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レンギョウ

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春と言っても朝の空気は冷たく、時折吹く風も強いので薄着で外を歩くのには心細い頃。
彼、星野澄(ほしの とおる)は一人市立図書館へと向かうため、歩いていた。
家にいると漠然とした希死念慮にかられ何をするか分からない恐怖と不安から少しでも解放される為、逃げ出すように幼い頃から安らぎの場であった図書館に向かうことにしたのだ。
図書館への一本道は一つの段差もなく、きちんと整備されていて、小さな子供が元気よく楽しそうに走り、後ろから母親が名前を呼びながら追いかけて行く。
頭上には、例年よりも早く開花したと世間が騒ぎ立てているソメヨシノが咲いていた。満開ではなかったが疎らに咲いていても美しく、春を代表する風物詩であることは間違いなかった。
その時、強い風が吹き一枚のソメヨシノが澄の目の前を通り過ぎ遠くへ去っていった。その様はまるで、小さな妖精が舞を披露しているようであった。
「忌々しい。」
そう吐き捨て、早足で一本道を抜けた。
図書館への自動ドアをくぐると中には2名のスタッフと返却や借りに来た数人の利用者しかおらず、とても静かな空間が広がっていた。
窓から漏れる温かい陽の光は優しく本を包み込み、利用者達を見守っているようである。
特に読みたい本がある訳ではないので、とりあえず館内を一周してみようと静かに歩き出す。
児童図書、現代小説、趣味に関する本に郷土資料、その他の無数の本が棚に綺麗に並べられている様はやはり、何にも勝る美しさだと澄は幼い頃から感じていた。
無難に現代小説でも読もうとコーナーに向かうと先に同じ歳ぐらいの男が立っていた。男は本を手に取り、裏に書いてあるあらすじを読んでいるようだ。
その横顔には、どこか怯えてる様子が伺えたと同時に懐かしさも感じた。
「光一?」
完全に無意識であった。光一というのは七年前に引っ越して行った幼馴染の子の名だ。引っ越して行った彼がここにいるはずがない。慌てて謝ろうとした時
「澄なのか?」
その瞬間周りの音という音が消え、二人だけの空間が広がった。
光一は本を落とした事にも気が付かず、まるで亡霊でも見ているかのように澄を見ていた。
一方、澄は再会出来たことへの嬉しさと心の奥底にあるドス黒い感情がせめぎ合い、いつの間にか涙ぐんでいた。
二人が幼い頃初めて会った場所で、再会をしたが昔のようにお互いを抱き締め合うことは決して出来ない状況が空白の七年の間で生まれてしまっていたのだ。
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