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どうか願いが叶います様に

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 広がる蒼天の丁度真上から、刺すような太陽の光が降り注ぐお昼時。
 ひっそりとした酒場の裏口で搬入された酒瓶が入った最後の箱を手に持ち肉体労働に精を出していれば、カラッと乾いて涼しい風が労わる様に頬を撫でていく。
 その心地よさに一瞬足を止め、濃い青空を一度見上げてから私は裏口に足を踏み入れた。
 
 この世界に迷い込んだあの夜。酔いつぶれた私の面倒をみて、拾ってくれたのは酒場のママだった。


 酔いつぶれた翌日の朝を過ぎた昼間。二日酔いで最悪な状況で目覚めた私に、ママがかけてくれた言葉はオネエな口調が全く似合わぬ強面な顔に呆れを混じらせながら「迷子のくせにねずみちゃんは随分お寝坊さんね」だった。
 感謝と謝罪を伝え、直ぐにお暇しようとする私を完全に無視したママは無理やりダイニングの席に着くように言うと、そのままに昼食にした。

 普段口にするよりも素朴な味のスープとパンを口に運ぶ恐縮しまくった私など気にせず、黙々と食べる音しかしない食卓をいきなり破ったのはなんの気なしに口を開いたママだった。

「丁度ホールの運び手が欲しかったから、ねずみちゃん採用ね」

 その提案を断れるほど、この世界の事を私はまったく知らなかった。


 食事を平らげた後、ママはお茶が入った繊細な細工が施されたカップを不似合いな武骨な指で器用に持ち、小指を立てながら私が迷い込んだこの世界の常識ついて教えてくれた。

 その時に私がこの世界では迷い人と呼ばれる事や特徴などを知った。知ったところで生きていけるのか不安で一杯だった当初は、ヘーと聞き流すだけだったが。一々届け出を出さなくちゃいけなくて面倒だと思ったくらいだ。
 それよりも酒場の二階、ママの居住空間に居候という形での住込み雇用になったので、今までの生活と全く違う生活品の使い方や暮らし方を覚えるのに頭が一杯だった。
 
 極めつけは慣れて覚えろとスパルタなママの一言で、その日の夜に酒場ホールに放り出された事だろう。二日酔いとか甘えた事は言えなかった。店が開く時には治まっていたし。 
 
 そして最初に感じた通りに、ママのお店は特殊な趣味やジェンダーを抱えた者達の酒場だった。
 飛び回る聞いた事もないお酒や食べ物の名前に何度も聞き返し、勝手が分からず右往左往する私に、殆ど常連しか来ないので昨日の事も知っているお客さん達はみんな、優しかった。
 それと活路を求めてここに飛び込んだ時に助けてくれた男性、いや、違うか。内面が女性の人が私を心配してその日の内に酒場に様子を見に来てくれたのも嬉しかった。
 手が空いた時に改めてお礼を伝えれば、その人は少しぎこちなくもキャサリンと可愛らし名前を名乗り、そこからが縁でとっても仲のいいお友達になれた。
 
 
 カウンターの上に持っていた最後の箱をよいしょと置き、一息つく。
 様々な種類のお酒が入ったボトルが並ぶ壁棚に向き合い、運び入れた箱から品薄になった場所に補充を始める。これが終われば夕方の開店まで休憩だ。

 迷い込んだ日から季節が丁度、一巡した。
 大分この生活にも慣れ、殆どの事は対処できるようになったと思っている。まあ、こんな風に思ってるのをキャサリンに話していたらうっかりママに聞かれて「あんたはまだまだねずみちゃんよ」と地味に意味が分かりそうで分からないコメントを貰った。
 多分、未熟的な意味合いなんだろうと思う事にしたけど。そう考えると未だにママ語を理解出来てないので、私はねずみちゃんなんだろう。……いや、納得できねえよ。

 あの時の理不尽さを思い出し、若干ボトルを並べる手付きが乱暴になって賑やかな音を棚で奏でる。
 割れなきゃ問題ないとばかりに無視して作業を続けていれば裏口が少し、いや結構強くノックされた音を響かせ、続いて甘い砂糖菓子のような声が上がった。

「ハーナちゃーん、開けてー?」

 裏声だが可愛らしい発音と甘い声でかなり女子力が高いのが一瞬で伝わる。
 聞き慣れたそれに、私は抱えていた理不尽さを瞬時に霧散させて裏口の鍵を外すと扉を開けた。
 
「えへへ、来ちゃった」

 恥じらいながらも目の前に立つキャサリンからの開口一番の台詞に淡いピンクのハートが幻視できた。

「今日もキャサリンは可愛いなあ」

 ぽろっと零した私の言葉は、ゆうに身の丈二メートルを超える体格の持ち主には不釣り合いな言葉なのに、キャサリンに対してはすんなりと出てくる。だって可愛いんだもん。
 
 身体をずらし、訪ねて来てくれた親友を火が消えてガランとしている酒場に招きいれる。
 キャサリンが照れながら放つ「やだもう、ハナちゃんったら! いっつもそればっかりぃ」という可愛い文句を背に甘受しながら、棚への補充を再開させた。

 急遽仕事が休みになったらしいキャサリンを彼女の定位置であるカウンター席に座らせ、心地良くも可愛い会話を楽しみつつ手を動かし続ける。
 最後のボトルをやっと私が棚に置くと同時に、終わるのを見計らっていたのかキャサリンが強請るような甘く蕩けた声で私の名を呼ぶ。

「ねえ、ハナちゃん」
「だーめ」
「酷ぉい! キャサリンまだ何も言ってないよお!」

 内容も聞かず一刀両断する。
 ぷりぷり怒るキャサリンを気にも留めずに、予め仕込んでおいた香草と柑橘類が入った水をグラス二つに注ぎ、自分とキャサリンの前に置く。
 そしてこれ見よがしに盛大に溜息を一つした。その声の時は聞かなくたって分かる。

「勧誘以外だったら聞いてあげるけど?」
「ハナちゃんの意地悪ぅ!」
「ほら図星じゃない。キャサリン、何度も言ってるけど私には請負人なんて無理だよ」
「慣れれば大丈夫だよぉ!」

 キャサリンは体格に見合うだけの仕事を生業にしていて、請負人という業種はかなりな危険を伴う。私と一緒に仕事をしたいキャサリンから、もう幾度も誘われては断っている。

 その大まかな原因は迷い人特有の能力が判明してからだ。
 こちらの生活に慣れてきた頃に、私の迷い人としての能力を一度きちんと把握した方がいいとキャサリンから提案されたのが切っ掛けだった。
 特殊な能力と聞いて少しだけ子供心が惹かれたが、普通を重んじる波風立たぬ安定志向の大人な考えがそれを一瞬で打ち消した。普通に暮らすのに不必要な力など必要ないと断っていた私の背を強引に押したのは、ママだった。

「分かんないでチュウチュウ鳴いてないで、知った上で鳴きな」

 うん、意味わかんないね。さすがママ語だわ。
 そんなこんなでキャサリンの全面協力の元、私は迷い人としての能力、言霊という小っ恥ずかしい力を理解した。
 それからだ。キャサリンが自分のパーティに私を勧誘し始めたのは。

 言霊はある意味とても使い勝手がいいし、ぶっちゃけ理解さえできていればキャサリンの仕事の支援にとても有用でもあり、単体戦力としても非常に強力だ。

 だからこそ、利用されたらとても恐ろしい、とすぐに理解した。

 初めてキャサリンに請負人に誘われたとき、私は疑った。そして一瞬でその疑いを捨てた。
 覗き込んだキャサリンの黄金色の瞳には、ただ純粋に一緒に仕事を楽しみたいという感情しか浮かんでいなかったからだ。もっと沢山の時間や感情を共有したいという彼女の好意を、それ以降私は二度と疑うことはなかった。

 だから私は断る。生きている間、この誘いに乗ることはないだろう。

「ダメだよ、キャサリン。私の心が既に負けてるんだもの。それにお試しで行った時も散々だったでしょ?」

 いつもの断り文句を言葉にすれば、キャサリンは悔しさと少しの悲しみを顔に乗せたまま口を噤む。
 ただ嫌だ、怖いと断るのは、誘ってくれているキャサリンに失礼だ。
 だから一度だけ、キャサリンと二人で請負人の仕事を受けたことがある。

 その結果は、酷かった。

 キャサリン曰く、とても簡単で安全な依頼を受けたそうだ。
 それなのに私は、初めての王都の外にはしゃぎ、そして初めて見る異形の生物に、ただ恐怖に震え、一歩動くどころか一言も言葉を吐き出すことが出来なかった。
 必死に突っ立って呼吸をしている内に、一薙ぎで化け物を倒したキャサリンはすぐさま駆け寄ってきて私よりも青い顔で必死に謝り続けながら、腰が抜けて自力で歩けなくなった私を腕に抱えて帰路についた。その道中、私はただ震えながらキャサリン縋りつくだけで、何も言う事が出来なかった。

 駄目なのだ。私ではキャサリンの役に立てない。全くもって駄目だ。
 能力は良くても使い手たる私の気持ちが柔すぎる。あれでは仕事にならないし、毎回キャサリンを悲しませ、彼女とその仲間の足を引っ張り、ただ危険に晒すだけだ。

「私は根っからの一般人ってこと」

 この話はお終いと手元にあるグラスを一息で飲み干し、鼻から抜けるスッとした清涼感と柑橘の匂いについ頬が緩む。
 キャサリンも飲み干したのか空のグラスを弄りながら溜息と一緒に「また振られちゃったぁ」と不貞腐れながら言うものだから、今度は眦まで緩んだ。

 それからしばらくお喋りを二人で楽しんで、夕飯用の食材買い出し前に顔を出してくれたキャサリンは市場に向かった。夜にお酒を飲みにくると約束して。

 グラスを片付け、仕事前に軽食と仮眠をとる為に住居である二階に上れば、丁度湯浴み上がりのママがダイニングで一服して寛いで居た。

「随分とまあ二匹でチュウチュウと煩かったじゃない」

 まさかのキャサリンもねずみの一匹としてカウントされた。さすがママと言うべきか。
 香り草でできたこちらの煙草のような物を吸うママにキャサリンが遊びに来てたと伝えれば、呆れた顔をして鼻から煙を長く吐き出す。

「キャサリン以外友達いないじゃない、ねずみちゃん」

 分かり切ったこと一々言うじゃないわよと辛辣なコメントを頂いた。
 ボッチよりいいじゃないかと不貞腐れながら胃に軽く食事を詰め込んで、窓際近くに置かれている最早私の定位置と化した二人掛けソファに横になった。

 ママが吐き出した香り草の煙はちっとも煙くなくて、逆にシナモンの様な少し癖があるけど私には好ましい香りを胸いっぱいに吸い込み、瞼と一緒に意識もゆっくりと落としていく。


 酒場に拾われて。素敵な友達もできた。
 どうにかこうにか私は元気に生きている。

 だから父さん母さん、それに弟よ。あまり心配しないでね。

 
 そして、どうか私の事を一日も早く、忘れて下さい。




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