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42「絶対に繰り返してはいけないの」

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「続けて踊ると疲れるわね」
「そうですね」
 サロンメンバーと別れ、ヴェロニカとエリアスは控え室へと向かっていた。
 化粧と髪を直してもらうためだ。
 額の傷が見えてしまう心配は減ったとはいえ、やはり何曲も踊ると髪の乱れが気になってくる。
「それじゃあ、直してくるわね」
 控え室の前でヴェロニカは立ち止まった。
「はい。今回は必ずお待ちしています」
「……そういえば、去年は色々あったわね」
 エリアスが呼び出され、この場を離れた間にヴェロニカは上級生たちに詰め寄られて。
 そこへカインが現れて助けてくれたのだ。
(あの出来事がなかったら、カインと親しくなることもなかったのよね)
 それらのことを思い出しながら、ヴェロニカは控え室へと入っていった。


(あの時、この場から離れなければ……彼と、ヴェロニカ様が出会うことはなかっただろうか)
 控室のドアを見つめてエリアスは考えた。
 自分がヴェロニカの側にいれば、カインがヴェロニカをダンスに誘うこともなかっただろうし、その後二人が親しくなることもなかっただろう。
(何が起きても離れなければ……いや、過去を悔いても仕方ないか)
 小さくため息をつくと、エリアスはふと窓の外を見た。
 そこは庭園になっていて、ここからでは見えないが奥には園芸サロンが管理している花壇もある。
 その庭園の小道を歩く、赤い頭が見えた。
(アリサ・ベイエルスか)
 表には出さないようにしていたが、自分が彼女のことを好ましく思っていないことは伝わってしまっていたようだ。

 どうしてあの花の色を不快に思うのか、エリアスにも分からない。
 好き嫌いはないはずだが、あの赤い色だけはどうしても不快な気持ちになるのだ。アリサにも非はない。
(だが彼女には……それ以外の違和感があるのも事実だ)
 不安のような、息苦しさのような……そして何故か、懐かさのようなもの。
 彼女を見ると得体のしれない奇妙な感覚に襲われる、それも苦手に思う理由の一つだ。
(理由が分からないのがつらいな)
 この不快感と違和感に理由があるのならば、対処ができる。
 だが理由が分からないと対処のしようがないのだ。

「――幸せ、か」
 アリサに言われた、そしてヴェロニカの言葉を思い出す。
 自分にとっての幸せは、ヴェロニカが幸せであること、執事として彼女を幸せにすることだ。
(そう、私は幸せな執事だ)
 心の奥にくすぶる火種を打ち消すように、エリアスは自身に言い聞かせた。


 庭園を歩いていたアリサは、片隅にあるベンチに腰を下ろした。
(あとはこのままここで、パーティが終わるまで過ごせばいいかな)
 サロンメンバーと五曲踊ったから、もう十分だろう。
(無事乗り越えられて……良かった)
 あの時のように、注目されることもなかった。
(前は、このパーティがきっかけで私が暁の魔女の加護を得ているんじゃないかと言われるようになったのよね)
 子供の時から踊ることが好きだった。
 だから学校でもダンスサロンに入ったし、あの時のパーティでも心ゆくまで踊った。

 元々赤い髪は目立っていたが、パーティがきっかけでもっと目立つようになり、さらには王太子にまで声をかけられるようになったのだ。
(でも、そのせいで……何人も死んでしまった)
 自分を庇い、刺されたエリアス。
 自分が王太子と親しくなったことで狂ったヴェロニカ。
 そして、その後に起きた……大きな悲劇。
(絶対に繰り返してはいけないの)
 アリサは自分を抱きしめるように、腕を掴んだ。

 ふいにアリサの前を黒い影が横切った。
「殿下!」
 聞こえてきた声に黒い影が立ち止まる。
 振り返ったその顔は、確かに王太子フィンセントだった。
 慌ててアリサは立ち上がった。

「もうお戻りにならないと」
 フィンセントに歩み寄りながらディルクは言った。
「だがまだ……」
「探してどうするんです。ダンスに誘う気ですか」
「悪いか」
「殿下、もういい加減に……」
 ディルクは側に立ち尽くすアリサに気づいた。
 その視線にフィンセントもこちらを見たため、アリサは慌ててドレスの裾をつまんで深く頭を下げた。

「――君」
 そっと立ち去ろうとしたアリサにフィンセントが声をかけた。
「……はい」
「君は確か園芸サロンだったな」
「……はい、そうです」
「ヴェロニカがどこに行ったか、知らないか」

「ヴェロニカ先輩ですか?」
 アリサは首をかしげた。
「……確か、お化粧を直しにいくと言っていました」
「化粧直し? 控え室か」
「まさかそこへ行くつもりではないでしょうね」
 ディルクの言葉にフィンセントは眉をひそめた。
「……会場へ戻る」
 そう言って歩きかけて、フィンセントは立ち止まるともう一度アリサを見た。
「ヴェロニカは、誰かとダンスの約束をしていたか」
「え? ええと……確か、最後の曲はお相手がいると思います」
 サロンでの会話を思い出しながらアリサは答えた。
「最後の……そうか」
 呟くと、フィンセントは再び歩き出した。

(え、今の……本当に殿下?)
 記憶にあるフィンセントとは別人のような雰囲気に、アリサは驚いた。
 フィンセントはプライドが高く、自信家で、今のように気軽に誰かにものを尋ねるようなことはなかったはずだ。
 その顔も、王太子としての威厳を保つために普段から感情を出さないようにしていると聞いたことがあったが。
 今のフィンセントは、明らかに落ち着きがなく焦っていて……普通の青年のようだった。

(それに……ヴェロニカ先輩を探していた?)
 ヴェロニカとは、何年も前に婚約を解消してもう関係ないはずだ。それなのに、どうして探していたのだろう。
(そういえば……誰かが、先輩は殿下の婚約者候補だって言っていたような)
 以前、通りすがりに小耳に挟んだことをアリサは思い出した。
 その時は急いでいたのもあって、すぐに忘れてしまったけれど。
 改めて考えたらおかしな話のようにも思う。

「そもそも……どうして婚約を解消したんだろう?」
 確か馬車の事故でヴェロニカが怪我したと聞いたことがある。
 その時の傷が理由で婚約解消したのだと。
「あれ、でも馬車で怪我をしたのはエリアス先輩のはず……」
 アリサははたと気づいた。

 怪我をして身体が不自由になるはずだったエリアスは健康で、嫡男のまま。
 馬車の事故にあったのはヴェロニカで、怪我を理由に婚約を解消した。
 そうしてエリアスは今、ヴェロニカの執事となっている。
(もしかして……ヴェロニカ先輩はエリアス先輩の代わりに怪我をした?)
 だからエリアスがヴェロニカの側にいるのではないだろうか。

(でもどうしてヴェロニカ先輩が身代わりに……二人に接点はなかったはず)
 アリサとは関わりがあったけれど、二人には面識があったかも怪しい。
 そのヴェロニカがエリアスの代わりに事故にあったかもしれない。
 それにエリアスだけでなくカインやフィンセント、彼女の周囲にいる者たちもみな前とは性格が異なっているようだ。

「やっぱり、ヴェロニカ先輩にも……記憶がある?」
 アリサはつぶやいた。


「ヴェロニカ」
 化粧直しを終えて会場に戻ろうとすると声が聞こえ、振り返るとフィンセントが立っていた。
 フィンセントはヴェロニカの前まで来ると笑みを浮かべた。
「良かったら、私と踊ってくれないか」
「申し訳ございません」
 ヴェロニカが答えるより前にエリアスが口を開いた。
「ヴェロニカ様はお疲れですので、お相手をすることはできません」

「――エリアス・ボーハイツ」
 フィンセントはエリアスに向いた。
「君は、私がヴェロニカに近づかないようわざと振る舞っているだろう」
 二年生になってから、エリアスは明らかにフィンセントからヴェロニカを遠ざけていた。

「ご不快に思わせておりましたら申し訳ございません」
 悪びれる風もなくエリアスは答えた。
「ヴェロニカ様が誤解を受けないよう、配慮のためでございます」
「誤解?」
「王太子殿下の婚約者候補だという誤解です」
「……それは誤解では」
「そのような噂はヴェロニカ様のためにはなりません」
 フィンセントの言葉を遮ってエリアスは言った。
「ヴェロニカ様に不用意にお近づきになりませぬよう、お願いいたします」
 頭を下げると、エリアスはヴェロニカに手を差し出した。
「参りましょう」
「え、ええ」
 ヴェロニカが手を重ねると、エリアスはフィンセントに背を向けて歩き出した。

「っ待て」
 フィンセントは声を上げた。
「――この私の誘いを断るとはいい度胸だな」
「ヴェロニカ様をお守りするためですから」
 立ち止まり、振り返るとエリアスは答えた。
「そのためなら不敬も構わぬと?」
「仰せの通りです」
(どうしてこんなにギスギスしているの?)
 にらみ合うエリアスとフィンセントに、ヴェロニカは困惑した。

 フィンセントと踊ることは望んでいないし、エリアスはそんなヴェロニカの気持ちを汲んでいるのだろう。
(でも……殿下相手に言い過ぎだわ)
 本来ならば王太子の誘いは断れないものだし、このままではエリアスが不敬罪になってしまう。
「エリアス」
 ヴェロニカは重ねていたエリアスの手を軽く握ると、フィンセントに向いた。

「殿下。お声をかけていただきありがとうございます。……ですが、私よりも他の方をダンスにお誘いください」
「ヴェロニカ……」
「エリアスの言うように、私と踊ることで周囲にあらぬ誤解を与えてしまいますと……殿下のためにもよくないことと存じます」
 そう言って、ヴェロニカは深く頭を下げた。
「どうか、殿下にふさわしい方をお相手にお選びください」

「――」
 フィンセントは何か言おうと口を開きかけて、すぐにその口を固く結んだ。
「……失礼いたします」
 もう一度頭を下げると、ヴェロニカは歩き出した。

「振られましたね」
 見守っていたディルクが口を開いた。
「やはり、一度婚約破棄を申し渡した相手とよりを戻すのは無理ではないでしょうか」
 ヴェロニカの言う「ふさわしい方をお相手に」というのは、ダンスの相手のことだけでなく、暗に婚約者のことも指しているだろう。
 つまり彼女は、婚約者候補の話も断りたいとその言葉に含めたのだ。
「――」
 フィンセントはヴェロニカの後ろ姿を見つめて手を強く握りしめた。
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