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人生1度は啖呵を切ってみたい!…ごめんなさい。タイミング間違いました。

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「ほんと使えねーなあ。お茶もまともに出せないのか?」
…ほほう。
「もう少し女らしくしてれば可愛げもあるのになぁ」
…ふぅん。
「その生意気な目。俺にそういう態度とっていいと思ってんの?」
…へぇ。
「お前なんて、いつ辞めてもらってもいいんだよ?」
!きた!

「わかりました。では今辞めます!」

 おお!
 自分でも驚くくらい、久しぶりに心からの笑顔がでた!
 自然とお辞儀もして「ありがとうございました」と伝える。
 もちろん「辞めてもいい」と言ってくれたことに対してだ。
 虚をつかれて黙ってしまった上司と聞き耳を立てている同僚たちへ、私は「社員証等は後日郵送します」とだけ言い残して、上着と鞄を掴んで部屋を飛び出した。
 社員証がIDとなってるので、これがないと建物を出れない。これさえなければ、郵送の手間も省けたのにな。


 よくやったぞ!私!


 これは衝動ではない。計画的犯行だ。
 そうでなければ、流石に飛び出すことはできない。
 大嫌いな職場でも、手帳とか膝掛けとか私物は置いているものだ。それらを少しずつ持ち帰り、今あるのは会社の支給品のみ。引き継ぎ書も引き出しに入ってるし、仕事も区切りをつけてある。ボーナスは先月もらった。
 辞めるにはあらかじめ申告が必要だが、人事の了承がある場合は除くと規定にかいてある。で、今の寸劇になるのだが。
 人事部長は「今すぐ辞めても構わない」といった。
 みんな聞いていたし、もちろんスーツのポケットには録音機。
 もう一度いうが、これは計画的犯行だ。



『よくやった!』
「でしょ?なっちゃんにも見せたかったなぁ」
『あとで再現してもらうからね』
「うん。週末の飲み会楽しみにしてる!」
『しばらくは就職しないんでしょ?』
「貯金もあるし、旅行もしたいな」
『いいねえ。大人の夏休み!そこんとこも、じっくり話聞かせてね!』
「うん。じゃまた電話するね!」
 親友に報告してほっと一息。
 今日は一日ショッピングをしてしまった。
 働いてるはずの時間に買い物をするのはそれだけでテンションが上がる。
 職場の電話も無視だ。今日は自由を満喫するって決めたから。
 できれば最後は美味しい酒でしめたい。素敵なバーも憧れるけど、歩き疲れたので家飲みにしよう。
「自由って最高」
 思わず口をついてでた。
 周りに誰もいないからセーフだ。
 浮かれてる。でも今日は許されるはずだ!そう!
「今ならなんでもできる気がするわ!」
「世界を救ったりとか?」
「やってやろうじゃない!」
「よろしくお願いしますね」

「え?」

 だれ?と言ったつもりなのに、言葉は音にならなかった。
 私は真っ平らなアスファルトから、奈落へと真っ逆さまに落ちていた。




 おちてるおちてるおちてるおちてる。
 叫びたいけど怖すぎて言葉にならない。 
 息ができない。吸えばいい?吐けばいい?
 なになに?生きてるの私?

「まだ死んでは困りますよ」
 正面から声が聞こえて、同時に手を掴まれた。
「ほら、ちゃんと立って。その足は飾りですか?」
「失礼な!ってあれ?立てる。いま落ちてなかった?」
「あなたにとっては落ちた気がするのですね。前の人は空を飛んでたと言ってましたよ」
 なんの話ですか。コスプレイヤーさん。
「コスプレじゃありません。これが通常スタイルです」
「うわっ心の声よんできた。こわっ」
 やけにキラキラした成人男性(推定30歳)は、私の手を離すと自分のサラサラヘアをかきあげた。
「すみません。万能なもので心が読めるのです。でもこの顔は嫌いじゃないないのでしょう」
「目の保養とか思ってるのもバレてるのか」
 ふーん…
「…言葉にできないような事を考えないでください」
 顔が赤い。可愛いな。
 こういうとき、つい変なことを考えてしまうのが私の残念なところだ。まあ、イケメンがいたら色々妄想してみるのは普通だよね。
「万能な自分をこんなにも残念だと思ったのは初めてです」
 まだまだ、あーんなことや。こーんなことや。いやん。
「ごめんなさい。やめてください」
 腐女子歴長いから、始まると止まらないんだよね。
「泣いていいですか」
 ていうか、もう泣いてる?


「…神様という表現は近いですね。あなたの世界の神ではありませんが」
「異世界きたー」
 なんとなくガッツポーズする。意味はない。
「順応力素晴らしいですね。間違いなかったかな」
「なにが」
「世界救ってください」
「やだ」
「仕事辞めて暇なのでしょ」
 また心読んできた。ずるい。
「旅をしようと思ってたのでしょう」
 確かに異世界は最高の観光になると思うけど。
「スペックの高い独身男性紹介しますよ」
 すげぇ。いいツボついてくるな、神様。
「1番心配されている点ですが、死ぬようなことはありません。チート能力は特典でおつけします」
「やってやろうじゃない!」
 若干詐欺っぽいけど、ラノベ体験版だと思えばいい暇つぶしだ。
「あなたの図太さに感動しますよ」
 繊細なら啖呵切りませんて。


「では、いってらっしゃい」
「いや、設定とか説明必要でしょ」
「体験版なので、体験しながらの方が楽しめるのでは?」
 おい神。簡単に言ってくれるな。
「ラノベはあらすじ読んで買う派なの。ジャケ買い派じゃないの」
「あらすじですか。そうですねぇ。『これからいく世界は、とある国の勇者御一行によって危機に陥ってるので、魔王と共に世界を救ってください』」
 はぁ?
「良き魔王なので大丈夫ですよ!」
 色々ツッコミたいけど、とりあえず確認な。
「魔王は独身イケメン?」
「愛妻家の子持ちです」
「帰らせてください!」
「だめです。さ、いってらっしゃい!」
 神は私を、とんっと指先で押した。
 それだけなのに、バランスが保てなくなった私はまた奈落(?)に落下した。

 やっちまったー!!!!
 既婚者魔王と勇者を倒すってどんな設定だよ!
 絶対討伐される側じゃんちくしょー!!!!


 人生一度は啖呵切ってみたかった。
 でも、神様の前ではやってはいけない。
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