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第57話 知らないということ

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 シメオンにはひとつ気になっていることがあった。
 シルフィアはどのようにしてアークレイの部屋に入ったのか。
 シルフィアが部屋を出たところを誰も見ておらず、アークレイの部屋に入るところも見てない。
 2人の部屋の前にはそれぞれに騎士がおり、廊下の両端にも騎士たちが昼夜警護をしている。
 彼らの目をかいくぐってアークレイの部屋に行くなど、常識的には不可能だ。
 一体どのような方法で、シルフィアはアークレイの部屋へ入ったのか。
 アークレイも、さらにシルフィアまでもがそのことを語ろうとしない。
 本人たちが話さないのだから、皆も疑問に思いつつ、アークレイに問うことができる者はいなかった。

 しかし、シメオンは気になって仕方が無い。
 どうやら、大宰相は事の真相を知っている様子なのだ。
 アークレイとシルフィアのことを話した際、腰を抜かさんばかりに驚いたシメオンとは対照的に、大宰相は随分と冷静だった。
 いや、もともとあまり感情を表に出さない老獪な御仁であるから、もしかすると内心は驚いていたのかもしれない。
 だが全てを話し終え、シメオンがその疑問をふと口にした後の、大宰相の言葉が非常に不可解だった。

『・・・・・・そなたが疑問に思うのもわからなくはない。だがそれは、そなたにとって重要なことではない』

 どういうことかと何度聞いても、結局大宰相から答えは返ってこなかった。
 ならば、直接当人に聞くしかない。

「陛下」

「ん?」

 両手を後ろに組んだままのアークレイが、身体を捻ってシメオンに向いた。

「お尋ねしたいことがございますが、よろしいでしょうか」

「何だ?」

「シルフィア様のことでございます」

「・・・・・・シルフィアの?」

 アークレイは訝しげに眉をひそめた。

「はい。シルフィア様はどのようにして陛下のお部屋へ行かれたのでしょうか」

「・・・・・・」

 だが、シメオンを見るアークレイの表情は変わらなかった。

「ご自分の部屋を出られたシルフィア様を見た者はおりません。陛下の部屋へ入られたのを見た者もおりません。ですが、シルフィア様は陛下の部屋におられた・・・・・・そのことが私には不思議でなりません」

「・・・・・・」

 言葉が返って来ないアークレイを見上げ、シメオンは更に先を続ける。

「朝方、部屋におられるはずのシルフィア様が寝室から姿を消されていた・・・・・・側仕えの者たちの驚きは想像に難くありません」

「・・・・・・それを知ってどうする」

 どこか抑揚のないアークレイの声にシメオンは息を飲む。
 やはり、シメオンが知らない何らかの方法があるのだ。

「陛下。警備上の問題がございます。護衛の騎士たちが知らぬというのは、お二方をお護りすることに支障がございましょう」

「・・・・・・ローデンハイムは何か言っていたか」

「え?あ、はあ・・・・・大宰相様でございますか?」

 思わぬアークレイからの切り替えしに、シメオンは勢いを削がれて間抜けな声を出してしまった。

「いえ・・・大宰相様は『それはそなたにとって重要なことではない』と仰られて。何かご存知のようなのですが、話してはくださいませんでした」

「・・・・・・なるほど。大宰相は知っている、ということか」

「え?」

 ぽつりとアークレイが口にした言葉に顔を上げるが、アークレイは「いや・・・」と言葉を濁し、身体を再び正面に向けてしまう。

「大宰相がそのように言うのであれば、おまえが知る必要はないということだ」

「ですが陛下っ」

「それは・・・・・・俺とシルフィアだけが知っていればよい」

「陛下・・・」

 背を向け、それ以上の質問を拒絶するかのようなアークレイ。
 急に、シメオンの目の前に見えない硬い壁ができたようだった。
 臣下として信頼してもらっていることも、アークレイの私的なことにまで関わらせてもらっていることもわかっている。
 それだけで身に余るほどの贅沢なことだとわかっていても、深くにまで関わらせてもらえないことが少しだけ悔しい。
 目を伏せ、シメオンはぎゅっと拳を握り締める。

「シメオン」

「は・・・・・・はっ」

 名を呼ばれて顔を上げれば、どこか事務的なものを感じさせる表情で、アークレイがこちらを見ていた。

「ケテルラーダから報告があった。おまえは聞いたか?」

 話が変わった。
 それは、先ほどの話は終わり、という合図だ。
 シメオンは幾分わだかまりを残しつつも、アークレイが話を逸らしてしまったのであれば、これ以上問い続けるのは無理だと判断した。
 頭を切り替えて気持ちを引き締め、シメオンも政治家の顔に素早く変えた。

「はい。フォルヴェス軍務宰相閣下よりお聞きいたしました。詳細は伺っておりませんが・・・・・」

「首謀者のライブルーディン以下、10名の貴族を捕らえた」

「10名ですか・・・・・・」

 予想していたよりも多い人数に、シメオンは思わずごくっと息を飲んだ。
 『レイス・レーヴェ』の暗殺者を雇い、アークレイの暗殺を企てた貴族が捕らえられた。
 以前から薄々だが首謀者はわかっており、決定的な証拠を炙り出すため、秘密裏に彼らの動きを探っていた。
 そして、アークレイの暗殺は失敗した。
 しかも暗殺者が捕らえられてしまった。
 暗殺者が雇い主の名を喋ることは無いだろうが、計画が失敗したことに貴族たちは焦ったのだろう。
 夜も明けない早朝、首謀者の館に共犯者たちが一堂に集ったところを、その情報を掴んだアークレイの手の者によって一網打尽に捕らえられた。

 首謀者のライブルーディンは元々、オルセレイドの北西に位置するアソフールという小さな領地の地方貴族だったが、様々な事業を興して巨額な財を成した大富豪で、中央の貴族とも太い繋がりを持つ有力貴族となった。
 しかし、その財を成すためには法を犯すことも厭わない、正攻法ではない悪どいやり方でここまで伸し上がってきた。
 贈賄、詐欺、恐喝、傷害、果てには殺人も。
 人身売買にまで手を染めていたという噂もある。
 近隣国の貧しい農民等の女子供を安値で買取り、彼らに娼婦として売春をさせていたという話もある。
 ライブルーディンは、アークレイがもっとも毛嫌いする種類の人間だ。

 オルセレイド王国といえども、国王の力が地方にまでなかなか行き届かないという現実がある。
 中央政府主導で地方の統制を図りたいと考え、アークレイの指示のもと法の整備を進めているところだ。
 中央が地方の行政全てに対して決定権を持つのではなく、地方にもある程度の自治権を残すつもりではあるのだが、ライブルーディンのように、中央から遠く離れた地方で好き勝手やってきた領主たちにとって、この状況は決して歓迎すべき話ではない。
 そこで企てられたのが、アークレイ暗殺計画だったのだ。

「連中も焦ったな。まさか『レイス・レーヴェ』が失敗するとは考えてなかったのだろう」

「はい。昨日の今日で捕らえられるとも想像していなかったのでしょう」

 連中は非常に用心深く、彼らが一堂に会することなど今まで決してなかった。
 繋がりのある中央の貴族に、こちらの騎士団の動きを探らせていたはずだ。
 だが昨日、彼らに対して騎士団を動かさなかった。
 それで安心したのだろう。
 その油断が愚かにも捕らえられる原因となってしまったわけだ。
 彼らは、自身を捕らえた者たちが何者なのかを知らない。

 オルセレイド王国には、名も無き国王直属の騎士団がある。
 彼らは国内外での偵察や諜報活動、時には超法規的に警察行動を行うという特殊な騎士団だ。
 宰相全員が存在を知ってはいるが、その騎士団の全貌を知るのは国王であるアークレイと大宰相、軍務宰相そして総騎士団長・・・僅かに4名だけだ。
 10名とも50名とも言われている構成員だが、その数も騎士たちの名も、実際のところシメオンですら知らされていない。
 シメオンが知るのは、その騎士団の長がケテルラーダという騎士であることのみ。

 ケテルラーダは普段、総騎士団長エレンハイムとともに副騎士団長として全騎士団をまとめる任にあるが、あまり表舞台には出てこず、実際はエレンハイムの部下ではない。
 ケテルラーダはあくまでも国王直属の騎士であり、国王の命にのみ従い、国王のためにだけ動いている。
 通常は宮殿騎士団や第一騎士団など各騎士団で任に就いているが、アークレイの命あれば、そちらを優先して任務を遂行することになる。
 家族にも恋人にも友人にも同僚にも、誰にも話してはならない。
 騎士としての実力と、国王に対して忠実であること、そして守秘義務を誓えること。
 厳しい審査で選ばれた者だけがなれる、騎士の中の騎士なのだ。
 シメオンが知らないだけで、もしかすると、ウォーレンがその地位にあることも無くはない。

 ・・・・・・いや、それは絶対ない。

 シメオンは苦笑し、頭の中に浮かんだ馬鹿馬鹿しい考えを打ち消した。
 あんな頭も口も軽い男が、そのような重要な任務に就けるわけがないのだから。

「後の処理はフォルヴェスに任せた」

「陛下は立会われないのですか?」

「必要ない。俺の命を狙ったばかりか、シルフィアを傷つけた罪は重い。顔も見たいとは思わないし、見苦しい弁解も聞きたくない」

 きっぱりと言い捨てるアークレイの口調には、強く怒気が含まれていた。
 それだけ、アークレイの怒りが強いということだ。
 極刑は免れないだろうな・・・と思いつつも、シメオンも同情するつもりはなかった。
 アークレイの暗殺を企てたことだけでなく、ライブルーディンには探せば余罪がいくらでもある。
 全ての罪を足せば、極刑でも軽いくらいだ。

「だがこれで一つ、懸案が減ったか・・・・・・」

 アークレイは目を閉じ、大きく肩を揺らして息を吐きだした。

「今回の一件で、貴族たちの声が抑えられればよいのだが・・・・・・」

「はい。心中お察しいたします」

 ライブルーディンのような貴族が他にもいないわけではない。
 今回の謀略に加担はしなかったものの、アークレイや中央政府に対して悪感情を抱く貴族は少なからずいる筈だ。
 己の利権に固執する貴族に対して、同じようなことを企てさせないためにも、今回の一件を抑止力とし、ライブルーディンを見せしめとして刑に処す必要がある。

「他の手配は進んでいるか?」

「はい。式のほうも5日後を予定としております」

「・・・・・・そのように早く?大丈夫か?確かに出来るだけ早くとは言ったが・・・・・・」

 先ほどまでの険しい表情から一転、アークレイは呆気にとられたような表情でシメオンを振り返った。

「問題ございません。関係各所との調整も進めております。元々予定していた規模のものを執り行うことは難しいと思いますが、皆、陛下と殿下の為に、中断された式を一刻も早く執り行いたいと思っているようです」

「そうか・・・・・・有難いことだな」

 ふっと穏やかな笑みを浮かべたアークレイの表情から、心からそのように思っていることが伺える。

「各国へは?」

「はい。ご来賓の方々にもその旨お伝えいたしました。御国のご都合もございますから、全ての方々がご参加いただけるわけではございませんが、概ね半数以上の国から出席を表明されております」

「半数?それは真か?」

 アークレイの驚きは、同時にシメオンの驚きでもあった。
 官吏から報告を受けたときに、「間違いではないのか?」と何度も確かめたほどだ。
 大小合せて80カ国ほどの国の代表が、この度の式に出席をしていた。
 その多くが国主であったり王子であったりと、それなりの地位にある者ばかり。
 だというのに、5日もオルセレイドに滞在し、アークレイとシルフィアの結婚を再び祝いたいと申し出てくれたのだ。

「出席が困難な国の方々からも、お2人へ沢山のお祝いの品々を頂戴しておりますし、一度は国許に戻るものの、再びエシャールへと参られた暁には、陛下と殿下への謁見をお願いしたいとの申し出も承っております」

「そうなのか・・・・・・それは実に喜ばしいことだな」

「はい。4強国の方々が出席を表明されたことも大きかったと思われます」

「・・・強国?全てか?」

「はい。とりわけ、リヒテランとファーリヴァイアの2国が式への参加を表明されたので、他国もそれに追随されたと思われます。国王陛下お二方はやむを得ず帰国をされますが、供にお越しになられている使節団の団長を、国の代表としてご出席といただけると申し出があったそうです」

 リヒテラン王国の使節団団長は、国王の弟であり臣下でもあるオーブラント軍務宰相。
 ファーリヴァイア王国の使節団団長は、国王の次男であるヴィアキース王子。
 2人ともが国王の血縁者で、これだけ高い地位にある者が出席を表明しているのだから、他国にも大きな影響を与えたことだろう。
 シメオンとて「まさか」と疑ったほどだ。
 アークレイに王子を嫁がせ、その王子を王妃にさせるという話に、どこの国よりも強固に反対したのがリヒテラン王国とファーリヴァイア王国なのだから。
 その2国が再び参加を申し出たということが信じられなかった。

「しかも、リヒテラン国王もファーリヴァイア国王も、帰国の前にシルフィア様との謁見を申出されているのですが・・・・・・よろしいでしょうか?」

「本当なのか?」

 アークレイもまだ信じられないのか、驚きに目を大きく見開いている。

「はい。お妃様と王子様方との面会も申出されていますが・・・・・・シルフィア様も是非にと・・・・・・」

 その真意はわからないが、命を張ってアークレイを助けたシルフィアに対して、両国王が多少なりとも好感を抱いてくれた為なのであれば良いことなのだが。
 同性婚を認める法を施行するためにも、できれば両国の同意を得たい。
 そのきっかけになってくれれば、実現化に向けて何よりも大きな前進となるだろう。

「そう、か・・・・・・いや、確かに申出は在り難いが、シルフィアの意見も聞いてみよう」

「そうですね・・・・・・」

 シルフィアもきっと驚くだろう。
 2人の妃の父王が、シルフィアに会いたいと言っているのだから。

「陛下。よろしいでしょうか」

 不意に耳に飛び込んできた柔らかな優しい声に視線を向ければ、シルフィアがふわりと微笑を浮かべてこちらを見ていた。
 幾分、艶を増したようなその微笑に、シメオンは思わず見惚れてしまう。

「どうした、シルフィア」

 シルフィアの側へと歩を進めるアークレイの声にも、どこか甘さが含まれていた。

「はい。メルヴィル様が陛下にご挨拶をさせていただきたいと」

「メルヴィル殿?そちらの方か?」

 オスカーのすぐ側にいた漆黒の髪の少年が、オスカーに背を押され、唇をきゅっと噛み締め少し緊張した面持ちでアークレイの前へと一歩踏み出した。

「お初にお目にかかります、ロイスラミア国王陛下。メルヴィル=ディーラ=ステファンノースと申します」
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