交の鳥(こうのとり)

夏目真生夜

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第十一章 秀吉の書状

秀吉の書状

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憑き物――、はからずも秀勝がそう言った魔物は、確かにまだ多田羅の運命にとり憑いていた。
七月になると、変事が起きた。
大阪城の鶴松が再び病を得て、危篤に陥ったのである。
「もう一度、根尾の鶴を献上せよ」という秀吉の書状を携え、使者としてやってきたのは斑目であった。
今や斑目は秀吉の甥、豊臣秀次の歴とした次官である。
恭しく書状を差し出す斑目の身ごなしは洗練され、半年前よりぐっと落ち着いたものになっている。
(なるほど、立身出世。主が変われば男はこのように変わるのか)と、多田羅は素直に斑目の変貌を喜んだ。
それが斑目の差し出した書状を広げて一変した。
「なんだ、これは!」
秀吉の呪詛ではないかと、多田羅は思った。
 秀吉の書状は、「ご妻女の妙殿はご息災であるか?」から始まり、危篤の床にいる鶴松の病状を連綿と書き綴ったあと、このような意味のことが書かれていた。
「……なぜ、同じ鶴の肉を食べ、我が子鶴松には病が再来し、そなたのご妻女は息災なのか。あの時、半分こにしたのが悪かったのであろうか? 永久の命を約定する鶴の御霊(みたま)は、そなたのご妻女が口にした半身に込められていたのであろうか? 
我が子、鶴松の命が絶え、そなたの妻、妙殿が永久の命を永らえるなどということがあってよいのであろうか? 
多田羅よ、鶴を一刻も早う早う、我が鶴松の元へ届けよ!」 

「猿め……」
多田羅はうめくように言い、その場に書状を投げ出すと頭を抱えた。
秀吉は、鶴松が死ねば、妙も殺すと言っている。
鶴を捕えねば、妙を失う。
かといって、世にも稀な鶴が再びこの根尾で捕れるのか。
秀吉は間違っている、天下人の身分に驕る、老人のたわごとではないか、と言ってみたところで、通じるはずもないのは先の大阪城でのことで骨身に沁みている。
いやだ、俺はもう妙を失いたくはない!
絶望にその場につっぷせて、どんどんどんと頭を畳に打ちつける多田羅に向かって、斑目が言った。
「某(それがし)も手伝いますゆえ、鶴を捕える、その方策を考えましょう」


翌日から、多田羅は田に入って、竹笊で水を掻くようになった。一心不乱のその姿は鬼気迫るものがある。
妙も斑目も同じように田に入り、水を掻いている。
その様子を百姓どもが(女狂いの大童様がまた何か奇行を始めたようだ)と遠巻きに見ている。
鶴を捕るために多田羅が考えた方法は、鶴の好物を撒き餌にすることであった。
前回、鶴の世話をしていた斑目に
「鶴は何を食べるのだ」
と尋ねたが、さあ、と首をかしげるばかりである。
冬だったため、虫や蛇などの生餌がほとんど捕れず、斑目は出汁をとったあとの小鳥の肉汁に葛でとろみをつけたものを鶴に与えていた。
斑目は言った。
「こう、肉片を小さくしまして、汁と肉の入った椀に縄をつけ、遠くからそれをひっぱって揺すってやると、鶴は喜んで食べたようでしたな。喉が細いからか、とろみをつけぬとうまく飲み込めないようで」
また同じような餌を作るのかと斑目が尋ねると、ふむと、多田羅は頷くと言った。
「明日より田に入って、オタマを捕ろう」
多田羅は、田で鶴を見たことはないが、鳥の足跡を田泥の中に見たことがあった。
おそらく鶴もオタマジャクシを食べるだろうと考えたのである。
田で大量のオタマを捕って、それを前回鶴を捕えた山の沢に近いあたりに、人工池を作って泳がす。そのまわりには縄罠を張り巡らそうと多田羅は決めた。
その方法なら一日、人が付ききりで餌の椀を揺らし続ける手間もない。それに幾つでも罠を仕掛けることができる。
山育ちで自然の知恵に長けた多田羅らしい思いつきだと、斑目はこの元主を改めて感嘆の目で見つめた。
若は本当に、この根尾の山奥で一生を終えて、それでいいのかと思いもした。
斑目の思いにはまるで気づかず、多田羅は妙の頭に手をやって、嬉しそうに言った。
「この方法なら、妙と存分に共に過ごせる」


多田羅の編み出した、鶴の捕獲方法は決して間違ってはいない。
この当時、鶴と呼ばれていた鳥は、今でいうところのコウノトリであり、この水鳥はオタマジャクシやドジョウ、カエル、魚を丸のみにする習性がある。
周りに人けがなく、オタマジャクシのびっしり詰まった人工池は、鶴には格好の餌場になる。
そうはいっても狩りというのは、どこまでも時の運だ。幾日も幾日も、鶴を捕まえられない日々が続いた。
焦りが募る中、多田羅は斑目に頻繁に話しかけるようになった。
どうしても鶴が捕えられなかった時は、斑目の今の主である秀次にとりなしを頼んでもらいたいという肚がある。自然、秀次のことばかり尋ねる。
「秀次公は、どんなお方だ?」
斑目は少し困ったような顔をした。
聞かせろ、と多田羅はせかした。
「和歌や茶を能(よ)くすると聞いている」
「齢は二十三歳でござる。和歌や茶、刀剣などにもお詳しいお方です。そうですな、若に少し似ておられますな」
 そうか、俺に似ているのかと、多田羅は無邪気に笑った。
 斑目は、そっと額の汗を拭った。
 まさか女狂いなところが似ているとは、とても言えない。
 秀次は豊臣政権を支える器量がないだけでなく、一種の狂人であった。和歌、茶の湯、刀剣、どれも豊臣の金蔵と彼の直情的な感性とが結びついての名声である。叔父秀吉の威光を嵩に、金にあかせて評判の茶器や刀を手に入れ、天下に名だたる和歌詠みやお茶道に教えを受けている。名声がつかないわけがない。
 それは女を手に入れることに対しても、まるで同じで、これと思う娘がいると権力でもって容赦なくものにした。美しいと評判の者がいると、家臣の妻女でも構わずこれを犯し、自分の側室にした。
また、菊亭晴季の娘で、奏(かなえ)という女を正室扱いにして、一の台と呼んでいたが、彼女には八歳になる幾(いく)という連れ子の姫がいた。秀次はこれも犯し、奏ともども側室にした。奏と幾を共に床に呼び、嬌態を強いるのが何より楽しいと、はばかりなく口にするような男であった。この時代、近親相姦、母子合わせての姦通は、犬畜生にも悖る行為とされている。次の天下人という驕りがなければ、常人ではとてもできない真似である。
秀次には、前年に嫡子となる男児、仙千代丸が生まれていたが、このような男が人の親だと思うと、斑目はその顔に唾棄したい思いに駆られた。
そして、この主が、天下人、秀吉の数少ない係累だと思うと、暗鬱たる気にもなるのであった。
いったんこれと思うと、童女でも構わず側室にする女狂いの性情は、確かに多田羅とよく似ている。
けれど、秀次に仕えてからというもの、多田羅の方がずっと心映えがよく、度量と才覚のあるお方だと思うようになっていた。


班目が根尾に来て、一月(ひとつき)近くがたったが、いっこうに鶴が捕れず、多田羅は焦燥を募らせていた。毎日、昼は田に入り、めったやたらに水を掻き、生餌のオタマジャクシをすくっている。
夜は、床の中で妙をやみくもに抱きしめ、その体に溺れた。
八月になったその夜、ぷつんと心の糸が切れたのか、多田羅は凄みを帯びた目で、妙を見つめて呟いた。
「俺は絶対に、鶴を捕まえる。その肉を秀吉に献上して、鶴松の命を救う。秀吉に、お前を絶対に殺させぬ!! だから、妙、何も心配するな」
怯えているのは、むしろ多田羅の方だった。
「こうして礼様がそばにいれば、何も怖くはありません」
妙はそう言って自分と多田羅の掌を合わせ、その匂いを嗅いだ。
「礼様と同じ匂い」
二人の掌からは田泥とオタマジャクシの生な匂いが、強くした。
「毎日、礼様とオタマをとるのは、楽しゅうございます」
青々とした田と根尾谷を渡る清やかな風の感触を思い出したのか、妙は心の底から幸せそうな顔でそう言って、多田羅の硬い髪を両手で包んだ。


その翌日から多田羅は、(いっそ明智に連なる妙の血筋を明らかにし、もしもの時には明智光秀の娘、ガラシャを妻にしている細川忠興に、秀吉へのとりなしを頼むか)、と思案し始めた。
もっとも岐阜の一豪族に過ぎない多田羅は名家、細川家と縁などない。結局、斑目から主の秀次に、細川家へのとりなしを頼んでもらうより法はないのだが。
そんな風に焦る多田羅に、斑目は慰めるようにこう言った。
「関白殿下は、全国諸国に鶴を献上せよとの書状を出しております。ここで捕れずとも、どこか他の地より鶴が献上されるやもしれませぬ」
「鶴が大阪城に献上されたとして、その鶴は鶴松の命を救うのか?」
 多田羅のまっすぐな問いかけに、斑目は言葉に詰まって目を伏せた。
偶然にもその日、班目が大阪城に詰めている同輩から受け取った書状には
「鶴松様の容態、いよいよ悪し。そこもとも火急、大阪に戻られよ」
と書かれていたからである。


しかし、その翌日の八月二日、ついに鶴が罠にかかった。
 多田羅は奇跡だと小躍りして、鶴を生け捕り、その日のうちに斑目とともに大阪城に向かった。
 屋敷を発つ前、妙が多田羅にすがりついた。
「また一緒に大阪城に行きたい」
「必ず戻る」
多田羅は約束して周りの目もはばからず、妙の体をきつく抱き、唇を吸った。
 馬に乗り、昼夜を問わず駆けに駆け、鶴とともに多田羅と斑目が大阪城に着いたのは、八月五日の夕刻のことだった。

 がらんとした大阪城の空虚な空気とどこかからか漏れ聞こえてくるすすり泣きに、多田羅は、鶴が間に合わなかったことを知った。
その日の昼、山城にある淀城で鶴松の命は尽き果てた。
 鶴松の死は、秀吉が東福寺で高僧とともに祈祷をしていた真最中のことだったという。
 案内役の侍女から改めて鶴松の死を聞かされた瞬間、突然、斑目が、がくりと足を折り、その場に崩れ落ちた。
「どうした!」
驚いた多田羅がその腕をつかんで支えると、あい、すみませぬと斑目が頭を振った。
 鶴松の死。
それは秀次が、秀吉の天下の跡を継ぐ者になることを意味していた。
自身の主、秀次がさらに手にする圧倒的な権力に、斑目は改めて怯えた。そして狂った童のような秀次に仕え、支えていくという自分の行く末に武者震いした。
「私は秀次様の元に行かねばなりませぬ」
班目はそう言い、多田羅を大阪城の一室に残して去った。
 あとに残された多田羅は、呆として、俺はいったい、どうなるのだろうと呟いた。
その時、ちょうど薄茶を運んできた侍女が、自分に問われたものと誤解して答えた。
「『しばらく大阪城にいよ』と淀の方様のお達しでございます」
「淀の方様?」 
無邪気に問い返した多田羅の男ぶりが意外なほどによく、侍女は頬を赤らめて、そそくさと茶を置き、部屋を出て行った。
なぜ淀の名前がここで出てきたのかわからないまま、多田羅は頭を鎮めるために茶を飲んだ。














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