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エピローグ
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「こんにちは、スヴェン」
馬車の荷台に小麦粉の袋を積んでいたスヴェンは声を掛けられ振り返った。
「アンナ。…今日だったか」
スヴェンはアンナが手にしている大きなバッグに目を止めた。
「ええ。その前にフランカに挨拶していこうと思って」
「フランカなら中にいる。ちょうどいい、隣町まで行くから送っていくよ」
「本当?ありがとう」
スヴェンに荷物を預けると、アンナは家の中へと入っていった。
中に入ると歌声が聞こえた。
その優しい声に導かれるように奥へと向かう。
椅子に腰掛けてフランカは歌を歌っていた。
その柔らかな眼差しの先、ゆりかごの中には赤子が眠っている。
人の気配に気づいたフランカが振り向いた。
「アンナ」
「こんにちは、フランカ。挨拶に来たの」
「…ああ、今日だったわね」
「ええ。———ハルムはよく眠っているのね」
アンナは赤子を覗き込んだ。
ぷっくりとした赤い頬の、その口元には笑みが浮かんでいる。
「ふふ、いい夢を見ているのかしら。それともフランカの歌が嬉しいのかしら」
「さあ…どうかしら」
フランカは自分と同じ、癖のある柔らかな栗毛を撫でた。
「…あれから三年経ったのね」
「そうね、あっという間だったわ」
二人で赤子の顔を覗き込む。
幸せそうに眠るその顔は、三年前に突然現れた天使の面影を強く残していた。
十五歳になったアンナは隣町で住み込みの仕事を得て孤児院を出ていく事になった。
孤児院の子供たちもそれぞれ大きくなり、新しい子供も増えた。
結婚したフランカとスヴェンの間に半年前に生まれた男の子は、色こそ違えどその瞳は全く同じで———迷う事なく〝ハルム〟と名付けられた。
ハルムはどんなにぐずってもフランカが歌うとすぐに泣き止み笑顔になった。
「ハルムは…覚えているのかしら。自分が天使だった事」
「どうかしら…スヴェンはきっと覚えているっていうけど」
「そうなの?」
「スヴェンが私に触ろうとすると怒るの。すぐヤキモチを焼くのよ」
「まあ。本当にフランカが大好きなのね」
ふふっと笑って、アンナはハルムの頬をつついた。
「孤児院のみんなはどう?」
「元気よ。エミーもすっかりお姉さんになったわ」
去年、エミーより二つ下の男の子が孤児院にやってきた。
自分よりも下の子というので、エミーは張り切って何かと面倒を見ていた。
「みんなに会いたいんだけど。中々様子を見に行けなくて」
「仕方ないわ、ハルムがいるんだもの」
「アンナも時々は帰って来られるのでしょう」
「そのつもりよ。その時は必ずここに寄るから」
「楽しみに待っているわ」
「アンナ。そろそろ出るが」
スヴェンが入ってきた。
「ええ」
「配達ついでにアンナを送っていくよ」
「いってらっしゃい、気をつけて」
スヴェンはフランカの傍までくるとその肩に手を掛け、頬に口付けた。
途端にゆりかごの中からぐずるような声が聞こえてきた。
「———本当に目ざといなお前は」
呆れたようにため息をつくと、スヴェンはゆりかごへと手を伸ばし息子を抱き上げた。
「フランカはお前だけのものじゃないんだぞ」
スヴェンの言葉に、ハムルは口を尖らせるとむうーと抗議の声を上げた。
「…ハルムはスヴェンの事が嫌いな訳じゃないのよね」
「そうね、二人でいる時は仲良くしているんだけど」
「独占欲が強いんだな」
スヴェンがフランカにハルムを渡すと、ハルムはぎゅっと母親に抱きついた。
「それじゃあ、フランカ。ハルム。またね」
「いってらっしゃい。身体には気をつけてね」
「ありがとう…お姉ちゃん」
最後の言葉は少し恥ずかしそうに小声で言うと、アンナは部屋を出て行った。
ハルムを抱き抱えてフランカは窓辺へと向かった。
「ハルム。アンナはね、孤児院を出て新しい生活を始めるのよ」
馬車へ乗り込むアンナを見つめながらフランカは言った。
「もう少し大きくなったら孤児院へ遊びに行きましょうね。ベックやエミーたちの事…覚えているかしら」
視線を腕の中へと移すと、スヴェンと同じ真っ黒な瞳がフランカを見つめていた。
「…覚えてる?」
フランカの問いに、ハルムは笑みを浮かべるとあぅと声を上げた。
「早く喋れるようになるといいのにね」
柔らかな頬に口付けると嬉しそうに笑い声を上げたハルムをフランカは抱きしめた。
「フランカ!」
馬車に乗ったアンナがフランカたちに向けて手を振った。
「それじゃあ、行ってくるね!」
「頑張ってね!」
フランカはハルムの小さな手を持ってアンナに振り返した。
「フランカの歌で送って欲しいな」
「分かったわ」
頷いて、フランカは歌い出した。
柔らかな歌声が青空へと響いていく。
馬車が見えなくなってもフランカはアンナの幸せへの願いを込めて歌い続けていた。
おわり
最後までお読みいただきありがとうございました。
アイルランドの海辺に、壁がわずかに残る砦がある、小さな町があります。
そこをイメージして書きました。
馬車の荷台に小麦粉の袋を積んでいたスヴェンは声を掛けられ振り返った。
「アンナ。…今日だったか」
スヴェンはアンナが手にしている大きなバッグに目を止めた。
「ええ。その前にフランカに挨拶していこうと思って」
「フランカなら中にいる。ちょうどいい、隣町まで行くから送っていくよ」
「本当?ありがとう」
スヴェンに荷物を預けると、アンナは家の中へと入っていった。
中に入ると歌声が聞こえた。
その優しい声に導かれるように奥へと向かう。
椅子に腰掛けてフランカは歌を歌っていた。
その柔らかな眼差しの先、ゆりかごの中には赤子が眠っている。
人の気配に気づいたフランカが振り向いた。
「アンナ」
「こんにちは、フランカ。挨拶に来たの」
「…ああ、今日だったわね」
「ええ。———ハルムはよく眠っているのね」
アンナは赤子を覗き込んだ。
ぷっくりとした赤い頬の、その口元には笑みが浮かんでいる。
「ふふ、いい夢を見ているのかしら。それともフランカの歌が嬉しいのかしら」
「さあ…どうかしら」
フランカは自分と同じ、癖のある柔らかな栗毛を撫でた。
「…あれから三年経ったのね」
「そうね、あっという間だったわ」
二人で赤子の顔を覗き込む。
幸せそうに眠るその顔は、三年前に突然現れた天使の面影を強く残していた。
十五歳になったアンナは隣町で住み込みの仕事を得て孤児院を出ていく事になった。
孤児院の子供たちもそれぞれ大きくなり、新しい子供も増えた。
結婚したフランカとスヴェンの間に半年前に生まれた男の子は、色こそ違えどその瞳は全く同じで———迷う事なく〝ハルム〟と名付けられた。
ハルムはどんなにぐずってもフランカが歌うとすぐに泣き止み笑顔になった。
「ハルムは…覚えているのかしら。自分が天使だった事」
「どうかしら…スヴェンはきっと覚えているっていうけど」
「そうなの?」
「スヴェンが私に触ろうとすると怒るの。すぐヤキモチを焼くのよ」
「まあ。本当にフランカが大好きなのね」
ふふっと笑って、アンナはハルムの頬をつついた。
「孤児院のみんなはどう?」
「元気よ。エミーもすっかりお姉さんになったわ」
去年、エミーより二つ下の男の子が孤児院にやってきた。
自分よりも下の子というので、エミーは張り切って何かと面倒を見ていた。
「みんなに会いたいんだけど。中々様子を見に行けなくて」
「仕方ないわ、ハルムがいるんだもの」
「アンナも時々は帰って来られるのでしょう」
「そのつもりよ。その時は必ずここに寄るから」
「楽しみに待っているわ」
「アンナ。そろそろ出るが」
スヴェンが入ってきた。
「ええ」
「配達ついでにアンナを送っていくよ」
「いってらっしゃい、気をつけて」
スヴェンはフランカの傍までくるとその肩に手を掛け、頬に口付けた。
途端にゆりかごの中からぐずるような声が聞こえてきた。
「———本当に目ざといなお前は」
呆れたようにため息をつくと、スヴェンはゆりかごへと手を伸ばし息子を抱き上げた。
「フランカはお前だけのものじゃないんだぞ」
スヴェンの言葉に、ハムルは口を尖らせるとむうーと抗議の声を上げた。
「…ハルムはスヴェンの事が嫌いな訳じゃないのよね」
「そうね、二人でいる時は仲良くしているんだけど」
「独占欲が強いんだな」
スヴェンがフランカにハルムを渡すと、ハルムはぎゅっと母親に抱きついた。
「それじゃあ、フランカ。ハルム。またね」
「いってらっしゃい。身体には気をつけてね」
「ありがとう…お姉ちゃん」
最後の言葉は少し恥ずかしそうに小声で言うと、アンナは部屋を出て行った。
ハルムを抱き抱えてフランカは窓辺へと向かった。
「ハルム。アンナはね、孤児院を出て新しい生活を始めるのよ」
馬車へ乗り込むアンナを見つめながらフランカは言った。
「もう少し大きくなったら孤児院へ遊びに行きましょうね。ベックやエミーたちの事…覚えているかしら」
視線を腕の中へと移すと、スヴェンと同じ真っ黒な瞳がフランカを見つめていた。
「…覚えてる?」
フランカの問いに、ハルムは笑みを浮かべるとあぅと声を上げた。
「早く喋れるようになるといいのにね」
柔らかな頬に口付けると嬉しそうに笑い声を上げたハルムをフランカは抱きしめた。
「フランカ!」
馬車に乗ったアンナがフランカたちに向けて手を振った。
「それじゃあ、行ってくるね!」
「頑張ってね!」
フランカはハルムの小さな手を持ってアンナに振り返した。
「フランカの歌で送って欲しいな」
「分かったわ」
頷いて、フランカは歌い出した。
柔らかな歌声が青空へと響いていく。
馬車が見えなくなってもフランカはアンナの幸せへの願いを込めて歌い続けていた。
おわり
最後までお読みいただきありがとうございました。
アイルランドの海辺に、壁がわずかに残る砦がある、小さな町があります。
そこをイメージして書きました。
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