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2話

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「……はぁ~」

鉄パイプを杖代わりに体を傾け、倒したゾンビを見下ろしながら大きく息をつく。
扉は横開き、おまけに鉄製で頑丈だから壊される心配はない。
何らかの拍子で扉が枠から外れでもしない限りは、ゾンビが入ってくることはないだろう。
見た限り多少群がられた程度で外れるほど、柔な造りには見えない。
中に入ってきたゾンビも倒したことで、ひとまずの脅威は去った。
問題は。

「……俺も、とうとうゾンビになっちまうのか」

手に付けられた歯形を見て、もう一度大きくため息を吐く。
幸い食いちぎられる前に手を引いたおかげで、歯形と僅かに血が出ている程度の軽傷だ。
指をグーパーしたり、それぞれの指を動かして確認すると、多少痛みはあるが普段通り動かすことに支障はなさそうだ。
だけど、どんな傷でもゾンビに噛まれた時点でアウト。
個人差はあるようだが、長くても半日もせずに噛まれた人はゾンビになると聞いたことがある。
俺は……どうだろうか。
傷の具合や今の体調から、今すぐに変化するようには感じられない。

「あの体育館に出てきたゾンビ、多分逃げてくる時にでも噛まれたんだろうな」

体育館に逃げ込んだのが、大体半日くらい前。
彼、彼女? が、どの程度の怪我をしていたのかはわからないが、誰にも気づかれなかったということは俺と同じく軽傷だったのだろう。
それを考えればこの手の怪我も軽いし、案外俺も長く人間のままでいられるかもしれない。

「こんな形で死ぬことになるなんて、考えもしなかったな。まぁ、ゾンビに食われながら死ぬよりかは断然マシかもだけど」

今になって、さっき入口から逃げようとした女の子の最期が脳裏に浮かんでくる。
ゾンビに群がられていて全容は見えなかったが、おびただしい血が足元に広がっているのは見えた。
そして太かったり細かったり、長かったり短かったりする紐状の物体が転がっているのも。
ゾンビ映画もよく見るから、それが何なのか嫌でも想像がついてしまう。
生きながらにして食われるなんて、最悪の死に方だ。
それを考えれば苦しいとは思うが、時間経過とともにゾンビになって人間でなくなる方がまだマシな気がした。

「……このまま半日、倉庫にいれば俺もゾンビの仲間入り、か」

壁に背を付けて座り込み、そのことに思いを馳せていると、1つだけ後悔が浮かんできた。

「あーあー、こんなに早く死ぬことになるなら、禁煙なんてしなければよかったなぁ」

他の誰かが聞いていれば、こんな状況で何を言ってるんだと正気を疑われるかもしれない。
だけど俺にとっては、このことに対しての後悔の度合いはちょっとばかり大きい。
俺はいわゆる愛煙家というやつだった。
20歳になってから吸い始めたから、かれこれ15年くらいか。
ヘビースモーカーと呼ばれるほど吸っていたわけではないが、ライトスモーカーよりは多く吸っていたかもしれない。
ミドルスモーカーと呼ばれる部類だろうか。
そんな俺がなぜ禁煙なんて始めたかというと、両親の死が切っ掛けだ。
しばらく前の事、それこそまだゾンビが世界に蔓延るより前の事だ。
俺の両親は旅行先で事故にあって死んだ。
大型ダンプの運転手が居眠りをしていたらしく、ダンプは歩道に突っ込み壁に激突した。
そこにうちの両親が居合わせたというわけだ。

両親は度々言っていた。
タバコは体に毒だ、長生きできなくなるから早く止めろと。
うちは両親とも、そしてその祖父母もタバコは吸わない家系だった。
だからか喫煙に対してはかなり厳しく、1人暮らしをしていた俺の家によく来ては口うるさく説教をしていった。
だけどタバコは俺の数少ない楽しみの1つで止める気など毛頭なく、毎度適当に相槌を打ってはぐらかしていた。
そのことに両親は怒りはしても決して諦めることなく、長年俺にタバコを止めるように言い続けた。
あの事故が起きた旅行の1週間前にも、両親はうちに来た。
目的としては俺も旅行に連れて行って、少しでもタバコから気持ちを遠ざけさせようとしたそうだが……それを結婚記念日の旅行でするのは、如何なものだろうか?
旅行自体は行くことに否はなかったが、流石に結婚記念日に同行するのは憚られ、別の日になら付き合うからと押しの強い両親を何とかやり過ごした。
あの日、もし俺も一緒に行ってたら、何か変わっていたのだろうか。
そんな考えが、たまに頭を過ぎるようになった。

両親が死んで暫くしたある日のことだ。
喪失感からなにもやる気が起きなくて、いつものようにタバコを吸おうと手に取った時、ふと両親の最期の言葉を思い出した。
両親が俺に残した最期の言葉、それは「次来るまでに、タバコは止めてなさい!」だ。
毎度毎度、帰り際に言うお馴染みの言葉で、もはや耳にタコができるくらい聞かされた言葉。
だけど、これは両親が俺に残した遺言だ。
実家の荷物を整理していて手紙らしきものも残されていなかった以上、この最期に俺に言った言葉こそ両親が俺に残した遺言なのだ。
その内容が禁煙を促す事というのは、些かどうかと思うけど。
ともかくいつもの説教とは違い、遺言ともなると俺も思う所があり、長いこと悩んだ末にその日から俺の禁煙生活がスタートすることとなった。
ミドルスモーカーとはいえ15年近く吸っていると急に止めるのもしんどいもので、何度も禁煙なんて止めてしまいたいと思ったものだ。
だけど俺は頑張った。
頑張って数カ月経った今の今まで、俺はタバコは1本も口にしていない。
我ながらよくここまで律儀にも、両親の言葉を守ってタバコを我慢してきたなと思う。
だけど。

「親父やお袋が残した最期の言葉。だからこそ始めた禁煙だったけど、死ぬ間際となるとやっぱり吸いたくなっちまうなぁ」

自分の死を自覚してしまったせいか、今になってそれが大きな心残りになっていた。

「このまま半日、ここにいれば多分安全だろうけど……でも、どうせ死ぬなら……」

耳をすませば、外からはまだゾンビの声が聞こえる。
まだ生きている人がいるのか、人の声も聞こえてくる。
その声に引き寄せられるだろうから、ここにいればゾンビに食い殺されることはないはずだ。
だけど……。

「……」

タバコ、安全、タバコ、安全……。
頭の中で繰り返される葛藤。

「……~~~ッ! あぁ~! やっぱり、最期に1本吸いてぇ!」

だが最後の最後で、天秤は傾いた。
ゾンビに食われるかもしれないという恐怖はある、だけど最期に1本でもいいからタバコを吸いたい。
俺の中でタバコへの欲求が、恐怖心を上回った瞬間だった。
そうと決まれば時間がない。

「どっせぃ!」

俺は勢いよく立ち上がり、扉を開け放つ。
扉の前にも何体かのゾンビがいたが、そんなのに構ってはいられない。

「退けやおらぁ!!!」

鉄パイプを振り回し、強引に突破する。
進路上にゾンビに覆いかぶさられて、今にも噛まれそうになってる人がいた。

「……邪魔ッ!」

走る勢いのままゾンビを蹴り飛ばし、そのままダッシュ。
覆いかぶさられていた人は放置だ。

「え? あ、ちょ、あんた!」

後ろから声が聞こえてくる。
無視。
俺の頭の中は今、タバコを吸いたいという思いだけで一杯だ。
他の事にかまけている余裕はないのだ。
だというのに面倒臭いことに、進路上には何体ものゾンビがいる。
俺の目的を邪魔するそいつらにむしゃくしゃしながら、怒りをぶつけるように鉄パイプでゾンビを叩きのめしながら進む。

「退きやがれ、腐れゾンビどもが!」

俺はタバコが吸いたいんだ!
体育館の入口。
ゾンビが多く屯し、さっきまでの俺なら足が竦んでしまうだろうそこすらも。

「おうりゃああああああああああ!!!」

力いっぱい鉄パイプを振り回す。
遠心力を利用して威力を増した鉄パイプで、ゾンビの群れを吹き飛ばしながら更に進んでいく。

「おぉぉぉぉ! タバコぉぉぉぉお!!!」

タバコへの執念が俺に力をくれる。
どうせ死ぬんだ、今更噛まれるくらいなんだと、半ばヤケクソ気味にゾンビを蹴散らしていく。
そして、とうとうゾンビの群れを突破した。

「うおぉぉぉ!!!」

空は薄明るくなっている。
もうすぐ夜明けのようだ。
明るくなりつつある空の下、俺は駆け続ける。
最期に1本でもいいからタバコを吸うために。


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