってきた。例えば、「ブリンズリ集落が無くなったって?」と隊商の誰彼かまわず、食料を差し出した住人から質問が浴びせられる。
「誰から聞いたんだい?」と、それを受け取った隊商の誰かが必ず質問で返す。
「去年来たロダの隊商だったかなぁ……。なぁ、あんた、詳しいことを聞いてないか?」
「あぁ、まだだ。聞いたら、今度教えるよ」
「もしかして、化物どもにやられたのかな?」
「まさか。今どき何を言ってるんだい」という具合に。
ただ、この日の情報だけは、年若いシェ・ファニュが身を寄せる隊商と住民の中で限りなく事実に近い形で共有された。
「ブロトン集落で、また戦士の徴用があったんだって?」
「またかどうかは知らないが、その通りだ。うちの隊商もそこで二人も若い者を徴られたよ」
「二人もかい?」
「その前の地域じゃ、三人だ。これじゃ商売上がったりだ」
「何で、そんなに……」
「戦でも、おっ始めるんじゃないか、あの指導者様がよ」
「おいおい、滅多なことを言うもんじゃないよ」
「へぇ。じゃぁ、あんたはどう思うんだ?」
「どう思うったって……」
「まぁ、遅かれ早かれ、戦士の徴用は、この集落にも来るぜ。覚悟を決めておいたほうがいい」
「おい、やめてくれよ」
身振り手振り、時には首を振ったり、すくめたりで人々と隊商の情報交換という名のお喋りは続いていく。
シェ・ファニュは、隊商の橇を引く雪走り烏賊の大きな胴を撫でてやりながら、そんな大人たちの目を盗んで、住民の一人と交換した深海魚の干し肉をいつものように若々しい食欲で頬張った。暫くしたら、休む間もなく、また次の集落に移動だ。
空は今にも雪嵐になりそうなほど厚い雲が広がりはじめていた。
*
昨夜は七人の仲間のそれぞれが時間を忘れるほど楽しくおしゃべりに興じた。だが、時間を忘れるということは朝日を浴びる可能性がある。ナナクサたちにとって、それは死と隣り合わせの危険を意味する。すんでのところで助かったのは、先着の五人が二日間にわたってここで過ごしていたからだ。彼らは到着と同時に岩塊の下の雪をかき分け、凍てついた土を掘り進んで、そこそこ快適な棺桶穴を造り上げていた。真っ白に凍った遥か東の大海に太陽の光が突き刺さるころ、五人で快適だった棺桶穴は狭い空間に変貌し、そこに潜りこんだ七人は自分たちが鞄の中に押し込められた荷物のように感じた。
棺桶穴の中は仲間の体温でむせ返るほど暑かった。その中でナナクサは眠ることも、満足に寝返りをうつこともできずに悶々としていた。元々、考え事をすると眠れなくなる性質なのに、この蒸し暑さだ。それでも軽い寝息を立てている仲間がいるのには、羨ましさとともに微かな苛立ちもおぼえた。とにかく眠ろうと壁の方を向いていると、ナナクサは背中にふと視線を感じた。そして視線を感じた方に何とか寝返りをうつと暗闇に目を凝らした。てっきり親友のミソカだと思った視線の主は以外にもチョウヨウだった。ミソカは二人の間でピクリともせずに眠り続けている。
「暑いな」
「そうだね」
秘密の会話を楽しむにしては、まだよそよそしい。ヒソヒソ声にヒソヒソ声で応じる向かい合った二人の顔の間にはミソカの頭頂部が見える。
「何度くらいあるんだろ?」
「さぁ、でもきっと氷点下は超えてると思うわ」
「うへぇ。太陽に焼かれなくても、ここで蒸し焼きになっちゃうな」
暗闇の中で声を押し殺して笑うチョウヨウの大きな瞳が闇に浮かぶ月のように光っている。同じ女から見ても魅力的だ。
「お前の目、綺麗だな。闇の中で星がいくつも輝いてるようだ」
相手の目が綺麗だと思った途端、その相手から同じ所を褒められたナナクサは内心ドギマギした。
「婆ちゃんが言ってた。『瞳の中に星を飼う者は、すべてを手にする』って。だから……」
一瞬、チョウヨウの言葉が途切れた。
「だから、なに?」
「気をつけるんだぞ」
「えっ、どういうこと?」
それには応えず、チョウヨウは仰向けになって何もない棺桶穴の天井を見詰めた。
「すまん。何でもない。無理せず、旅ではお互いに気を付けようということだ」
「一度口にしかけて言わないなんて無しだよ、仲間でしょ?」
ナナクサは、そう口に出してから後悔した。話をし始めたからといって、まだ心底仲良くなったわけではない。それに言わないには、それなりの理由もあるはずだ。もし言う機会があれば、また聞くこともあるだろう。
「ごめん、ちょっと図々しすぎたわ」
楽しい会話は終わりだというようにナナクサはチョウヨウの横顔にそう語りかけた。そして自分の迂闊さからでた好奇心を責めた。こんなことで今後の関係がストップするのは馬鹿げている。
だが、会話は終わらなかった。
「いや。あたいが言い出したんだ」チョウヨウは天井を見詰めながら口を開いた。「姉ちゃんもお前と同じ瞳をしていた。綺麗で、やさしくて、あたいの憧れだったんだ」
ナナクサは話の帰着点がどうなるか薄々ではあるが予想がついた。私たちが過去形で家族を語るときに、よくありがちな嫌な予想だった。
「でも、デイ・ウォークで死んだ。六十年も前の話だ」
「そう……」
実際、こう言う以外に何が言えただろう。ナナクサは過去に想いを馳せるチョウヨウの横顔を見つめると同時に、再び自分の好奇心を責めた。
「ごめんね、私……」
「いや、いいんだ。姉ちゃんは石工の子なのに、史書師になりたいって、石工の修行そっちのけで、村長の子供を追っかけ回しては、古代の本を見せてもらったり、隠居した長老のとこに話しを聞きにばっか行ってた。そうそう、どこで聞きかじってきたのか、薬師みたいに球根の話もしてくれたよ」
「球根、苔じゃなくて?」
「うん。岩肌じゃなく、土の中にできる、あの丸っこいやつ」
「へえ。それじゃぁ、薬師見習いの私より、あなたの姉さんの方が薬用球根には詳しかったかもしれないわね」
凍てついた世界では形のある植物はほんの一握りの土地でしか採取できない。それに採れたとしても、量が非常に少なく薬にするにしても多大な困難を伴った。そんな小さく細々したものだけを相手にする薬師の仕事に、土の上の大きな岩や石を相手にする石工の子が興味を持つなんて。
「でも、あたいは、史書師や薬師の仕事なんかに全然、興味なくてさ。『ちゃんと石工の勉強もしなきゃ、デイ・ウォークの年になる前に村を追ん出されちゃうぞ』って、姉ちゃんに」
「で、お姉さんは?」
「『私は欲張りなんだ』って、笑ってたよ。本当にすべてを手に入れようとしてたみたいだった……」
今は薬師の仕事に魅力と責任を感じてはいるが、ナナクサも幼い頃にミソカの親のように方違へ師になりたいと言って村長を困らせ、父母を嘆かせたことがあった。どうやら似ているのは瞳だけではなかったらしい。ナナクサはチョウヨウの亡き姉に、ますます親近感を覚えずにいられなかった。
「変わり者だったんだね、お姉さん」
怒るかなと思ったが、ナナクサの言葉にチョウヨウは微かに笑い声を上げた。
「そう。変わり者だったよ」
私たち一族の仕事は代々世襲が常なので、それ以外の仕事に興味を持ち続ける者は極めて少ない。もし、そんな者がいれば村の中でも孤立するはずだ。チョウヨウの姉もきっと孤立していたに違いない。もちろん、そんな姉を持つチョウヨウ自身も姉と同じはずだったろう。
「ありがとうチョウヨウ。私、気をつけるわ。あなたの姉さんの……」
「ボウシュだ。姉の名は」
「ボウシュのためにも」
「しっかり、そうしてくれ。好奇心旺盛な、瞳に星を飼う者よ」
明日の日暮れから本格的に始まるデイ・ウォークのことを考えると憂鬱になる。しかし心を開いて語り合える友人を、村を越えて得ることができるのも、この成人の儀式ならではなのだろう。ただしチョウヨウの姉、ボウシュのように死なずに済めばだが……。
「なぁ、ナナクサ?」
「なに?」
「あんた、このパーティの男どもをどう思う?」
「えっ、男ども?」
「そう」
「タンゴとか、タナバタとか?……」
「うん。もちろんジンジツなんて問題外なのは、わかってるよ。あいつは村一番のバカタレだからな。で、どう思う?」
「『どう?』って、そんな……」
からかっているのか真剣なのか、はたまた彼女の性格なのかはわからなかった。男の品定めなど、姉が亡くなった話の後で出てくる話題ではないだろう。でも、とにかく会話は続いた。ナナクサはチョウヨウの質問の意味を考えてみた。
「『どう思う』って……。好きとか嫌いとか?」
「うん」
「『うん』って……。そんなこと急に言われても……」
ナナクサが、そう言って沈黙したことで、今度はチョウヨウがナナクサの考えを察して慌てて言い足した。
「違うぞ。なに考えてんだ。婚儀の相手とか、そんなんじゃなく、デイ・ウォークの仲間としてだぞ」
「あぁ、なんだ。そうなの」
「当たり前だろ、そんなこと」
チョウヨウの声が少し上ずった。
「まずはタンゴ。彼は気のいい奴だよ」
ナナクサとチョウヨウの顎の辺りからミソカの細っそりと優しい声が響いた。その声にナナクサは目を見張り、チョウヨウは口をつぐんだ。
「起きてたの?」
「『起きてたの?』じゃなくて、起きちゃったのよ」
ナナクサの視線の先にチョウヨウの不安そうな目が光っている。新たな友人に対する配慮から、ナナクサは「わたしたちの話を始めから聞いてたの。チョウヨウの姉さんの話も?」とは聞かず、「いつから?」と親友に声をかけた。
「男の子の品定めの時からよ。私だってもうすぐ百才。男の子にだって興味くらいあるわ」ミソカは暗闇の中で、チョウヨウに顔を向けた。「で、あなたは誰が好き。タナバタ。それともタンゴ?」
気の強いチョウヨウが思わずたじろいだ。
「な、なに言ってる。そんな話をしてんじゃないぞ。それにタンゴもタナバタも会ったばかりだろ!」
思わず声を荒げたチョウヨウにミソカは屈託のない笑いを投げかけた。優しいくせに、時々思いもよらないことを言うところがミソカらしかった。天井にミソカの声が小さく響く。
「タナバタやジンジツのことはまだわからないけど、私たちはタンゴが好きだよ。もちろん男としてじゃなく、村の仲間としてだけど。ねっ、ナナクサ」
「そうね。でも頼りになるかな、あの大食い男が」
「大食い?」とチョウヨウが訝った。
「そう、すごく大食いだよ。びっくりするよ」二人の間でミソカは窮屈そうに伸びをした。
「大食い……信じられないな」
興味をひかれたチョウヨウは狭い中を、身をよじってミソカの方を向いた。他人の警戒心を苦もなく解いてしまうミソカの人徳、いや彼女が醸し出す雰囲気の賜物だろうか。
「だって見たでしょ。棺桶穴に入る前の食事」
「見たけど、みんな急いでたからなぁ。そんな変わったことが、奴にあったかなぁ?」
「思い出してごらんよ」
ミソカの言葉に考え込むチョウヨウが、ナナクサには面白かった。
食事ともなると、仲間のそれぞれが自分の食事容器を取り出す。金属で出来たそれは代々その家で受け継がれたもので、大きさはみな30センチほどの円筒形で蓋がついている。違うのは、その見た目で、傷だらけで緑一色の表面に所々から地肌が露出しているもの、それとは反対に磨き上げられ、元が何色だったかわからなくなっているもの、絵画のように派手な絵柄が付いたもの。そして蓋まで凹んでガラクタにしか見えないものなど。七人七様にそれらは持ち主同様、個性的な品々だった。
食事容器にはあらかじめ雪が詰められ、使うころには程よい冷水になっている。そこに我々一族の命の糧である黄色い錠剤を投入する。小指の爪ほどのそれは容器の中で水に混じるとすぐに極上で唯一の食べ物である精進水に変わる。難を言えば、この食料が政府からの完全支給制で、村ではいつも絶対量が不足しているということだ。だから、どの村落でも満足に食事が足りている者など一人もいない。そんな中で大食いの者が存在するなど信じられないとチョウヨウが訝るのも無理のない話だ。
「あいつ、頼まれもしないのに後片付けはしっかりやってたでしょ」とナナクサは助け舟を出した。「みんなの分まで」
「うん。次の食事用にみんなの食器に雪を詰めてたな。でも、それって大食いじゃなくて、気が利く感心な奴ってことだろ」
クスクスと笑うミソカに、チョウヨウは少しムっとした視線を向ける。それに対してミソカは種明かしをするように一つ一つの事実をなぞっていく。
「みんなが棺桶穴に籠りはじめても、タンゴは食器に雪を詰めてたでしょ」
「うん」とチョウヨウ。
「食器に雪を詰めるのって、そんなに時間がかかる?」
「そういえば、せかせかしてる割には時間がかかってたな」
「七人分だとしても時間がかかりすぎよね」
「だから?」まだ合点がいかない様子のチョウヨウがイライラと先を促した。
「始めに少しの雪を入れて食器の中に付いた精進水の残りをシャカシャカ洗い流すの」とミソカ。「そして、それを……」とナナクサ。
「全部、飲んじゃうのか!」チョウヨウが小さく叫び声をあげた。「だから、あいつだけ口元がいつまでも汚れてたのか」
「そうそう」
笑いをかみ殺しながら応じるミソカの横でナナクサも笑い出しそうになるのを必死に堪えた。そんな二人にチョウヨウが真面目な口調で反論を試みた。
「でも、それって」
「なに?……」と今度はミソカがいぶかる。
「別に大食いってわけじゃないぞ」
「えっ?」今度はナナクサもミソカと声をそろえた。
「それって、大食いじゃなくて、意地汚いってだけなんじゃないのか?」
ナナクサとミソカの笑い声が遂に爆発した。引き金を引いたチョウヨウも、やがて釣られて笑い出した。その声に何事かと目を覚ましはじめたタンゴとタナバタが不機嫌そうにもぞもぞ動き出す。その時、狭い棺桶穴にジンジツの銅鑼声が響いた。
「おい!」眠ったまま低い天井に人差し指を突き立てている。「早く来いよ、お前。遅れるぞ!」
一瞬後、ジンジツの大きな寝言に仲間たちは腹を抱えて笑い転げた。そしてその笑いの渦は日暮れ前まで延々と続いた。だが皆で何も考えず心ゆくまで楽しく笑ったのは、この日が最初で最後だった。
九週間後。一人目の犠牲者が出た。
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十年前に出会った吸血鬼が求婚してきましたが、断固拒否です。
藤崎 風華
キャラ文芸
「十年後に会えるという、まじないだ」
吸血鬼は奥山朱莉に口付けを落とし、その場を去った。それから十年後、朱莉はその出来事を〝よく見る夢〟だと信じ込んでいた。
非現実な存在を否定する朱莉の一方では『女を襲う吸血鬼』と『生徒会室付近で頻発するポルターガイスト現象』の噂が流れた。そんな折に夢の吸血鬼に似た同級生が現れ、朱莉は吸血鬼事件に巻き込まれることになってしまった。
果たして、夢の吸血鬼と噂の吸血鬼の正体とは……?
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