捨てられ令嬢、皇女に成り上がる 追放された薔薇は隣国で深く愛される

冬野月子

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1巻

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   *****


 ベイツ帝国に入ってからは問題もなく順調に進み、馬車は帝都へと無事到着した。
 馬車のカーテンを開けると、ローズは四年前ここから去るときに名残なごりしく見た懐かしい景色を見回した。帝都全体を囲う灰色の石を積み上げた壁には帝国の紋章が描かれた旗がはためき、壁の周囲には堀が巡らされ豊かな水が流れ、そのほとりには樹木が植えられている。
 夕日に照らされたその美しい景色は、ずっとがれていたものだった。

「ローズ姉様はすぐにご親戚のところへ行ってしまうの?」

 帝都へ入る門をくぐり抜けると、ライラは悲しそうな顔でローズを見上げた。

「今日は家へ泊まっていってくれる?」
「ええ、ぜひ旦那様方からもお礼をお伝えさせてください」
「……そうねえ」

 ローズは思案するフリをして馬車の外へと意識を向けた。
 夕闇に包まれ始めた帝都は穏やかな空気に満ちている。門を通るときも何も感じなかった。ローズが追放された報告はすでに届いているかもしれないが、まだ猶予ゆうよはありそうだ。それに――

(エインズワースに帰る前に『彼』に会っておかないとならないわね)
「じゃあ今夜はライラの家に泊めてもらおうかしら」

 ローズの言葉にライラは顔を輝かせた。

「本当に? 今夜は一緒に寝てくれる?」
「ええ」
「約束よ!」

 嬉しそうに抱きつくライラをローズは笑顔で抱きしめ返した。


「お父様!」
「お帰り、ライラ」

 アトキンズ伯爵は駆け寄ってきた愛娘を抱き上げた。

「道中のことを聞いて驚いたよ。無事でよかった」
「本当に……心配していたのよ」

 後ろに控えていた夫人もほっとしたようにほほ笑んだ。自分の代わりに遠い隣国へ一人で行かせた娘が危ない目に遭ったのだ。この目で無事を確認するまでずっと気が気でなかった。
 娘の無事を確認するように両親で交互に抱きしめると、伯爵は乳母のかたわらに立つローズへと視線を移した。

「貴女が娘の恩人ですね。ありがとうございます」
「こちらこそ、ここまで同行させていただきありがとうございました」

 ローズはスカートの裾をつまみ、頭を下げた。服装こそ平民が着るものだが、その容貌といい、仕草といい、高位貴族の令嬢であることは確かだ。

(本当にこの令嬢が人さらいから娘を助け出したのだろうか)

 乳母には武芸の心得があると伝えたそうだが、小柄な身体のどこにそのような力があるのだろう。

「貴女にお礼を差し上げたいのですが」

 伯爵はローズに言った。

「いいえお礼など。当然のことをしただけですから」
「私たちにとって貴女は娘の命の恩人です。何もしないわけにはいきません」
「そうですか……」

 ローズは小首をかしげて少し思案した。

「それでしたら、手紙を取り次いでいただきたいのですが」
「手紙ですか?」
「はい。エインズワース公爵へ、明日なるべく早くお渡ししたいのです」
「将軍閣下に?」

 この少女が将軍になんの用を……と思いかけて伯爵は気づいた。武芸の心得があるという少女の瞳が、将軍と同じグレーであることに。

「……それならば、明日は朝から出仕するので閣下がいらっしゃれば直接、不在であれば公爵家へ使いを出しましょう」

 娘の恩人を詮索せんさくするのも失礼だろう。伯爵はそう答えた。
 用意してもらった客室へ入ると、ローズは少ない荷物を下ろし、手紙を書くために借りた便箋びんせんとペンを机の上に置いた。イスに手をかけようとして、その視線が窓の外へと向く。
 ローズは窓を開けるとベランダへと出た。

「傷は残りました?」
「……いいえ。浅い傷でしたから」

 暗闇にそっと声をかけると、やや間を置いて声が返ってきた。

「よかったわ」
「貴女は変わったご令嬢ですね」

 あきれたような声が聞こえると、暗闇からゆらりと影が出てきた。

「いつから気づいておられたのですか」
「帝都の門を抜ける少し前ね」
「……つまり追いついたときにはもう気づかれていたのか」

 はあ、と影がため息をつく。

「ほんと、自信なくしますよ」
「私は特に気配には敏感なの。身を守ることを最優先に鍛えられたから」
「そうですか」

 納得していなそうな響きにローズは思わず笑みをもらした。

「貴方こそ、そんなに感情を出して。影なのに変わっているわね」
「どうも貴女の前だと調子が狂うようです」

 そもそも「影」がこうやって会話をすること自体がおかしいのだけれど。お互いそこには触れずに、旧知のように会話を続けた。

「明日には伯父様に会えると思うけれど、公爵家にはこうやって侵入しないでね。あの家の警備は皇宮以上だから」
「心得ておきます」
「それで、今回の任務は私の所在確認?」

 ローズの言葉に、すっと影が改まる気配を感じた。

「王太子殿下からの伝言です。弟の所業、誠に申し訳ない。ローゼリア嬢に不利とならないよう責任を持って処分するが、希望があればなんなりと申してほしい、と」
「――もうあの人たちには関わりたくないわ」

 しばらく沈黙して、ローズは口を開いた。

「私はオルグレンに戻るつもりはないわ。だけど一つだけ……忘れ物をしてしまったの」
「忘れ物?」
「ルビーのネックレス……お母様の形見。それだけが心残り」
「確かにお伝えいたします」

 現れたときと同じように、ゆらりと影は闇に消えていった。


   *****


 いつもと変わらない、皇宮の朝。
 重要な会議も行事もない、平穏な一日のはずなのに、皇帝の執務室前にただよう不穏な空気を感じてアトキンズ伯爵は眉をひそめた。娘の恩人であるローズと約束した手紙を渡すために、将軍へ目通りを願おうとしたら朝から皇帝と面会していると言われたため、執務室の前で出てくるのを待ち構えようと思い向かったのだ。

(この廊下にいる騎士たちの、ピリピリとした空気はなんなのだろう)

 文官である伯爵は将軍と関わることが滅多にない。そのせいなのか不審者を見る目でこちらを警戒してくる騎士たちに、手紙を託して帰ってしまおうか……とおびえてしまう。

(だが、これは娘の命と引き換えの頼みなのだ。責任を持ってお渡ししないと)

 シワにならない程度に手紙を握りしめてじっと息をひそめていると、執務室の中から怒声のような音が聞こえた。

「待てアドルフ! 落ち着け!」
「待てるか!」

 乱暴にドアが開かれると、焦った皇帝の声を背にエインズワース公爵が出てきた。将軍の名にふさわしい立派な身体つきと、精悍せいかんな顔には明らかに怒りの表情が浮かんでいた。

「戻れ! これは命令だぞ!」
「お前の命令よりローズの命のほうが大事だ!」
(ローズ?)

 廊下の隅でおびえて様子をうかがっていたアトキンズ伯爵はその言葉に反応した。今朝挨拶を交わした少女に、なるべく早く渡してくださいと言われたときの、将軍と同じ色の瞳が脳裏に浮かぶ。

「しょ、将軍閣下!」

 大股で通り過ぎようとする将軍に慌てて声をかけた。ジロリと鋭い目で一瞥いちべつし、止まることなく去ろうとする後ろ姿にもう一度叫ぶ。

「ローズ様からです!」

 ぴたりと将軍の足が止まった。

「――なんと言った?」
「ローズ様から……手紙を預かっています」

 振り返った将軍に恐る恐る手紙を差し出す。

「よこせ」

 ひったくるように手紙を奪うと、将軍はすばやく文面に視線を走らせた。読み終えると片手で顔をおおい、長い息を吐く。

「……ああ、ローズ……」
「見せろ」

 いつの間にか廊下に出ていた皇帝がすっと手紙を取り上げた。手紙の内容を一読し、同様に顔をおおう。

「戦争にならなくて済んだ……」

 安堵のため息とともに皇帝はつぶやいた。


「――そしてお姫様は王子様といつまでも仲よく暮らしました」

 ローズはライラを膝に乗せて本を読んでいた。

「面白かった?」

 ぱたん、と読み終えた本を閉じてライラの顔をのぞき込む。

「とっても! ローズ姉様はお話を読むのが上手なのね」
「ふふ、ありがとう」

 くしゃりと頭をなでると嬉しそうに顔をほころばせる。今日でローズとお別れというのが分かっているからか、ライラは朝からローズにべったりだった。

「ねえ、ローズ姉様。次は違うご本を……」
「ちょっと待ってね」

 ふいにローズはライラを抱きかかえたまま立ち上がり、脇に控えていたマーヤにライラを預けた。

「ローズ様?」
「危ないから私から離れて」
「姉様?」

 首をかしげるライラたちの耳に、地響きのような音が聞こえてきた。

「ローズ!!」

 バタン! とドアが外れそうな勢いで開かれると、部屋に飛び込んできた大きな物体がローズに飛びついた。

「無事でよかった……」

 普通の令嬢ならば潰されそうな勢いと強さで抱きしめられながら、それでもローズはその顔に笑みを浮かべた。

「伯父様の耳まで届いてしまったのですか」
「今朝知らされた。とりあえずオルグレンに乗り込もうとしたらあのバカが止めようとしたのだ」
「……とりあえずで他国に乗り込まないでください」

 いきなり将軍自ら乗り込んできたら、それは宣戦布告のようなものだ。
 そして将軍を止められる立場の者は一人しかいないはずだが。その御仁ごじんをバカと言ってしまうことへの指摘は、さすがにローズにはできず、代わりにきつく抱きしめてくる腕をぽんぽんと叩くとようやくその力が弱まった。

「伯父様、心配してくださってありがとうございます。でも私なら大丈夫です、伯父様に鍛えていただきましたから」
「それは分かっているが……それでも心配なものは心配だよ」

 ローズの身体を解放すると、将軍は背後に立っていたアトキンズ伯爵を振り返った。

「アトキンズ卿、姪が世話になった。感謝する。後日改めて礼をしよう」
「いえっ礼など。むしろローズ様には娘を助けていただきましたので、こちらから礼を差し上げたいのですが」
「ここまで馬車に乗せていただき私も助かりましたから。どうぞお気になさらず」

 ローズはそう答えた。

「ですが……」
「そうだな、お互い様だ」
「……承知いたしました」

 あまり食い下がっても不敬に当たる。そう判断して将軍の言葉に伯爵は頭を下げた。

「ライラ」

 ローズはライラの前へ立つと膝をついて目線を合わせた。

「ローズ姉様……帰ってしまうの?」
「また会いにくるわ」

 泣きそうな顔のライラに笑顔でそう言って頭をなでる。

「本当に?」
「ええ、約束よ」

 ライラの手を両手で包み込むように握りしめ、額を重ねるとようやくライラは笑顔を見せた。


「すまなかったな」

 伯爵一家に見送られ、馬車が動き出すと将軍は口を開いた。

「お前が向こうで酷い仕打ちを受けていたのは知っていたが、何もしてやれなかった」
「……仕方ありません」

 ローズは首を横に振った。伯父とはいえ他国の、しかも家庭内の事情に口出しすることは、帝国の筆頭貴族であり皇帝のいとこである将軍にもできないことだ。

「それにあの程度、伯父様のしごきに比べればたいしたことはありませんから」
「そうか。それは鍛えた甲斐かいがあった」

 将軍はふっと優しい表情を浮かべた。

「道中、危険はなかったか」
「あ……そういえば、エインズワースの名前を出してしまいました」

 ローズはバークレー王国での件を説明した。

「そうか、そんなことがあったか。お前はエインズワースの娘なのだから家の名を使うことは問題ないし、むしろ利用してくれて構わない」

 子供の頃のように、将軍はローズの頭をくしゃりとなでた。

「皆ずっと心配していた。家にも伝令を出しておいた。クレアもきっと喜んで待っている」
「伯母様はお元気ですか」
「ああ」
「ルイス兄様も?」
「……ああ。ルイスはなあ」
「兄様に何か?」

 言いよどむ将軍にローズは首をかしげた。

「ローズ……覚悟しておいてくれ」

 問いには答えず、将軍はそう言うともう一度ローズの頭をくしゃりとなでた。


 四年ぶりに公爵家の門をくぐると懐かしさが胸にこみ上げてきた。ルイスと走り回った庭や、よじ登っては怒られた木々が視界に入る。奥にある訓練場もきっとそのままだろう。
 広大な敷地内を走り抜けながら昔を思い出していると、エントランスで馬車は止まった。

「お帰りなさい、ローズ」
「伯母様。ただいま戻りました」

 出迎えた公爵夫人はローズと抱擁ほうようするとその顔を見て目を細めた。

「すっかり大人になったわね。想像していた以上に綺麗になったわ」
「ありがとうございます。伯母様もお変わりなくて何よりです」
「いつ帰ってきてもいいように、貴女が使っていた部屋はそのままにしてあるのよ」

 母親のような優しい笑顔で夫人は言った。
 夫人の言うとおり、ローズが使っていた部屋は昔のままだった。淡いピンクを基調とした部屋は今では子供っぽく思うけれど、毎日掃除されていたのだろう、綺麗に磨かれた床や家具に自分への愛情が宿っているようで嬉しく感じながら、ローズはソファに腰を下ろすとそっと目を閉じた。

「やっと……帰ってこられた」

 ずっと帰りたいと思っていた。
 アルルと結婚し、王子妃となってしまったらそれはかなわないだろうとなかば諦めていた。
 けれどこうしてアルルと弟ギルバートの手によりオルグレン王国から追放され、無事この家に帰ってこられたのだ。改めてローズは心が軽くなっていくのを感じた。

(向こうの生活は……もう思い出したくもないわ)

 将軍にはたいしたことはないと言ったけれど、実家に帰ってからの四年間は正直つらかった。公爵家で与えられ続けていた愛情が突然途切れた上に、実の父親や家族から向けられた冷たい態度や攻撃的な言葉は、まだ十四歳だったローズにはこくすぎた。それでも公爵家での想い出をかてに、お妃教育に没頭することでまぎらわせてきた。
 けれどもう、あんな思いはしなくてもいいのだ。

「……ただいま」

 つぶやいて、安心感からローズはゆっくりと眠りに落ちていった。


 どれほど眠っていただろう。こちらへ急いで近づいてくる気配を感じ急速に意識が浮上する。
 ローズが立ち上がると同時にバタン! と激しく音を立ててドアが開かれた。

「――ローズ……」

 ダークブロンドの髪を揺らしながら息を切らして立っていたのは、ローズと同じグレーの瞳を持つ端麗な顔立ちの青年だった。

「……ルイス兄様」

 名を呼ぶと彼は嬉しそうに破顔した。その顔には四年前を思い出させる少年らしいあどけなさが残っている。

「ローズ!」

 駆け寄るとルイスはローズを抱きしめた。

「兄様」
「会いたかった……」

 ローズを抱きしめる腕に力がこもった。
 実の弟ギルバートとの関係が悪かったローズにとって、ルイスは兄と言っていい存在だった。
 初めてエインズワース家に来て緊張していた七歳のローズに、十歳のルイスは笑顔で自ら歩み寄るとその手を取り、家中を案内してくれた。


 それから毎日のようにともに遊び、学び、ときには剣を交えた。ケンカをすることはなく、いつもローズの味方でいてくれる。ローズにとっては兄であり友でもある、大切な存在だった。

「兄様……ご心配をおかけしました」

 懐かしい記憶が次々とよみがえり、胸が熱くなるのを感じながらローズは言った。

「無事に帰ってきて本当によかった。どうやってローズを連れ戻そうか考えていたけれど、向こうから手放してくれてよかったよ」
「え?」

 ルイスの胸から身体を離すように手を添えるとローズは相手を見上げた。

「連れ戻す……?」
「ローズがオルグレンに行ったあと、俺は自分の気持ちに気がついたんだ」

 自分を見つめる瞳に今まで見たことのなかった熱が宿っていることにローズは気づいた。

「気持ち……」
「ローズが好きなんだ。妹としてではなく、女性として」
「……え」

 これまでずっと兄だと思っていたルイスからの、予想外の告白にローズは目を見開いた。

「ローズ」

 ルイスはローズの顔をのぞき込むと眉根を寄せた。

「もしかして、まだあいつのことが好き?」
「え?」

 一瞬ぽかんとしたけれど、すぐに相手の言うことを理解してローズは首をゆるく振った。

「……あれは……昔のことだから……」

 それはルイスにだけその心を明かした初恋の思い出。今でも思い出すと少し心が痛むけれど、彼が婚約したと聞いたときに封印した、かなうことのなかった幼い恋心だ。

「もう、忘れたもの」

 そう言いながらもローズの瞳が揺れるのを見て小さくため息をつくと、ルイスはローズをもう一度抱きしめた。

「まだあいつに心が残っていても、婚約者がいても。俺はローズを諦めない、必ず手に入れる。そう決めたんだ」
「兄様……」
「ルイス、だよ」

 そう訂正してルイスは柔らかな髪に口づけを落とした。

「夫になる相手に『兄様』はないだろう」
「夫……?」
「ローズを手に入れるとは、そういうことだよ」

 熱を帯びた光が宿った瞳でローズを見つめながらルイスは口角を上げた。その色気のある顔にローズの心臓がどくん、と跳ね上がった。

「ローズ。俺と結婚しよう」
「にいさま……」
「四年ぶりに会った『兄』に突然こんなこと言われて戸惑うだろうけど。俺は決めたんだ、ローズだけだって」

 愛おしそうに目を細めて、ルイスはほんのり赤く染まった目の前の頬をなでた。

「両親たちにも伝えてある。ローズ以外はめとらない、なんとしてでもローズを取り戻すと」

 覚悟しておいてくれ。先刻馬車の中で将軍が口にした言葉がよみがえった。

(それってこのこと……?)
「ローズ……愛している」

 ルイスの顔が近づくと、ローズの頬に彼の唇が触れた。思わずこわばらせた身体をきつく抱きしめると、ルイスは目の前の白いこめかみや額へと口づけていく。それは幼い頃に受けた親愛のキスとは異なり、熱いほどの熱を帯びていた。

「ローズ」

 ささやいて耳たぶに軽く口づけられ、びくりと身体が震える。

「にい……」
「ルイス、だろ」

 戸惑ったように自分を見たローズの身体をルイスはソファへと沈め、再び顔を近づけた。

「ルイス……ちょっと、待って……!」
「待てない」
「ルイス!!」

 ローズの唇にルイスのそれが触れそうになった瞬間、怒鳴り声が響いた。
 ルイスが振り向くと、閉めるのを忘れていたドアの向こうに鬼の形相の将軍が立っていた。

「……邪魔しないでください」

 ちらと父親を一瞥いちべつしたルイスは再びローズに向き直り、その額に口づけを落とした。

「このバカ息子が!」

 ルイスの襟首をつかむと、息子よりも体格のいい将軍はそのままルイスの身体を部屋の外へと引きずっていった。

「ローズ……大丈夫?」

 入れ替わりに部屋に入ってきた夫人は動けずにいるローズの隣に腰を下ろし、起き上がるのを助けながら尋ねた。顔を赤らめたまま声も出せないローズの様子にふう、とため息をつく。

「ごめんなさいね、ルイスもずっとがれ続けていた貴女がこんな風に戻ってきたから、暴走してしまったのね」

 ローズを落ち着かせるように、乱れた髪を手で整えると夫人はローズの背中を優しくさすった。

「ルイスのこと、嫌いになってしまったかしら」
「……いえ……」

 ローズはなんとか声を出した。

「大丈夫……です。びっくりしてしまって……」

 兄だと思っていたルイスからの突然の告白と求婚に、冷静なローズもさすがに動揺してしまう。まだ鼓動が速い心臓をなだめるように胸をさすりながら答えた。

「まったくあの子は。このことは貴女の意思を尊重して、時間をかけてと言いたいところなのだけれど……ごめんなさいね。エインズワースの男に目をつけられてしまったら諦めるしかないの」
「え……?」

 目をまばたかせて、ローズは夫人を見た。

「どういう意味ですか?」
「エインズワース家の気質については知っている?」
「気質?」

 ローズは首をかしげた。

「初代が元々王太子だったことは?」
「それは、知っています」

 エインズワース公爵家の始祖は数百年前、帝国がまだ「ベイツ王国」だった頃の王太子だ。本来国王になるはずだったその王太子は王位を固辞し弟に譲り、自身は公爵となったと聞いていた。
 それ以降、公爵家は「王国の盾」として強大な軍事力を作り上げ、領土を広げ、帝国となった今も筆頭貴族として皇家を支え続けている。皇家と公爵家の関係は深く、婚姻関係も何度か結ばれ、ローズとルイスの祖母にあたる現公爵の母親も先代皇帝の妹だ。

「どうして初代が臣下に降りたか知っていて?」
「いいえ」
「どうしても結婚したい相手がいて、政略結婚を嫌ったのですって」

 困ったわねえ、という表情で夫人は弱々しく笑った。

「とても優秀な方だったのだけれど国よりも恋を選んだの。それ以降もエインズワース家の男たちは、これと決めた相手を見つけるとどんな手段を使っても手に入れるのよ」

 遠い目になった夫人を見て、ローズはふと疑問が湧いた。


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