捨てられ令嬢、皇女に成り上がる 追放された薔薇は隣国で深く愛される

冬野月子

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1巻

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   プロローグ


『ローゼリア・ランブロワ! お前との婚約を破棄する!』

 まだ耳に残る不快な響きが胸の奥へと沈みながら、ゆっくりと広がっていった。
 どうでもいいと思っていた相手からの言葉とはいえ、まったく傷つかなかったわけではないのだろう。粗末なカーテンにおおわれて外は見えないけれど、窓へと視線を固定したまま、ローゼリアは心の奥深くに溜まるよどんだものを感じて小さくため息をついた。粗末といえばこの馬車もそう。ガタガタと揺れる乗り心地も硬いイスも、初めての体験だ。
 山道に入ったのか、さらに馬車が揺れ、その不快感に引きずられるように昨夜の不快な出来事を思い出してしまう。
 王宮で開かれた夜会だった。
 本来ならば婚約者であるこの国の第二王子アルルにエスコートされるはずだったのだが、ローゼリアは一人で会場へ入った。王子の婚約者でありながら一人で王宮の夜会に参加するなど、本来ならばありえないことで、普通の令嬢なら耐えられないほどみじめで屈辱的だろう。
 けれどローゼリアは背筋を伸ばし、堂々と歩いていた。
「薔薇の君」とたたえられるのにふさわしい、深みのある赤い髪が揺れるたびにシャンデリアの光を受けて輝く。前を見すえるグレーの瞳には気品と強さが宿っていた。王子の婚約者として、そして宰相家でもあるランブロワ侯爵家の令嬢としての威厳を保ち、誰も近寄らせないほどの気高い雰囲気をまといながら優雅に歩みを進めるローゼリアの前に、二つの人影が立ち塞がった。
 一人は婚約者のアルル・オルグレン。腕を組み、傲慢ごうまんな表情でローゼリアを見下ろす視線には嫌悪感と、この状況でも堂々としていられる彼女への不快感がにじんでいた。そしてアルルにぴったりと寄り添い、不安げな表情でこちらを見つめる少女。緩く巻かれた明るいブロンドヘアに真っ青な瞳。愛らしい顔のこの少女は……

(誰だったかしら)

 ローゼリアは内心首をひねった。そういえば最近、アルルがある令嬢に夢中だと耳にした記憶があるけれど、それが彼女だろうか。決して手折られない薔薇のような美しさを持つローゼリアに比べ、この少女は触れたら簡単に折れてしまいそうな、男の庇護欲をそそる可憐さを持っている。
 やはり男はこういう女性が好きなのだろうかと思いながらも、あまり興味がなさそうに、ちらとだけ見たローゼリアにいら立ったように、アルルは眉間にシワを寄せた。

「ローゼリア・ランブロワ! お前との婚約を破棄する!」

 その声は広間によく響いた。


 大きく馬車が揺れた。石か木の根に乗り上げたのか、ローゼリアはイスから落ちそうになるのを腕に力を込めて耐えた。
 あれから夜会は大騒ぎだった。大勢の前で突然王子が婚約破棄を宣言したのだから無理もない。
 アルルはいかにローゼリアが自分にふさわしくないか、そして隣の少女を愛しているか、延々と語り続けた。ネチネチとつむがれる言葉が耳障りで無表情に聞き流していたが、それが余計にしゃくに障ったらしい。アルルはローゼリアがこの少女をいじめていたと言い出したので、ローゼリアもさすがに眉をひそめた。たった今まで存在を知らなかった相手をいじめられるはずはないのに。
 嫉妬? 誰に? 王子の愛情が欲しかった?

(冗談じゃない。そんなもの、頼まれてもいらないわ)

 その日、国王夫妻は視察のため不在だった。アルルの兄、王太子リチャードは外交のため国をけている。今この城で一番地位が高いのはアルルであり、彼はその機会を狙ったのだろう。

「承知いたしました。ではごきげんよう。どうぞお幸せに」

 気の済むまでアルルにしゃべらせたあと、そう言ってローゼリアはドレスの裾をつまむと淑女の礼を取った。その所作は散々罵倒ばとうされ続けた直後とは思えないほど優雅で美しく、見守っていた周囲の者たちには、彼女がアルルからの暴言にまったく堪えていないように見えた。

「は? おい……」

 動揺することもなく、微笑を浮かべて身をひるがえしたローゼリアの背中にアルルは焦った声をかけた。おそらく彼は、泣き崩れたり反論してわめいたりする彼女を想像していたのだろう。

(そんなこと、この私がするはずないのに)
「待て! 話はまだ終わっていない!」

 愚かな王子が暴走したことで、後始末をさせられる国王と王太子に同情しながら立ち去ろうとしたローゼリアに、アルルは大股で歩み寄った。
 肩をつかもうとアルルがその手を伸ばした、次の瞬間。
 目の前にいたローゼリアの姿が消えた。
 とん、と背中に何かが軽く当たった感触を覚えたと同時に、アルルの身体が大きくぐらつき前のめりに倒れ込む。
 成り行きを見守っていた観衆からざわめきが起きた。彼らの目には、ローゼリアにけられたアルルが自ら転んだように見えただろう。それがローゼリアの仕業しわざだとは、誰も気づかずに。

(……は?)

 自分の身に何が起きたのか分からず動けないアルルは頭の上で何者かがくすりと笑った気配を感じ、顔を上げるとローゼリアが見下ろしていた。

(こいつ……こんな顔だったか?)

 ローゼリアは容姿こそ華やかで美しいけれど、生真面目で愛想がなく、気位ばかり高くてつまらない女という印象だった。そのローゼリアが、冷淡な目で自分を見下ろすその瞳に宿った、これまで見たことのないほど冷たい銀色の光にアルルは背筋がぞくりと震えた。
 顔には穏やかな微笑を浮かべているが、その瞳の奥に宿る光は、まるで磨き上げられた刃のように輝いている。視線だけで恐怖を感じたのは初めてだった。

「ごきげんよう、殿下」

 もう一度そう告げて、起き上がることのできないアルルにくるりと背を向けて歩き出したローゼリアの行く手を一人の男がさえぎった。

「姉上。貴女はランブロワ家の恥だ。出ていってもらおう」

 赤毛の間からのぞく瞳に軽蔑の色を浮かべて立っていたのは腹違いの弟、ギルバートだった。


 ローゼリアの母親は、隣国ベイツ帝国からとついできた。
 この大陸には文化や気候の異なる複数の国がある。大陸西部の海に面するこのオルグレン王国は穏やかな気候で農産業が盛んだけれど軍事力は高くなく、周囲には大国であるベイツ帝国やストラーニ王国、軍事力の高い東方のアルディーニ王国など脅威となる可能性のある国が多い。
 特にベイツ帝国は険しい山脈を挟んで国境が接しており、脅威を取り除くために友好条約を結んでいる。ローゼリアの両親が結婚したのもその縁で、つまり政略結婚だったが、ローゼリアが五歳になるまでは家族三人で平穏な日々を送っていた。
 その年の冬、流行病で母親が亡くなると、父親のランブロワ侯爵はすぐに後妻と、二人の間の息子だというローゼリアより一つ下のギルバートを家に迎えた。金や地位のある者が外に女や子供を持つことはそう珍しいことではない。だが母親を亡くしたばかりの少女の境遇に周囲は深く同情を寄せた。
 それが義母には気に食わなかったのだろう。ローゼリアは追い出されるように、七歳のときにベイツ帝国にある母親の実家に預けられ、以来家族と会うことは一度もなかった。けれど十四歳になると同い年の第二王子、アルルの婚約者となるために父親によって呼び戻されたのだ。
 七年ぶりに戻ってきた侯爵家はローゼリアの知る家ではなかった。家具や内装が全て義母の好みに変えられていて、そこに以前の名残なごりはまったくなかった。
 義母はローゼリアにきつくあたった。
 将来の王子妃であるローゼリアに対してその身体を傷つけるようなことはなかったが、そばで聞いていた者が耳を塞ぎたくなるような言葉の暴力を振るい続けた。そんな母親の様子に何も言わない父親を見て弟のギルバートも母親と一緒になってローゼリアをさげすんだ。
 夜会の日、宰相である父親のランブロワ侯爵は国王の視察に同行していた。父親のいない隙にギルバートは母親とともに夜会から戻ると、ローゼリアを家から追い出したのだ。
 ローゼリアは庶民が着るような質素でごわついた生地のワンピースを着せられ、粗末な馬車に押し込められた。馬車は夜の間に王都を抜けると、何度か馬を替えながら二晩かけてひたすら移動した。おそらくローゼリアは国外に捨てられるのだろう。

(そんなに……私は彼らに嫌われることをしたのかしら)

 義母や弟による言葉の暴力にも、婚約者からの嫌味にも、厳しいお妃教育にもを上げることなく、淡々とし続けていた自分の存在が不快だったのだろう。それは知っていたけれど、だからといって自分を捨てるほどだとは思わなかった。
 何年も罵声を浴び続け、最後は家から追い出され国の外へ捨てられる。十八歳の少女に対するあまりにも酷い仕打ちだったが、正直、もっと過酷なことを経験してきたローゼリアにとってはたいしたことではなかった。これが普通の令嬢ならば耐えられないけれど。

(そう、たいしたことではないわ)

 ローゼリアはつまらなそうにため息をついた。

(……そうね、この国を出たら帝国へ帰りたいわ)

 母親の実家、ベイツ帝国のエインズワース公爵家は代々帝国の壁として軍事をになってきた。いかつい顔で将軍として周囲からは恐れられているけれど、ローゼリアをとても可愛がってくれた伯父。いつも穏やかで優しい伯母。そして兄のように慕っていた、三歳年上のいとこ、ルイス。
 ローゼリアを預かった彼らは彼女を本当の娘のように愛し、たくさんの愛情を与え、そして厳しく育ててくれた。ローゼリアはそこで初めて家族の愛に触れ、聡明な少女へと成長していった。
 エインズワース家で、ローゼリアは「ローズ」と呼ばれていた。真紅の髪色が薔薇のようだと母親が最初「ローズ」と名付けたのだが、オルグレン王国の貴族らしくないと「ローゼリア」に改められたのだと聞いたことがある。それを知った帝国の人々が「ローズ」と呼んでくれたのだ。
 ローゼリアも「ローズ」という名前のほうが好きだ。響きが好きだし、何より母親が残してくれた数少ない形見の一つだ。

(そうだ、形見……)

 名残なごりのないランブロワ家だけれど、一つだけ持っていきたかったものがあったことを思い出していると馬車が止まった。

「おい、降りろ」

 乱暴にドアが開かれた。外へ視線を送るとどうやらまだ山の中のようだ。
 大人しく馬車から降りる拍子に見えた、貴族令嬢にしては丈の短いスカートからのぞいた白いふくらはぎに男の喉がゴクリと鳴った。

「ここはバークレー王国だ」

 御者ぎょしゃ席から降りてきたもう一人の男が言った。

「隣国に捨ててこいとの命令だ。俺たちの仕事はこれで終わりだ」

 そう、と口の中でつぶやいて、ローゼリアは二人をちらと見上げた。慣れない粗末な馬車移動と寝不足のせいでうるんだその瞳に、もう一度男たちが喉を鳴らす。

「ご苦労様でした」

 そう言って歩き出そうとしたローゼリアの腕を男がつかんだ。

「大金をもらえた上にこんな美人とヤレるなんて最高だな」
「ヘヘッ。お嬢ちゃん、山の中にほっぽり出されたら、どうせ獣に喰われるか盗賊に襲われんだから。俺たちと仲よくやっ」

 男の声は最後まで続かなかった。ぐらり、と揺れて力の抜けた身体が崩れ落ちる。

「は? え?」

 何が起きたのか分からず動揺するもう一人の男の背後へ素早く走ると、ローゼリアは身体を回転させながら足を蹴り上げた。足の甲が勢いよく男のこめかみへ直撃し、男の身体が吹き飛んだ。


「……まったく、汚らわしい」

 倒れた二人の男が完全に気を失っているのを、それから周囲を見回して誰もいないのを確認すると、ローゼリアはぐっと拳を握りしめ、それを天に突き上げた。

「やっ……たー!!」

 ここ数年出したことのなかった、大きな喜びの声だった。

「これで! あのバカ王子! 退屈なお妃教育! 陰湿な家族ともみんなお別れ! 婚約破棄に追放バンザイ! もう私はローゼリアじゃないわ! ローズよ!」

 クルクルとその場で回りながらひとしきり喜んで、ローゼリア――ローズは我に返った。

「いけない、こんなことしている暇はないわ。このことがあの人たちに伝わる前に急がないと」

 ローズは倒れた男のふところを探り、ベルトに固く結び付けられた革袋の紐を、隠し持っていた短剣で切り離した。このダガーと呼ばれる銀色の短剣はベイツ帝国から出るときにもらって以来、肌身離さず持ち続けているもので、追放されたときも着替えさせられた服に忍ばせ持ち出した。隠し持てるように小振りのサイズでつばも小さく、形もシンプルだが柄には細かで優美な装飾が施されていて気に入っている。護身用に持たされて、幸いなことに実際に人に対して使ったのは一度だけだ。

(移動中、使う必要がないといいけれど)

 ダガーを見つめてローズは願った。腕には自信があるけれど、危険な目には遭わないほうがいい。
 帝国の武力をつかさどるエインズワース家の子は幼いときから剣や体術の訓練に励む。女子は基本的な護身術のみ学ぶが、ローズは素質があると伯父に認められ、いとこのルイスとともに本格的な訓練を受けた。訓練はとても厳しくて、何度も泣いたり逃げ出したりしたくなったけれど、そのたびにルイスになぐさめ励まされて乗りこえられた。

(ルイス兄様……元気かしら)

 彼は二十一歳という若さで、既に騎士団の副団長を任されていると聞いている。もうすっかり大人になったであろう彼の姿を想像しながら、ローズはダガーをふところへ忍ばせ革袋の中身を確認した。

「これが報酬ね。銀貨でよかったわ」

 金貨は高額すぎて使いづらいけれど、銀貨ならば庶民の間でも流通しているから街中で使える。帝国へ着くまでの路銀とするのに十分な量もありそうだ。

「この馬車に乗っていくのは悪目立ちするわよね。……仕方ないわ、とりあえず近くの街まで歩いていくしかないわね」

 気合を入れるように大きく深呼吸すると、貴族令嬢とは思えない速さと力強い足取りでローズは山道を下りていった。



   第一章


「この……大馬鹿者が!」

 ランブロワ侯爵は怒りに任せて息子を殴り飛ばした。

「貴方!? ギルになんてことを……」
「お前もだ!」

 駆け寄った妻を平手で打つとその身体が床に倒れ落ちる。

「追放しただと? ローゼリアを!?」

 興奮で荒く息を吐きながら侯爵が妻と息子を見下ろすと、妻はのろのろと身体を起こした。

「……だって、あの娘……殿下から婚約破棄されたのよ? 妃になれない娘なんて……なんの役にも立たないわ。ゴミだから捨てたのよ!」
「このっ」

 もう一度平手を打つと妻は再び倒れ込んだ。
 侯爵が視察を終えて王宮には寄らず直接屋敷に帰ってくると、やたら嬉しそうな妻と息子に出迎えられた。そうして一昨日の夜会での出来事と、娘を追い出したことを自慢げに語られたのだ。

(ローゼリアを隣国へ捨てただと?)

 妻と息子がローゼリアを冷遇していたことは知っていたが、家のことを全て妻に任せていた侯爵はそれを黙認していた。ローゼリアがとつぐまでの間のことだからと。それに娘が帝国の公爵家、そして皇家の血を引いていることは二人とも知っていたはずなのに、なぜ追放などしたのか。
 このことが帝国に知られたり、ローゼリアの身に危険が及んだりしたら国際問題に発展する可能性が高い。侯爵はぞっと首筋が寒くなったが、すぐに冷徹な宰相の顔に戻った。

「王宮へ行く。この二人は逃げ出さないように閉じ込めておけ」

 侯爵は身をひるがえすと呆然とする二人に背を向けて部屋から出ていった。


「愚か者が」

 うなるような王の声が執務室に響いた。

「この婚約がどういうものか、説明したはずだ」
「で、ですが! 父上は私にあの生意気な女と一生添い遂げろと!?」
「国益と平和のために身を捧げる。それがお前の役目だ」

 王は突き放すような視線をアルルに向けた。

「私にはマリーという最愛の女性が……」
「そんなに好きなら側室にでもすればよかろう」
「マリーをあの女の下に置けと!?」
「侯爵令嬢と男爵の娘、どちらが上かなど比べるまでもない。それにローゼリア嬢はベイツ皇帝家の血を引く人間だ。彼女の身に何かあってみろ、外交問題になる」

 ローゼリアの血筋のことは教えたはずなのに、この愚かな息子はどうして忘れてしまったのか。

(目の前の恋に目がくらんだか)

 下位貴族ならば若さゆえのあやまちと許されることもあるだろうが、王子という立場では……何よりも相手が悪すぎる。王は頭痛を覚えた。

「陛下!」

 許しもなく執務室のドアが開かれると、飛び込んできた相手を見て王は慌てて立ち上がった。

「宰相か」
「……このたびは……我が愚息が……誠に申し訳……」

 息を切らしながら宰相は王の足元にひざまずいた。プライドの高い宰相とは思えない行動にアルルは目を見開いた。

「……それはお互い様だ」

 王は深くため息をついた。アルルとギルバートが共謀して今回の婚約破棄と追放を実行したのだ。宰相だけを責めるわけにはいかない。

「ローゼリア嬢の捜索命令を出した。夜会出席者たちへの口止めも指示したが……手遅れだろうな」

 夜会が開催されたのは二日前だ。既にあの夜の出来事はその場にいなかった者たちへも伝わっているだろう。ベイツ帝国にまで伝わるのも時間の問題だ。

「ともかくローゼリア嬢の身柄を確保せねば」

 もう一度ため息をつくと、王はアルルを見下ろした。

「もしもベイツ帝国と戦争になるようなことがあれば、お前を最前線に送る」
「せ、戦争!?」
「それだけのことをお前はしでかしたのだ。その身をもってつぐなうがいい」

 王は唖然あぜんとする息子に冷酷な声でそう告げた。


   *****


「さて、と」

 宿から出るとローズは軽く周囲を見回して歩き出した。
 山の中に捨てられたあと、日が暮れる前に近くの街に着いたのは二日前だった。翌日、乗合馬車に乗ってバークレー王国ファナックの街までやって来た。このまま乗合馬車を乗り継いでベイツ帝国まで行く予定なのだが、順調に行っても帝都まで十日はかかってしまうだろう。

(もっと早く伯父様たちの元へ行きたいけれど……)

 自分の身分を明かしてバークレー王国に保護してもらおうかとも考えたが、関係のない第三国を巻き込んでしまうのも申し訳ないし、もしかしたらランブロワ家に連れ戻されるかもしれない。それだけは避けたいと自力で向かうことにしたのだ。
 ローズは昨日買ったトランクケースを持ち、よそ行き用の少し上質なワンピースに着替え、顔を隠すための大きなツバつきの帽子を被っていた。これなら旅行中だと思われるはずだ。

(まだ乗合馬車が出発するまでに時間があるから、途中で食べるものでも買っておこうかしら)

 視線を巡らせたローズの視界の端に、周囲を気にしながら走る二人の男が入った。一人が抱えた大きな麻袋がもぞもぞと動いているのを認識した瞬間、ローズの身体は動いていた。


「へへっ上玉を手に入れたな」

 人気ひとけのない路地裏の道。前を走る荷物を抱えた男にもう一人が声をかけた。

「ああ、きっといいとこのお嬢だぜ。従者とはぐれたんだろうな」
「高く売って今夜――」
「……おい?」

 不自然に途切れた連れの声に、男は足を止め振り返った。
 道の真ん中に倒れた仲間と、そのかたわらに立つ一人の女がいた。

「その担いだ荷物、私にくれる?」

 深く帽子を被っているため顔はよく見えないが、形のいい唇が柔らかな微笑を浮かべた。

「は? 何を……」

 言いかけた男に向かってローズは素早く走り出すと、その腹部に鋭い拳を入れた。

「ぐっ……」
「ではいただいていくわね」

 男が倒れる前にその肩から麻袋を取り上げ、ローズは身をひるがえしてその場から立ち去った。
 離れた場所まで来ると、ローズは慎重に麻袋を下ろし、ダガーナイフで固く結ばれた紐を切っていく。袋の中に入っていたのは、布で口を塞がれた、高級なワンピースを着た七歳くらいの少女だった。柔らかな金髪は乱れ、ローズを見上げる大きな青い目はおびえた色を浮かべている。

「大丈夫よ」

 ローズは少女に向かって笑いかけた。

「もうさっきの悪い人たちはいないから、ね」

 口と手足に巻かれていた布紐を外してやる。無遠慮に巻かれたのだろう、締めつけられた部分が痛々しい。赤くなった部分をさすりながらローズは少女の顔をのぞき込んだ。

「他に痛いところはある?」

 少女は小さく首を横に振った。

「おうちの人とはぐれたの?」

 こくん、と首が揺れる。

「きっと捜しているわね。もう大丈夫だから。私が連れていってあげるわ」

 少女を抱き上げると、ローズは小さな背中をぽん、ぽんと優しく叩いた。

「う……わあぁーん」

 ようやく安堵したのだろう。少女はローズに抱きつくと大きな泣き声を上げた。


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