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別録・芹沢鴨という男の話(お寅)
しおりを挟む芹沢鴨という方がいました。
粗雑で横暴。
意に沿わないと怒鳴り散らす。
人を傷つけることに躊躇いはない。
色々な客を相手してきたお姐さん方も、腫れ物を触るように、慎重にお相手をしていました。
しかし、私は恐ろしいと思ったことはありませんでした。
ある時、芹沢さんは私を無理矢理に座敷から連れ出したことがありました。
「あの!なぜ私を?」
「あの客は蛙みたいで気持ち悪い。俺は蛙が嫌いなんだ。お前は好きだったのか?」
蛙。
その的確な表現につい思わず笑ってしまうと、芹沢さんの機嫌は良くなったようでした。
「お前、脱げ。相手してやろう」
「私は芸妓。私が売るのは芸だけです」
普段から思ってはいても口に出すことはなかった、私の信条。
何故か口をついて出てしました。
でも芹沢さんは怒りませんでした。
「もういい。酒を持ってこい」
その日から、芹沢さんは気が向くと私を指名するようになりました。
酒が入って気分が良くなると、私に「脱げ」と戯れを言います。
私は「嫌だ」と言って芸を披露します。
芹沢さんはいつだって「下手だ。つまらない」と褒めてはくれませんでしたが、最後まで芸をみて帰っていきました。
気まぐれに、私にも酒を呑ませることがありました。
そんな時は私が先に酔っ払い、日頃の愚痴をこぼしてしまうのですが、芹沢さんはただただ面白そうに聞いました。
お酒が入ると別人のようになる人はたくさんいました。
でも芹沢さんは、いつだって乱暴で自分勝手なお方。
裏も表もありはしない。
駆け引きが下手な私には、そんな真っ直ぐなところが合っていたのかもしれません。
それは突然でした。
いつものように「脱げ」「嫌だ」とお相手をした翌日のこと。
芹沢さんは仲間を連れて現れて、昨日の詫びをしろと私の髪を切り落としたのです。
『髪は女の命』
切られた時は思わず涙が溢れましたが、恐ろしさや悲しさよりも、不思議で仕方なかったことを覚えています。
芹沢さんは刀を握ったまま、何も言ってはくれませんでした。
その直後、店の主人から「もう芸妓は続けられぬ」と、年季があける前に店を出されました。
私は真っ直ぐ実家に戻る気になれず、近くの河原にただ座り込んでいました。
すっかり軽くなった頭。
お店のお姐さん達は可哀想にと泣いてくれましたが、改めて川に映る自分を眺めても、嘆く理由は見つかりませんでした。
川面に移るのは、平凡なの町娘だけでした。
「お寅!」
「…吉次さん」
私を迎えにきたのは幼馴染の吉次さんでした。
どこかで私の話を聞いて探していたそうです。
顔を合わせた途端に抱きしめられました。
「綺麗な髪だったのに。武士なんて関わるものじゃない。もう、大丈夫だ。うちにおいで」
「私でいいの?」
「お前がいい。もっと早く言えばよかった」
私は、ずっと好きだった吉次さんのお嫁さんになりました。
あの日。
芹沢さんに髪を切り落とされなければ、私は蛙に似た男の元へいく事になっていました。
『芸妓は芸を売る』
芹沢さんによく言って台詞ですが、蛙男には通じませんでした。
結局身を売らなければ生きてはいけない。
私がいたのはそういう世界。
少しだけ、足掻いていただけです。
少しだけ、覚悟が足りなかっただけです。
芹沢さんは、そのことを知っていたのでしょうか。
もし、私が酔った勢いで話していたのだとしたら。
あの人はきっと…。
風の噂で、芹沢さんが亡くなったと聞きました。
私は何もしませんでした。
花を手向けることも、手を合わせることも。
芹沢さんはそんなこと望まないでしょう。
だから、私は優しい夫と商売をしながら穏やかに暮らしています。
幸せな日々です。
でも、もしも。
私が天寿を全うして、あの世で芹沢さんに逢う日がきたのなら。
「下手だ」と言われ続けた三味線を、また聞かせたい。
戯れを言い合いながら酒を呑み交わしたい。
そんなことを考えてしまう私は、馬鹿な女なのでしょうか。
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