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帰還編

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 誰かが急かした訳でもないのに三人は自然と足早に帰路を進んでいく。見慣れたホームの両開きな玄関扉を視界に捉えるとマチルダはらしくもなくホッと小さく息をつき、アンジェリカとバーバラはそれに気付かぬ振りをして、心中で労わりの言葉をかけだけにとどまった。

 アンジェリカが二枚ある扉の片側に手を伸ばしドアノブを捻ると、まだ少ししか開いてない扉の隙間から甘い香りが漏れてくる。アンジェリカの眉間に皺が寄るのをマチルダは苦笑で流し、アンジェリカと同時に動きを止めていた扉を大きく開けた。
 途端に家の中から溢れてくる甘ったるい香りが周囲に広がる。香水や花の芳香ではなく、果物や甘味調味料を使用した、胃にくる甘い匂いだ。もはや近所迷惑になるなと思い、マチルダはさっさと残り二人を家に収め扉を閉めた。

 苛立ちを乗せた行儀の悪い足音を立てながら、アンジェリカはリビングのドアを乱暴に開けるや否や吼えた。

「ちょっと、限度ってもんを知んないの!? 甘ったるすぎて気持ち悪い域よ!!」

 甘い匂いの発生源であるキッチン、そこにいるキャサリンはアンジェリカの叱責を気にした様子もなく、おかえりなさ~いと暢気に言い、その上そんな大きな声出しちゃうとおちびちゃんが起きちゃうでしょ、と逆に叱るものだから朝から超絶不機嫌極まりなくも耐えていたアンジェリカの何かがブチ切れた。つり上がる眉のまま大きく口を開ける。

「~~~~~~~!」
「さっさと本題に進めたいんだ、落ち着いてくれ」

 飛び出してこない怒声。またマチルダの沈黙だ。かけた本人は素知らぬ顔で数時間前まで座っていたテーブルの椅子に腰ける。続けてバーバラも座り、キャサリンに何を作っているのか尋ねると雑談を始める始末だ。
 
「ゴリンパイにテェリーパイ、今はカオカのケーキを作ってる途中なの」
「どれもちびさんのお好きな甘味ですね。起きたらきっと喜んでくれますよ」

 そんな会話が聞こえてくるものだから怒っているのが途端に馬鹿らしくなりアンジェリカも少し乱暴ではあるが椅子に座り、マチルダに視線をやれば指を鳴らす音と同時に制限されている感覚が無くなった。

「それで、何があったのか話して」

 カトリーナが座った三人の前に珈琲を置き終わるのを合図に、アンジェリカが話しを切り出す。
 
「自力でちびちゃんが街近くの森の境界まで来ていたから、即回収からの移動陣使用。ギルド到着後はバーバラにちびちゃんを預けて受付で帰還届を書いていた。そこまでの道中、会話したのは向うの依頼仲介所(ギルド)の職員一名のみ」

 珈琲片手にマチルダは特に変わったことはなかった、と言葉を付け足して、今度はバーバラが話し始める。

「マチルダからちびさんを渡されてすぐに、負傷していた足の治癒にかかりました」

 キッチンから何かを落とす音がした。気を取られ少し言葉を止めたがバーバラはあえて無視して話しを続ける。

「この時点でのちびさんは疲労してはいるものの普段通りの様子でした。その後すぐに迷い人課管理官と警備隊の方が今回の件についての聞き取りにいらっしゃり、最中の発言でマチルダが喧嘩を売りましたがちびさんが執り成し、管理官が離席した後、キャサリン、カトリーナが合流という流れです」

 そこまで話してバーバラは珈琲に口をつけ咥内を湿らす。
 喧嘩という不穏な単語で嫌な予感しかしない。出来れば無視してしまいたいが、そうもいかないかと諦めた様子でアンジェリカは説明を求めた。

「管理官があの場でこう聞くんだよ、『寝間着とあるんですが確認しても?』とね」

 マチルダが言うのと同時にキッチンから今度は皿が割れる音と、重低音のあ゛?という声が聞こえた。
 テーブルについている三人と立ったままキッチンカウンターに軽く腰を預けて腕組をしているカトリーナはキッチンがどういう状態なのか見なくてもありありと理解できたので、誰も目を向けない。
 マチルダは悪びれる様子もなく、それどころか当たり前だと言わん口ぶりで、仕方ないだろ? と肩をすくめる。

「それは分ったけど、少し引っ掛かるのよね。その喧嘩、どう売ったわけ?」
「酷かったですよ。魔力放出までしていたので、今考えるとこの時には既に錯乱にかかっていたと思います」

 それはバーバラも含まれる。裏を返せばその時マチルダの行いになんの疑問も抱かず、それどころかやってしまえと行動自体に賛同していた。
 魔術師の力そのものである魔力を周囲に放つという行為が周りにとってどれほど危険であるかを知っているのに、だ。

「ならその時点での錯乱は確定ね」 

 同じ魔術を扱う者として、その行為による危険性は嫌というほど理解している。
 そしてお手上げだと言わんばかりに苛立つまま長い前髪を乱雑に掻き混ぜ、アンジェリカは呻り声を上げた。

 錯乱経路が不明。これほど厄介で気持ち悪いことは無い。
 管理官が何かしたのか? バーバラには当てはまるが受付に行っていたマチルダには適用されない。
 向かっていた街ではどうか? 接触は依頼仲介所(ギルド)の職員一名のみ、こちらは雇用契約時の遵守事項に触れるため可能性はないだろう。

 なら残す可能性は?

「他者からの付与ではなく自身による発生?」
「ッハ! それこそあり得ないな」 
 
 マチルダが即座に否定する。自分で聞いておきながら、それもそうだろうとアンジェリカも内心では同意している。そこに至るまでの精神的衝撃に思い当たる節が無い。
 現在ソファで寝かされている彼女が目の前から掻き消えた瞬間に抱いた感情は、失態による後悔と苛立ちだ。
 それはマチルダも同じだろう。だからこそ、らしくもなく男性としての面が表層に現れているのだから。

 アンジェリカはそこまで考えてはたと気付き、その疑問をすぐさま口にした。

「ねえ、マチルダ。確認の為に聞くけど、その状態なのって錯乱は関係ないわよね?」

 思いもよらない言葉だったのかマチルダは虚を衝かれた様な顔をした。すぐに同意の言葉を発しようとしたが、何か引っかかりがあるのか顎に指を当て思案を始める。

 すぐに返答があるものだと思っていた。だが予想に反して深く思案しはじめるマチルダの姿にとてつもなく嫌な予感がする。

 これは当たりかしら、心中で吐き出した言葉をアンジェリカは珈琲と一緒に飲み込んだ。
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