身勝手な恋心

日暮 千疾

文字の大きさ
上 下
4 / 5

罪と喜ぶ浅ましい私

しおりを挟む

 胃液でひりつく喉が緊張から乾く。身体が勝手に少しでも潤そうと飲み込んだ唾が鋭い痛みを起こすがそれに気付く余裕もないほど張り詰めたマルガは女将さんの瞳から目が離せなかった。
 女将さんが口が動くのが、その口が何か言葉を紡ぐのが、ただただ恐ろしい。

「マルガ、一度きちんと治癒術師に診てもらおうか」

 優しい声が労りを口にする。それはありふれた言葉のはずなのに、マルガは今すぐに逃げ出したい衝動に駆られた。
 女将さんは自分を凝視したまま固まり、何の返事もしないマルガを不快に思うどころか益々慈愛の籠った眼差しを返すと、今度は諭す様に声をかける。

「過去なんてどうでもいいのさ。これからのマルガの事を考える為にちゃんと診てもらおう?」

 それは決定的な一言だった。

 その一言は張り詰めていた糸を容易く断ち切り、マルガは足から力が抜けるとその場に膝から崩れ落ちた。
 咄嗟に女将さんが受け止めてくれたのが霞がかった意識でもわかったが、すぐに暗闇に飲まれた。




 目が覚めると、知らない部屋の寝台に横になっていた。
 意識を失ったことを理解していたマルガはここが治癒所だろうと考えるられるほど、不思議な事に心が落ち着いていた。
 まるで凪いだ湖面のような穏やかな心の今、自身に起きた原因を正確に把握できていた。
 それより原因の正体を知ったなら、もっと自分は取り乱すと思っていたので今の穏やかな心境にマルガ自身驚いていた。
 
 子供が出来たのだろう。

 落ち着いている今なら少し考えれば分かる事だ。
 新しい環境に馴染む為、いや、夢描いていたそのままの生活が送れて浮かれていて全く気が付かなかったのだ。月の物がきていない事に。

 子供。私の赤ちゃん。

 口が裂けてもベーネとの子とは言えない。言える訳がない。友人のベーネは女性でなければいけない。
 それでも嬉しいと思ってしまうとは何と罪深いのだろうか。

 私の子だ。

 一度失った家族、それがまた持てる。
 ああ、自分はなんて自分勝手で浅ましい女なんだろう。これがベーネとの子でなくても喜んだと、腹に子を宿している今でこそマルガは確信できた。
 純粋に命が宿った事を喜ぶだけではない昏さを含んだ複雑な、それでいて泣き顔にもみえる笑顔をしたマルガは、ただ優しく手で腹を擦った。

 そこに遠慮がちなノックが部屋に響く。マルガは返事はせずにただ開いていく扉に視線を向けていた。
 
 その目には覚悟が決まっていた。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

愛のゆくえ【完結】

春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした ですが、告白した私にあなたは言いました 「妹にしか思えない」 私は幼馴染みと婚約しました それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか? ☆12時30分より1時間更新 (6月1日0時30分 完結) こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね? ……違う? とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。 他社でも公開

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

三度目の嘘つき

豆狸
恋愛
「……本当に良かったのかい、エカテリナ。こんな嘘をついて……」 「……いいのよ。私に新しい相手が出来れば、周囲も殿下と男爵令嬢の仲を認めずにはいられなくなるわ」 なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

処理中です...