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終編

勝負に勝って

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 手を伸ばし触れたドアノブを雑にならないようにゆっくりと回し、ドアにかかっていた抵抗が無くなるが慌てずに押し開く。
 目の前に徐々に明るい室内が広がっていき、ドアを大きく開ければ部屋正面に置かれた机の奥に今回の目的であるかわい子ちゃん、小鳥ちゃんが一人座っていた。
 姿が視界に入った瞬間、小さく息を飲んだ小鳥ちゃんと視線が交わる。だがそれも一瞬で、気まずげでどこか怯えが混じった目を伏せる事で視線が外された。

 まいったなあ。

 ここが王城施設でなければ私は真っ先に天を仰いで「おお、神よ」とでも大げさな仕草をしていただろう。それくらい、保護された小鳥ちゃんは頼りなさげな瞳をしているのだ。
 初めて依頼仲介所で言いがかりをつけてきた時の正義と信念は、ホームで言い合った時の自信と利己的な感情は、今では微塵も感じられなかった。

 思った感情を内心で留め、顔には一切出さずに室内に足を踏み入れる。窓から差し込む陽は十分明るいのに六畳ほどのこじんまりとした個室は、まるで刑事テレビに出てくる取り調べ室のような重苦しさを感じた。
 小鳥ちゃんの対面に置かれた椅子は一つ。躊躇することなくその椅子を引き、腰を下ろす。後から続いたマチルダは私の右後ろに、バーバラは最早定位置と化している左後ろに立ったまま控えた。
 ここまで案内してくれた無口な文官が最後に室内に入り、静かにドアが閉まるのを合図にしたかの様に小鳥ちゃんが口を開いた。

「先日はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 ドアが閉じる密かな音から一呼吸後、頭を少し下げながら小鳥ちゃんがまず謝罪を口にした。
 しかし揺れる瞳は私を映さず、声音もどこか不貞腐れたようでいて不本意だと伝わってくる。さっき見た怯えはもう感じられない。

「謝罪の前に一つ。今度こそきちんとお名前をいただけますか?」

 小鳥ちゃん的には勇気を振り絞って吐き出した謝罪を丸っと無視して自己紹介からやり直そうと提案すれば、今度こそちゃんと苛立ちが滲む小鳥ちゃんの瞳に私が映った。

「大空、あおい、です」
「お名前のあおいは平仮名でよろしいですか?」

 そう聞けば怪訝そうな表情を浮かべるが特に返答を渋ることなく「そうだけど」と了承が返ってきた。
 あおい、大空、か。名前を平仮名にすることでどんな色の空模様でも表すことができる。良い名だ。 

「綺麗な名前ですね。確かに貰い受けました。これを以て大空さんの謝罪を受け入れます」
「え?」
 
 どういうこと、と呟きながら困惑を隠さず狼狽える小鳥ちゃん、改め、あおいちゃん。いやあ、やっぱ小鳥は本名じゃなかったかあ。カマかけて大正解。これで安心出来た。
 余所行き用に引き締めていた表情を緩め、今度は性質の悪いにんまりとした笑顔を浮かべて哀れなあおいちゃんに種明しをする。

「んふふふー、迂闊だねえ。言霊師に名前を名乗っちゃうとは駄目だなあ」
「え、なに、それ。こ、とだま、し?」
 
 ん? え、あっ、嘘だろ。これ全く話が進まない展開じゃん。

 あおいちゃんの言霊師なにそれ発言によって私の爽快な種明かしが遠退いた。ドヤ顔して悔しがらせたかったのに。
 額に片手を置き、苛立ちまじりの溜息を溢す。そのまま部屋の隅に控える文官に視線をやり、目だけで何で説明をしてないんだと責めてみるが素知らぬ顔のまま視線を返されただけだった。その態度に内心で盛大に舌打ちをし、今度は言葉に出して「説明しても?」と許可を伺えば文官は平坦な低い声で「どうぞ」と一言返した。

「ちょっとお喋りしようか」 

 さっさと硬い口調をやめ、普段のフランクで馴れ馴れしい口調に戻す。

「あおいちゃんが迷い込んだ時から今に至るまでを聞かせてくれる?」

 続けてそう言葉にすれば、あおいちゃんは迷う素振りをするが自分の情報開示よりこちらが持っている情報の方が必要度が高いと判断したのかポツリと小さな声であおいちゃんに起きた事を話し出した。

「こっちに来た時は、六年の先生達が午後から会議で学校が早く終わった日で」
「待って!? ちょっと待って!?」

 あおいちゃんの話しの腰を折るのは重々承知だが、止めずにはいられなかった。
 案の定、怒りを滲ませた剣の立つ声で「またですか」と溢すあおいちゃんに言い訳のしようもない。でも、言わせてくれ。

「あおいちゃん、小学生なの!?」
「……もうじき12歳です」
「もうじきって事はまだ11歳だよね?」

 それだけ言って私は今度こそ頭を抱える。
 え、私、11歳にあんな大人げない態度取ってたの? 嘘でしょ? 誰か嘘だと言ってよ。

「バーバラ、嘘だと言ってくれ」
「目を逸らさずにきちんと事実を受け入れて下さい」

 バーバラに助けを求めるが素気無く突き放された。知ってた。だっていつもバーバラの真実は一つだもん。
 ついでとばかりに今まで黙っていたマチルダが「11にしては小さくないかい?」との発言に人種の違いを強く認識した。

「いや、日本人的にあおいちゃんは11歳にしては大きい方かと」

 マチルダとバーバラが関心したような驚いたような反応を示す中、当のあおいちゃんは不機嫌な顔で私を睨んでいる。これは私が完全に悪いので「話しの邪魔してごめんね」と素直に謝ればアンジェリカにも負けない勢いで小馬鹿にするように鼻で笑った。悔しい。
 しかもボソッと「私、平均ですから」と足された言葉に私はまた衝撃に襲われた。

 今の子、身長高過ぎじゃね?

 確かにあおいちゃんは私より10㎝以上低い。私は同年代では比較的高い160㎝ちょっと。このままいけば抜かされるな。
 ぶっちゃけ、私はあおいちゃんを中学二年生くらいだと思っていた。こう、思春期特有の超思考というか。私は特別な存在とか空想しちゃうお年頃だし。そうか、小学生か。そう、か。

 口を閉じて目で促せばあおいちゃんはこれ見よがしに溜息を吐いて中断していた話しを再開させた。

 
 友達と遊んだ帰りにあおいちゃんはこの世界に迷い込み、幸運な事に場所は北区の住宅地。一部始終を見ていた老夫婦が保護をしてくれた。ここまでは良い。だけどその老夫婦はどうやら迷い人の保護を届け出ていなかったらしく、今回の一件で初めて迷い人としてあおいちゃんの存在が発覚した。
 この世界の知識のない迷い人を言いくるめ特殊な能力を独占して商売をしたり、利用し戦力とするなどの危険性を考えこの国では迷い人を見つけたり保護した場合は届け出が国民の義務である。それをしていなかった為に今回あおいちゃんはお国の保護下に置かれたんだろう。
 何だかんだ理由付けしてるけど国も同じ事してんじゃん、とは心の中に秘めておく。あ、私は迷い込んだ翌日すぐにキャサリンと一緒に届けを出しに行ってる。

 でも実際、保護されて良かったとは思う。あおいちゃんは完全に無知だ。

 保護されてからは基本個室での待機のみで特に迷い人やこの世界についての教育はされていないと聞き、私は益々頭を抱えたくなった。あおいちゃんはこちらに迷い込んだのは比較的最近なのがまだ救いか。
 正面から次は貴方の番だと促す瞳に若干下がっていた頭を上げ、何から話そうかと少しだけ逡巡してから一番知りたいだろうことを言葉にする。

「私達日本人ってこの世界では強制的に言霊師になるんだけど、それは知ってる?」

 私の問いという確認にあおいちゃんは顔を横に振って返事をする。
 
「簡単に言うとね、言葉が持つ意味をそのまま行使することが出来る能力。それが言霊師。ただ個人の語彙力で能力や操作に著しく影響があるってんで難易度はめちゃくちゃ高い。使いこなせれば万能、とは言われているけどね」

 知らずに使ってたのはある意味凄いけど恐ろしい、と溢せばあおいちゃんは私の言葉をどう受け止めて良いか分からないという微妙な顔をした。それでいい。無知とは恐ろしいと柔らかく表現しただけだ。
 こちらの口が閉じると今度はあおいちゃんがおずおずと口を開き「さっきの名前のことは」と警戒しながら訊ねてくるのが可愛くて、ついつい意地の悪い顔をしてしまう。

「言霊師は言葉が持つ意味を行使できる。じゃあ、名前を知られると」

 どうなるのかな?

 キャサリンの様に無邪気な声で、人差し指を頬にあて、小首を傾げる。
 小学六年生といえど、あおいちゃんは頭の回転が良いみたいで少し間をおいてハッとしたように元々大きな瞳をより一層、見開いた。その反応は私の含んだ言葉を正確に理解しみたいだ。

「頂戴って言ったらくれたから貰っちゃったあ」

 茶目っ気まじりに言いながらウィンクすれば、あおいちゃんから絶対零度の視線が向けられた。

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