使い込まれた麦わら帽子

ネメシス

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使い込まれた麦わら帽子

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うちは代々、小麦畑を営む家系だ。
農作業をしている時、父はいつも麦わら帽子をかぶっている。
それはずいぶん使い込まれているようで、汗や土埃で汚れ、所々虫食いのようにボロボロで、つば先の藁がほつれてピンと跳ねている。
正直言って、かっこ悪い。
周りから貧乏なんじゃないかと馬鹿にされるから、何度も新しいのを買えと言っているのだが。

「言いたい奴には言わせておけ」

そう言って聞きやしない。
母に何とかならないか相談しても、「好きにさせてあげなさい」とため息混じりに言っていた。
母も母で、すでに何度も文句は言ったことはあるのだろう。
筋金入りというのは、まさに父のような人をいうのだろうな。
ある日、父は酒を飲みながら、酔った勢いで変なことを口走っていた。

「いいか、物は大切に扱うんだぞ。大切に長く使い続けていれば、その物には付喪神が宿って持ち主に幸運を運んでくれるんだ」

そして父は、あの麦わら帽子のことについても話してくれた。
農作業の時にいつも被っているあの麦わら帽子は、父の父のそのまた父の代から使い続けてきたものだと。
あの麦わら帽子は我が家で作った小麦で作られたものなんだと、どこか誇らしそうにしていた。
子供心に、馬鹿みたいだと思った。
付喪神だなんて、そんなの今時、自分よりも年下の子供だって信じやしないだろうと。
そんなことを考えていた俺を他所に、父はそのまま話し続ける。

「俺が齢をとって動けなくなったら、今度はお前が受け継ぐんだ。うちの畑と一緒に、あの麦わら帽子をな」

それを聞かされて、うげぇと顔を顰めたのを父は気づかなかったようだ。
どうせあと十年以上は使い続けるのだろうし、そのうちさらにボロボロになっていくはずだ。
畑はともかく、そんな麦わら帽子をかぶるなんて冗談じゃない。
俺は絶対に新しい帽子を買おうと、その話を聞いた時に心に決めた。





しかし、その日は思いのほか早くやってきた。
父が急性の心不全で他界してしまったのだ。

畑仕事をしている最中、急に苦しそうにして麦の中に倒れ込んでしまった。
それを最初に見つけたのは俺だった。
急いで病院に連絡をして、父はすぐさま救急車で運ばれたものの、病院についてすぐに息を引き取ったそうだ。
まだ40を少し過ぎたあたりで、まだまだ働き盛りな齢での唐突な死。
父が今朝まで元気に笑っていたのを俺は覚えている。
だからそんな父が死んだなんて全然信じられなくて、亡くなった父のベッドのそばで呆然と立ち尽くしていた。





「……やっぱり、付喪神なんていないじゃないか」

父の葬儀の日。
棺に入れられる父を見ながら、俺はそう呟いていた。
俺達に幸運を授けてくれる付喪神がいるのなら、なぜ父をこんなに早く死なせたんだ。
全く信じていない俺とは違い、父はきっとそのことを信じていたはずだ。
でなければあんなボロボロの麦わら帽子なんて、いつまでも被ってるはずがない。

「……じいちゃんの馬鹿野郎。父さんに変な事教えやがって」

父に付喪神なんて話をしただろう、俺が物心つく前に死んでしまった祖父に、届くかはわからない恨みを投げつけた。





父の葬儀がつつがなく終わってしばらくし、父の部屋を片付けていた時のこと。
机の中から、一通の封筒が見つかった。

“遺書”

そう封筒に書かれていた。
内容は自分の持つ遺産の分配、残される家族への心配、畑の事、困った時は知り合いや親戚を頼るようにということ。
そして、あの麦わら帽子のことも。
まったく、遺書にまで書くなんて、本当に筋金入りの信奉者だ。

遺書を呼んだあと、俺は納屋へ向かう。
父の使っていた農具を整備するためだ。
納屋の中ではいくつもの農具が乱雑に置かれていた。
あの日、父が倒れてから色々バタバタしていて、今日まで片付ける余裕もなかったから仕方ない。
いろいろ忙しくて後回しになっていたけど、今のうちにちゃんと整備しておかないと。
畑と同じく、この農具も息子の俺が引き継ぐんだから。

その時、壁のフックにひっかけてあった、あの憎たらしい麦わら帽子が目についた。
手に取ると、相変わらずちくちくして肌触りが最悪だった。
古ぼけて色も変色し、所々穴が開いている。
本当に使い込まれた、ボロボロの麦わら帽子だ。
よくこんなものを、父はあそこまで大切に使い続けてきたものだ。

「……っ」

なんとなしに麦わら帽子を頭にかぶる。
その瞬間、俺の中に父との思い出が溢れてきた。

「……あぁ、そうか。そういことだったんだ」

この時、俺は思い至った。
きっと、父も付喪神なんて信じてはいなかったのではないかと。
祖父からそんな話を聞いただけで、本当はそんなのどうでもよかったんじゃないかと。

この麦わら帽子は、俺にとって父との思い出だったんだ。
農作業以外でも、父はよくこれを被っていた。
他所へ出かける時も、散歩に行く時も、釣りへ連れて行ってくれた時も。
父はいつだって、この麦わら帽子をかぶっていた。

父にとっても同じだったんだ。
父にとって、これは祖父との思い出。
どんなことがあったのかは聞いたことないからわからないけど、きっと俺と同じく沢山の思い出があるんだろう。
そして祖父にとっては、曾祖父との思い出が。
そうやって代々、色々な思い出が詰め込まれてきたのが、このボロボロになるまで使い込まれた麦わら帽子。
だから捨てることも、新しいのに変えることも出来なかったんだ。

仕方ない。
本当はこんな麦わら帽子なんて捨てて、新しいかっこいい帽子でも買おうと思っていた。
だけど、それに気付いてしまったらもう仕方ない。

「……俺も被ってやるよ、この麦わら帽子を……だけど、補修は必要だよな。ちくちくして痛ってぇよ」

そして今度はいつか、俺の子供へ受け継いでいくのだろう。
俺と子供との、新しい思い出と一緒に。
この使い込まれた麦わら帽子を。

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