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終編

ただいま

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 王城に向かう時も重かった足取りは絶対的な安全地帯であるホームへの帰路を辿っていても重く、いや、余計ずしりと重量が増えていた。
 控えめでいてそれでも隠す事もしない物言いたげなバーバラの視線を横から浴びようが無視し、もう逃げる幸せも底をついただろう溜息を吐き出す。そんな私とは対照的に鼻歌をはじめそうなくらいご機嫌なマチルダがほんの少し先を歩くものだから嫌でも視界に入り、吐き出す息が余計増えた。

 くそう、楽しそうだな。

 心中で苦々しい気持ちのまま悪態をつくが、マチルダが何故こうも上機嫌なのか分からなかった。


 結果的に、私が出した要求は全て受け入れられた。
 お互い即席での決断だったのであおいちゃんの配属後の勤務……になるのか? それと生活形態など詳しく詰めるのは日を改める事になったが、言霊を用いて確約を結んだので反故にされることはないだろう。まあもし破られたらあおいちゃんを連れてこんな国から出ていくだけだ。

 結局、許して受け入れた私は甘いと思われたのだろうか? 
 でも相手は11歳の子供だ。それも親の庇護もない、同郷の子供。彼女がもしかしたらとんでもないクソガキでも、だ。
 救いなのは最初に会った時のアレな電波系発言が一切なくなってた事だろうか。あれはいけない。会話が成立しないのは、いけない。

 そこまで考えて、やっぱりマチルダがこんなに上機嫌になるのかさっぱり分からなかった。やっぱ魔術師の思考回路は謎だ。
 思案していた顔を上げて二年経ってもマチルダの考えは掴めないなあっと本人をぼけっと眺めていると、横に居るバーバラが焦れたのか屈んで顔を寄せてくる。しっかりと目が合う。
 
「ちびさん」
「うーん、ごめん。もう少し待って」

 まだちゃんと考えが纏ってないんだと付け加えながら謝罪と言い訳を伝えれば、バーバラは納得はしてないと合わせた目で不満を強く訴えるも小さく溜息をついて諦めてくれた。ごめんね。

 管理官と廊下で話し合った内容をまだバーバラは知らない。言ってないのだから当たり前だ。
 あの後、廊下での交渉が終わると同時にあおいちゃんとの面会も終了となり、バーバラは直ぐに微笑だけで問うて来たが私が口ごもっているのを見て取り、矛先をマチルダに向けたが返されるのはにっこりと綺麗な作り笑いだけだった。この時ほどマチルダの気遣いが有難いと思った事はないだろう。


 バーバラの気持ちを無下にして余計酷くなっているだろう浮かない表情のまま、やっと帰ってきたホームの両開きの玄関扉を開けようとして手を伸ばせば、掴む前に勢いよく内側から押し開けられた。

「おちびちゃん!!!!」
「キャサリン、危ないですよ」

 安堵を全開にしたキャサリンの明るい声が私の名を叫んでおかえりと伝えてくる。バーバラの小脇に抱えられながら、いつから私の名の意味はおかえりなさいになったんだろう。と、どうでもいい事を考えた。
 玄関扉に激突しそうになった私を咄嗟に引き寄せて回避させてくれたバーバラも流石に危険だと感じ珍しく声を低くしてキャサリンに注意をする。が、当の本人は謝りながらも「だって早く無事な顔が見たかったんだもん」とバツが悪そうに言い訳した。なにこれキャサリンは最高かよ。知ってる。
 ついでに先を歩いて既に扉の前に着いていたマチルダはこの事態が予測できていたのか少し横に離れてニヤニヤとした笑みをして眺めていた。私に扉を開けさせた理由はこれか。うーん、殴りたい!

 マチルダに殺意を向けていれば遠慮なしにキャサリンの顔が近付く。あと数センチで距離がゼロになるほど近い優しい黄金色が私の視界を占領した。
 私は大好きなその瞳に浮かんでいた安堵の色が沈み、困惑と心配が瞳に滲んでくるのをただ慈しむように眺める。

 キャサリンの大きくぽってりとした唇が心配を紡ぐ前に、私は目の前の極太な首に両腕を回し、抱きしめながら「ただいま」と声を発しキャサリンの言葉を封じた。
 一回だけ力を込め、すぐに腕を離し苦笑しながら着替えてくると伝える。それでも物言いたそうなキャサリンを背後に感じてはいたが、敢えて階段に足をかけた。

 自室に入り、閉めたドアに背を預け天井を見上げる。自然と開いた形になった口から溜息になりきれなかった息が漏れた。きつく目を瞑り、自分に言い聞かす。

 もう私は決めたんだ。しっかりしなくちゃ。皆に甘やかされた心をちゃんと固めないと。

 そうじゃなきゃ、きっと貫けない。

 よしっと気合いを入れ、ようやく足元に転がる朝から脱ぎっぱなしになっている部屋着に手を伸ばした。
 
 

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